265手間
忌まわしき獣、忌むべきもの…この地方に残る昔話や御伽噺の仇役、鬼や悪魔の様な存在。
しかし、それがお話上ではなく実際に居るというのが大きな違いだが。
この忌まわしき獣、お話に出る頻度は高いがそれに反して、親が脅し文句に使う程度には実際の遭遇率は低い。
大抵の人は出会うどころか出遭ったと話に聞く事すら無いだろう。実際はもっと出遭ってるかもしれないがそんな人はもう世界樹の許に還っている。
御伽噺の忌まわしき獣は黒いとしか描写されないが、実際に遭った者の証言も御伽噺とそう変わらない。
剣も槍も効かぬその身は、腐った皮の様に崩れているものから、あらゆる獣を無理やりかけ合わせた様な見た目のものまで。
前者はいくら刺しても死なぬという、後者はそも槍も剣も文字通り意味を為さず矢など言うまでもない。
その両者の共通点は黒いということ、特にあらゆる獣の荷姿の忌まわしきものは闇を切り取ったかの様と表現されるほどの……。
うむ、見事なまでに魔獣と魔物の特徴である。
あいつらはマナを籠めた武器でなければまともに戦えない、だからこそハンターになる条件に宝珠などがあるのだ。
強力な魔法を使うにはそもそも宝珠が必要だし、武器にマナを籠めるにも宝珠が必要なのである。
やろうと思えば別に籠めること自体は出来るのだが、全力で運動している最中に息を吐き続ける所業と言えば、その困難さが分かるだろうか。
止まって集中している状態でそれなのだ、戦闘中にやるなぞ語るまでもない。
だからこそ魔導器と言うのはすごいとも思う、凄まじいまでの高効率…わずか一滴の油で一晩中部屋を照らすと例えても良いほどの。
その高効率故の弊害か、ワシのようにマナの量も出力も強いものが下手に使うと壊れてしまうのだが…ワシ程の者になれば壊さず使うことも出来るのだが正直殴ったほうが早い。
剣と槍の魔導器は単純に威力を高めるための代物で、魔獣に一撃を与えうるかと言えば否としか言えない。
精々怯ませる程度だろう、魔物に至っては何の痛痒も感じさせることは不可能。
それは何故だと聞かれても、例えること自体は可能だがこの世界にその例えを理解できることが居るかどうか……。
カイルならば理解できそうだが、場合によっては理解できそうにないな…。
要は物理無効のやつに幾らレベル上げても物理では倒せないと…そういうことだ。
では何故ハンターが戦えるのかと言えば、無意識で武器に籠めているマナのお蔭。もちろん意識して行えば威力も上がる。
「しっ! しかし、閣下。本当に居るのでしょうか…」
「居るとは断言できんが、居ないとも断言できぬ。それに居るとしたら確実に山脈のこちら側だろう」
「確かにそうではありますが…けれど、何故こちら側にいると?」
「皇国側で見られた豚鬼どもの数だ。貴様とて咄嗟に逃げる時は険しい山脈などではなく、逃げやすい平原を選択するだろう? 特に大人数の時なぞは」
見つかってない時であれば険しい山脈に逃げるというのも手ではあろうが、既に見つかっていたら少しでも逃げやすい方に行くのは当たり前かもしれない。
「何にせよ森林で大規模な火災が起きたという報告も受けてないし煙も上がっていない。それであれほどの規模の豚鬼が動くとなると……」
「忌むべき獣が出たと考えたほうが良いと……」
「うむ、杞憂で終わればいいが、覚悟しておいたほうが良いだろう」
「はっ! 兵士諸君には手紙を書くよう言っておきます」
「頼んだぞ」
一足先に覚悟を決めたかの様な顔つきで、「手紙を―」と言っていた士官が天幕から確かな足取りで出ていく。
「さて聞いていた通りだ、可能性の問題とは言え話に挙げねば為らぬ程の可能性ではある。訓練兵諸君は早急に王都へと戻り王に援軍の要請を伝えて欲しい」
「嫌じゃと言えば?」
「命令不服従として…王都に強制送還といったところかな?」
実に穏便で冗談めかした回答ではあるが、逆らうことは許さぬといった圧力を感じる。
だが小童の虚仮威しなぞワシには効かぬ!
