270手間
森の奥へと向かう獣道、それが唐突に途切れ獣道と呼ぶにはあまりにも踏みしめられた範囲が広すぎる道に出た。
それは植生の変化というよりも、何者かの生息圏に入ったのだろうこんな所に住んでいるなぞ豚鬼か小角鬼ぐらいではあろうが。
「ふーむ…? 森の外へ大勢向かったような跡が無かったから、ここらには居らんと思ったのじゃが…」
「言っただろう、ここは冒険者くらいしか近寄らないと。つまり狩るための魔物は居るということだ」
「そうじゃったの。それにしても、ふむ…少なくともこの道はあまり使われておらぬようじゃな…」
この道は何に使っているか知らないが、そこまで頻繁に使う様な場所では無いのだろう、踏み固められてはいるものの最近踏み荒らされたかのような形跡は見受けられない。
「ではこの道を辿って巣に行ってみるとするかの、こたびの騒動は力を付けた魔物の巣が他の豚鬼どもを追い出しただけという可能性も出てきたのぉ」
「よくよく考えれば可能性としては、忌まわしき獣よりそちらの方が順当だったな。全く誰だ、忌まわしき獣だなどと言い出したのは」
「さて誰じゃったかのぉ…。ま、何にせよこの先の巣は潰す必要があるの。あれ程の豚鬼どもを追い出すほどじゃ、相当な規模になっておるじゃろうからの」
「ふははは、それ程の規模の巣を潰すとは何とも雄渾な事だ。だが悪くない寧ろ単純でそちらのほうが好きだな」
巣と言うからには数多くの魔物が居る。だがいくら数が多いとはいえ自分の攻撃が効く相手というのはやはり安心するのだろう、ふっと肩から重しが外れたかの様に辺境伯が豪快に笑う。
そして忘れてはいけないとくるりとカルンとウィルの居る方に向くと、二人共びくりと肩を揺らす。
「数によっては間引きはするが、あとは頑張るのじゃぞ?」
「はい、ねえや」
「わかりました、セルカ様…」
「うむ、よろしい。では行くとするかの」
踵を返し道を先へと進み始めると、辺境伯が上機嫌で先日の豚鬼との戦いでの武勇を語り始めた。
そんなに忌まわしき獣と戦うのが嫌だったのかと、苦笑いしながらその話に相槌を打つ。
「自分には忌まわしき獣より、ねえやが恐ろしい」
「えぇ、本当に…どちらかと戦えと言われれば迷わず自分は忌まわしき獣を選びますね」
「それでのぉ! 落ちたやつを槍の穂先ですくい上げて、ひょいと馬上に戻してやったのよ。その後は――」
何か後ろの二人が言ったようだが辺境伯の声がやかましくて聞き取れなかった…まぁ、ワシにもう一度言ってこないということは二人で何事か話しているだけだろう。
ワシが言うのも何ではあるが、年寄りと言うのはどうも何事かを誇るときは回し車のように、同じところをグルグル回るというのは何処の世界でも一緒らしい。
回す度に聞き手の徳が積まれそうな話しが五回ほど巡った所で、上機嫌だった辺境伯の顔が段々と渋面となっていく。
「うーむ、これは…」
「あぁ、貴様も分かるか」
「閣下、セルカ様。どうかされたのですか?」
先程まで酒でも煽ったのかと言うほどに上機嫌で話していた辺境伯の声音が剣呑さを帯びたのだ、ウィルが堪らず怪訝そうな表情で辺境伯の顔を覗き込みながら聞いてきた。
「ウィルヘルムは気づかぬか?」
「は、申し訳ありません閣下。私には何のことだか…」
「しかたなかろう辺境伯や。ヒューマンに鼻で分かれなど言えぬし、兵としても叩き上げとはいえ新米じゃ、気配を感じろなぞ厳しかろう」
「ふむ、それもそうであるな。いかんな歳を取ると、どうも自分を基準にして考えてしまう」
「それは歳なぞ関係なく大概の者がそうであろう?」
「それでねえや、何があったの?」
話が逸れそうだったところへ、絶妙なタイミングでカルンが話を向けてきた。
「おぉ、そうじゃったそうじゃった。簡単に言えばのぉ、腐臭がするのじゃ」
「腐臭? 森の中だし動物の死骸が腐っててもおかしくはないんじゃ?」
「それもそうなのじゃが…量が尋常ではなさそうなのじゃ、まるでひとつの町か村の住民全員を打ち捨てたかのような…」
「戦闘でそうなったのであれば、そういった気配はするはずだがそれもない。あとは病で滅んだか…だとすればあの豚鬼どもはその病から逃げるために?」
「さて、それは行ってみんと分からんからのぉ。ワシとカルンは大抵の病に罹ることは無いからいいのじゃが、お主らは…」
「はははは、今まで風邪一つひかぬことが自慢だからな、心配することはない」
「私もですセルカ様」
「疫病の類であれば…うーむ、しかしここに置いていくのも危険じゃしのぉ」
しばし逡巡し、目に見えぬ危険よりわかりきった危険の方がリスクが高いかと、結局今まで通り四人で進むこととした。
腐臭が強くなる方へ眉間の皺を増やしながら進めばついに、かなり大規模な集団が住んでいたであろう場所へたどり着いたのだった…。




