266手間
ダカカッダカカッとテンポ良く、平原を馬の駆ける音が五つ辺りに響き後ろへ流れていく。
一つは当然ワシの駆る馬、正直ワシの方が馬より足が速いので降りたほうが速いのだが…。
更に言えば獣の姿になればもっと速い。最後に変わったのがどれほど前かは忘れたが、そのときには大人二,三人乗せても大丈夫なほどの大きさだった。
だが服という問題が残っているので今回は無し、というよりも…そもそもそういう事が出来るということは言っていない。
さて四つの音の内、二つはカルンとウィル、ワシが森への最先鋒として向かうと聞いた際、頑として同行すると言って譲らなかった。
自分の実力を過信してなどという理由であれば、ひっぱたいてでも置いていっただろう…。
下手をすれば何日も森の中に居ることになる。何故ワシがカルンの側に居るのかという事を引き合いに出されては頷く他無い、むしろカルンの方が正しい。
そうするとウィルが着いてくるのは必然となる。カルンにやむにやまれぬ正当な理由があるとはいえ許可を出した手前、断ることも出来なかった。
あと二つの片方は、ワシらが森に入る際に置いていく馬の世話係の兵、森の手前で馬五頭引き連れて一人残るのは危険だが。
四半刻もしないうちに、後続が続いてくるのでそれらと合流しその中の、同じ役割の者たちと彼は暫くここに留まりワシらの帰りの足の安全を確保する手筈となっている。
そして最後の一つ…レクタリス辺境伯率いる王軍の中から一人、腕の立つやつを寄越すという話だったのだが……。
まさかのレクタリス辺境伯本人が来るとは夢にも思わなかった、「殿下が征くのに、私が征かなくては辺境伯の名折れ」と…あぁ、ウィルも似たようなこと言ってたな。
そんなこんなで平原と山脈との間に引かれていた、濃い緑の線は見る間の内に迫力を増し、深い森が姿をあらわした。
その森から少し離れた場所、森から何かが飛び出してきても、集団が十分逃げることが可能な距離で馬を降りる。
「さて各自装備を点検した後、行くぞ」
辺境伯の号令の下、各々森の中に行くということもあり主要な部分だけを金属で軽鎧と、食料が入った背嚢と最低限の水を入れた水筒、最後に佩いた剣を確認している。
ワシはといえば袖のないお腹が丸見えの服に胸だけを庇ったチェストプレート、下は膝上丈のパンツに愛用のグリーヴ。
そんな格好で森の中に入るなよと思われそうだし、実際言われたが枝葉程度では柔肌に傷一つ付かない。
何より軍学校に入って以来カッチカチに着込んでばかりだった、なのでこれ幸いとカルンの世話をする以前の格好へと戻ったのだ。
更に彼らよりも持っていく食料も少ないし、水に至っては携帯すらしていない。
そも食料は腕輪の中に大量に入っている、水は法術で無限に用意できる。そんなワシと同行する彼らが水を持っているのは万が一ワシとはぐれた際の用心のためだ。
そんな適当な中でも、薄緑の刀身がシャムシールの様に曲がったこの剣だけは丁寧に点検する。
「ほう…珍しい形の刀剣だが…薄緑の金属とは初めて見た…何という石なのだ?」
「うむ? これかえ? ミスリルというやつじゃな。マナの通りが段違いなのじゃ」
「なっ! ミスリルだと!」
興味深そうに除いてきた辺境伯が、ワシの答えにザッと一歩引き下がるほどの勢いで驚いた。
そう言えばこちらではミスリルとは伝説の存在だった。これほどマナが薄い地域なのだ。そもそもの晶石が採れないのだろう。
「不躾な願いだとは分かっているが…魔物でも出たら一度その剣を使わせてはくれまいか」
「ダメじゃな」
やはりと言うか伝説の金属で造られた剣と言うのは男心をくすぐるのか、ばっさばっさと尻尾を揺らしながら辺境伯が興奮気味に聞いてくるが、ワシはそれを素気無く断る。
「そう…か…いや、当たり前であるな。国宝や神殿に奉納されてもおかしく無いほどの品なのだ…私ごときでは触ることすら」
「いや、国王が頼んでも断るのじゃよ」
「陛下の願いでさえ…か?」
辺境伯という身分を振りかざして来ないのは好感が持てるが、例え権力を振りかざそうとカルン以外にこれを触れさせることはありえない。
顔はそこまで落ち込んではいないのだが、尻尾と耳がこれでもかというほどシュンとしている。
壮年の男がそんな反応を…と思わないでもないが、尻尾や耳の動きに関しては呼吸をするレベルでの無意識なので仕方がない。
「うむ、大事な物ということも大いに大いにあるのじゃが、何より危ないのじゃ」
「危ないとは?」
どういうことだと顔に皺寄せる、辺境伯の脇から見えるウィルの顔には苦笑いが浮かぶ。
実は先日似たようなやり取りをカルンとウィルもやったのだ、魔物を斬らせてくれではなく素振りをさせてくれというカワイイものだったが。
剣を握らせるのはどちらが先でも良かったのだが、「やはりここは殿下から」と臣下の鑑の様な態度でウィルが先を譲り、カルンが普通に剣を振るったのがいけなかった…。
カルンが満足しウィルに剣を手渡した途端、ガクリとウィルが膝を折ったのだ…明らかに剣が原因とわかったのですぐにウィルから剣をひったくると、全力疾走した後かの様にウィルは肩で息をしていた。
「――という訳での、ミスリルと言うのは恐ろしくマナの通りが良いのじゃが、ワシやカルンの様な者でないと即座にマナを吸い取られてしまうのじゃ」
「なるほど…樽に弁の無い蛇口を取り付けるようなものなのか」
「上手いたとえじゃな、その通り蛇口に合った弁は樽の方で用意せねばならぬというわけじゃ」
「それは鍛えればどうにかなるものか?」
「感覚的なものじゃから、腕力の様に鍛えれば必ずとは言えぬが多少は成果はあるはずじゃが、これに関しては幾ら鍛えても無駄じゃの」
「それはどういうことだ?」
「ねえや、それはちょっと自分も気になるな」
「あぁ、カルンは大丈夫じゃ。問題は他の者じゃな、先程の例えに合わせるのであれば蛇口と弁の大きさが合っておらん、鍛えてどうこうなるのはほんの僅かな弁の大きさと、開け閉めの上手さだけじゃ」
まさかミスリルにこんな欠点があったとは思いもしなかった。カカルニア周辺では宝珠無しが触っても特に問題はなかったのだから。
ウィルですら膝をつくくらいだ、普通の人では下手をすれば死にかねない。ますますこの剣の取扱に気を付けねば。
「なるほど、しかしその剣を殿下は御使いになることが出来ると」
「そうじゃな」
「では、立太子された暁にはその剣を…」
「それは王が決めることじゃ気が早い。それにこの剣は誰にもやらぬ! じゃが…すでに一振りやっておる」
カルンの方を向けば心得たとばかりに佩いた剣を鞘から抜くと、平原へと降り注ぐ陽光に掲げられた薄緑色の刀身が、どの様な緑よりも青々と煌めくのだった。