「ほほう、ワシがその忌まわしき獣を狩ったことがあると言ってもかの?」
「なにっ!」
辺境伯ではなく隣の士官が声をあげる、辺境伯も片眉を上げているので少なくとも内心は驚いているのだろう。
「ワシはその忌まわしき獣の天敵の様な存在じゃからな、なんぞあればさっといってさっと成敗してくれるのじゃ」
「強いことは知っている、豚鬼どもを一瞬で消し炭にしたことも報告を受けている、だが流石にそれは信じられんな貴様の話だけでは部下の命を預けられん」
「道理じゃな、ふーむしかし…うむ、王子を預けるくらいじゃし信用してもよいじゃろ」
「何の話だ?」
辺境伯も周りの士官も、信用云々の話は此方のことだろうとわかりやすく訝しんだ表情をしている。
「お主らは口は硬いかの?」
「ものによるな…部下を鼓舞するためなら饒舌にでもなろう」
「国王がまだ話しておらんことじゃ、折を見てまず兵には話すと言うておったがの」
「なれば…そのことに関しては口は存在しない」
王子のお側付きであるワシの言葉故か、こちらはあっさりと信じてくれた。
辺境伯の言葉を聞き周りの士官も頷くのを見て軍服の右袖と右肘にあるボタンをはずす。
すると二つに分かれた右腕の布はぱさりと右脇腹へと垂れ、右腕が肩口から露わになる。
この仕掛けの構造は単純、右腕となる筒状の布を二つに割ってそれをボタンで止めていただけだ。
「これが忌まわしき獣の天敵たる所以じゃ」
「……忌まわしき獣に似た色だが……おぞましさは感じない…な…」
「ふむ? 見たことあるような言い方じゃな? 確かに似ておる色じゃが、こちらの方が圧倒的に強そうじゃろ?」
「昔のことだ、今思えばあれが忌まわしき獣だったかすら確かではないがな、父上…先代の辺境伯と共に行った森での狩り、その時に見たのだ…」
ワシのジョークを無視して辺境伯は語り始めた…。
「そろそろ傾き始めようかという頃、ふと視線を感じて振り返った遠い木立の間から暗い森の中で尚暗い狼ほどの大きさの獣の姿を…いや、視線すら此方に送ってなかったのかもしれない。ただただ…おぞましさだけ故に気づいただけで」
「う…うむ、確かに奴らは一種独特の気配とでも言えばよいのかのぉ。そういうのを持っておるが、襲って来ぬほど遠くまで届く気配となれば相当なものじゃろうが…その後どうなったのじゃ?」
「勿論父上に言った、幸い向こうに見つかって居ないということもあって、しばらくの間森に入らない様にという布告を出すに留まったが…お蔭で兵にも民にも被害なくやり過ごすことが出来た」
「ふむ? それはどうしてじゃ? 討伐に行けばよいじゃろう?」
「確かに奴らは食ってきた命と同じ大きさの魔石を持っているが、しかしそれでも割に決して合わぬ程の被害が出るからな、何故か奴らはいつの間にやら居なくなるから見つかっていないのならば放置するのが一番なのだよ」
「あー…なるほど、そういう事かえ」
「そうだ…が、まるで居なくなる理由を知っているようだな?」
「そうじゃな、奴らの体は…あー…うむ、水で出来てると考えれば良い」
カカルニア周辺ではマナが濃いため、体を維持するだけなら漂うマナだけで十分だ、しかしラ・ヴィエール周辺などのマナの薄いところでは、マナで出来た体を維持することすら困難なはずだ。
だがマナが…と言おうとして、そう言えばこちらはかなりマナへの信奉が強いから悪く言うのは良くないだろうと、咄嗟に水と例えてしまったがなるほど意外と悪くない例えだと思う。
「もちろん例えじゃ、奴らは…そうじゃの泥水じゃ、故にそれを少しでも薄めようときれいな水を持っておる人や他の獣を襲うのじゃ」
「なるほど…しかしそれの何処に居なくなる理由が?」
「雨に濡れた土もしばらくすれば乾くであろう? それと同様、泥水で出来た奴らも乾くのじゃ。もちろん他の生き物から水を補給すれば幾らでも存在し続けれるのじゃが獣とてバカではない、そんな危ないモノが近くに居れば逃げる、すると奴らは水を手に入れれなくなる…もちろんこれは例えじゃから泉で喉を潤すことも出来んしの」
「なるほど…得心がいった……ふむ、その話広めてもいいかな?」
少し目を閉じて考え込んでいた辺境伯がそんな事を口に出すが、流石に右腕の事を勝手に広められては困る。
「水の方かえ?」
「もちろん、そうだ。しかし先程の天敵という話だったが、つまりその右腕は水を乾かすことが出来ると…そういう風に考えていいのかな?」
「うむ、そうじゃな」
「だが…ふむ、天敵と言っても放置しておいたほうがいいか…」
「止めておいた方が良いじゃろうなぁ…どれほどで乾ききるか分からぬ、それに豚鬼があれ程逃げるのじゃ、相当な水の量じゃと思ったほうが良いじゃろう」
「そう…か、確かに狼程度の大きさでも一期は森に入れなかった、それ以上居た場合は…」
「小さな水たまりであればすぐ乾くが、池は…どうじゃ?」
「期待は出来ないということか」
「奴らは水に対しての鼻が利く、ワシは大量の水を持っておるからの」
「貴様を集中的に狙うと…?」
「うむ、お主らとは持っておる水の量が比較にならぬほどじゃからな、間違いなくワシを狙ってくるじゃろう…お主らに取っては忌まわしき獣じゃろうが、ワシにとっては甘い蜜を湛えた花に誘われる哀れな獣よ」
むふーと鼻息荒く胸を張る、辺境伯がぼそりと「綺麗な花には――」などと小さな声で言ったが、綺麗な…と例えた事に免じて許してやろう。
最大の懸念への対応策が出来れば後は話が早い。兵の疲労を鑑みて二日の期間を空け、森の調査および豚鬼残党の討伐若しくは巣の捜索に向かうことなるのだった…。




