270手間
目の前に現れたのはかなりの広さの集落だった、開けた場所があるというのは近づく前からわかっていたがここまでとは。
歩いて外周を巡れば半刻弱 ―約一時間弱― は掛かりそうな程の広さだ。場所柄わざわざ森を拓いたのだろうがかなりの規模である。
「なかなかの規模の巣じゃな、それに病が原因でといった訳ではなさそうじゃが。何にせよヒドイ臭いじゃ」
「私も此処までの規模のものを見るのは初めてだ。病が原因でないにせよ屍肉を漁る奴らが少ないな。おかげでヒドイ臭いだ」
「「うっ」」
「これは豚鬼の巣ですか? それにしてもこの惨状は……閣下とセルカ様は何か心当たりは」
漸くここに来てカルンとウィルが呻き声をあげ鼻をつまむ、その鼻をつまんだ声で何事が起きたかをウィルが聞いてくるがそんなのは二つに一つ。
「魔物同士で争いあったか」
「もっと強い魔物か何かに襲われたか…じゃろうな」
「だろうな」
そう実際に目の前に広がるのは戦場…いや蹂躙跡とでも言った方がよい惨状。恐らく住居だったであろう木材が散らばり尽くが薙ぎ払われ形を残しているものは無い。
そしてそれよりもヒドイのがこの悪臭の原因、豚鬼どもの死骸である。まるで積み木で作った人形を蹴飛ばしたかのようにバラバラに引き裂かれているものばかり。
一体何をどうすればそこまでなるのかと、ここを襲った奴らは余程豚鬼に恨みでもあったのか、日頃魔物を狩る者でも思わず豚鬼を哀れに思うほどの惨状。
「ふむ、屍肉を漁る動物が居らんのは穢れたマナが溜まっておるせいじゃな。これほど凄惨なことになっておれば当然じゃな」
ワシの言葉を聞くや否や、カルン達三人が両手でバッテンをつくる様に口を塞ぐ、マナは口から息と共に体に入ると言われているからそうなるのであろうが。
壮年の男を含む三人がコミカルに口を塞いで、息が苦しいせいかそれとも少しでも吸ったかも知れないという事実からか、顔を青くしてるのは何とも笑いを誘う姿だ。
「安心するが良い、人は体内の穢れたマナを息と共に吐き出す自浄作用も強いからの。この程度の量ではせいぜい体の弱い者が、体調を崩して臥せる程度じゃ」
「ねえや、例え体が弱い者でも臥せるなら相当じゃないかな」
「ここにはそんな者は居らんじゃろう? それに見たところスライムも居らんようじゃし問題はあるまい。なればあとは草木が浄化してくれるじゃろう」
「粘塊が? ここには沼などありませんが? セルカ様」
「ん? うむ、粘塊と言うたが、こういう戦場など一度に大量に死んだ所に出て来る粘塊によく似た忌まわしき獣の事じゃ」
「ふむ? 昔の戦争の話などは代々伝わっていて幼少の砌よく祖父などにねだったものだが、そんなモノが出たという話は聞いたことがないが」
「戦場となるのは平原などの開けた場所であろう? そんなところでは、スライムが発生する程マナが淀まぬからの」
「なるほど……」
正直に言えば、こちらでは闘技場の様な閉所で一国の民すべてが、憎悪を持って殺し合うなどしなければスライムの一匹も発生しないだろう。
それほどにこちらのマナは薄い、たまたまこの森がカカルニア周辺の森と同じようなマナの濃度だから発生しかけているだけで…。
「辺境伯や、この辺りはいつもこれほどマナが濃いのかえ?」
「む? いや、この辺りの森は確かに昔からマナが濃い事で有名だがこれ程ではないはずだ。まぁ、こんなに奥まで来たことは無いから、今まで気づかなかっただけかも知れぬがな」
「ふーむ、なれば地脈でも当たったかのぉ…なれば多少強力な魔物がおっても不思議ではないの」
極稀に地の下を走るマナの水脈 ―地脈― が間欠泉の如く地上に吹き上がることがある、カカルニアの周辺地域で発生する魔物の氾濫はそれが原因だと最近漸く分かってきた。
だが流す水が少なければ水の流れは弱くなるように、マナの水脈である地脈は地上のマナの量に比例する、ここらのマナの量では例え地脈が地上に吹き出ても、せいぜいマナが濃くなったな程度の影響しか出ないはずだ。
「元来ここのマナが濃いのと、どこぞで地脈が淀んでおったのかもしれんな…」
「先ほどから貴様は何をぶつぶつと呟いておるのだ?」
「いや何、これをやらかしたのは忌まわしき獣、その中でも上位も上位ではないかと思うてのぉ」
「なぜ…そう思うのだ?」
「上位のモノは群れはつくらぬ、なにせ奴らはの食欲は底なしじゃからの会えばどちらかが食われるまで戦う。よう見たらこの豚鬼ども見事に魔石だけは消えておる。つまり魔石を食うたか回収だかしておるのじゃろう。後は魔物同士か冒険者が狩ったかといったところじゃが、見た限りでは同じような状況の豚鬼の死骸しか無いからの。恐らく一方的にやられておるはずじゃ、冒険者は言うまでもないの」
「うぅむ、これは流石に一度戻って援軍を…」
「上位のモノの性質を考えれば確実に一匹な上に取り巻きもおらぬ、そんなモノはワシにすれば赤子の手を捻るより容易い事じゃ」
「しかし、殿下に万が一のことがあれば…」
「体躯の割に小心な男じゃのぉ、ワシが大丈夫というておるのじゃから大丈夫じゃ。いざとなれば本気を出してやるから安心せい」
「うぅむ…しかしだ、その忌まわしき獣の住処は……」
「それも簡単じゃ、ほれ見てみいあの奥…木々が不自然に薙ぎ払われておる、恐らくあの先におるはずじゃ」
ワシの指差す先、件の魔物はそこから登場したのであろう。こちらに向かって幾本もの木が根本からめしりとへし折られて哀れな姿を晒しているのだった…。




