261手間
ワシの指示で倉庫を見に行かせていた侍女が、一振りの木剣を持って帰ってきた。
うやうやしく腰を折り、差し出されたそれには案の定と言うか刀身の根本、鍔に沿うように中ほどまで切れ込みが入れてあった。
「これ一本だけだったかえ?」
「はい。全てを確認しましたが、明確に何かされておりましたのは、こちらだけになります」
「ふむ…いたずらにしては手が込んでおるが、嫌がらせにしてはお粗末極まりないのぉ」
ちゃんと見れば切れ込みが入っているのが分かるが、気にしていなければ分からない程度には薄い刃物で切れ込みを入れたのだろう。
使用する前にじっくり検分しなければ、訓練の途中で折れる危険性に気が付かないに違いない、それをやらかしたのがワシではあるが。
訓練用の木剣は槍や大剣のモノに比べれば使用頻度は少ない。
とはいえ数もそれなりにある上に、ここに来ることが出来る者であれば誰でも使用する可能性がある。
今の時期は槍を主体にした訓練ばかりなのである程度は、使う人が絞られるがわざわざこんな事をする意味があるのだろうか。
折れて怪我したところでここは軍の施設、なので怪我など当たり前どころか…文字通り死ぬ程きつい訓練だってある。
ちなみにワシら以外の者達は丁度今頃その死ぬ程きつい訓練の一つ、一騎打ちの訓練中だ。
ここでの戦争とは、集団戦を主としているが個の武勇で持って勝敗を決することもある。
訓練の内容から分かるように、司令官や将の一騎打ちによる勝敗がそのまま戦争の勝敗に帰結することも珍しくはない。
もちろん一騎打ちで勝ったからこの戦争こっちの勝ちな!などということではなく、士気の上下によるものではあるが。
歴史書の中には度々、一騎打ちが戦の分水嶺であったと書かれてることからも、一騎打ちの重要性が分かると思う。
では何故その重要な訓練にワシらが参加していないかと言えば、この訓練は本番同様に鎧を着込んで訓練用とは言えそれなりに重い訓練用の魔導器の槍を利用する。
だから怪我など当たり前、打ち所や落馬した際に運悪く命を落とした者も過去にはいるので、そんな危険な訓練は王子にはさせられない。
という訳ではなく、ワシらが強すぎる為だ。
ワシは長く重い槍をそこらで拾った木の棒のように振り回しことごとくを打ち倒し、カルンはそこまでいかずとも宝珠持ち故の優れた能力を遺憾なく発揮して勝ちを拾う。
ウィルヘルム…ウィルも辺境伯軍一の槍の名手の名に恥じることなど一つもない、無双ぶりを発揮してくれた。
そういう輩を相手にするのも十分訓練にはなるのだが、今それは時期尚早だと教官から自主訓練を言い渡されたのが事の発端だ。
折角だからウィルとまだ模擬戦をしたことがなかったので、ウィルの懇願もあり丁度いいとやり始めたのだ。
「セルカ様。このような程度の低いことをしてくる輩の事に頭を悩ませるよりも、先程も言いましたように剣の手ほどきをして頂けませんか?」
「ふむ。それもそうじゃな、では木剣を……」
「すぐにお持ちします」
ウィルもなかなか辛辣なことを言うが、確かにその通りだと三人分の木剣を取りに行こうかと倉庫に足を向けた途端、言葉と行動を遮るように侍女が一言お辞儀と共に残して小走りで再度倉庫に駆けていく。
「木剣の事は侍女に任せて、手に慣れさせる程度でしか剣に触ったことは無いので何か心得があれば、今のうちに教えて頂けませんか?」
「んむ、ではカルンも聞いておくのじゃぞ。と言ってもワシも本格的に誰かに師事したわけでもなし、大したことは言えぬがの」
真剣に話を聞く姿勢になった二人に昔教師の真似事をしていたことを想い出し、思わず言葉にも力が入る。
「まず第一にじゃ、お主らにとって片手で扱えるような剣とは、補助の武器であり逃げの武器であるのじゃ」
「補助は分かるけど、逃げのってどういうこと?」
「んむ、お主らであれば槍を得物とする訳じゃが、これが使えぬ状況とはどの様な時じゃ?」
「槍が使えないような狭い場所や、槍を手元から失った時でしょうか」
「ウィルの言うとおりじゃな、前者はある程度予測がつく故に心構えができるのじゃが。後者は不測の事態じゃから、基本的には危ない状況じゃ。その時に丸腰であればどうか…相手が魔物であろうと人であろうと武器を持ってるものと持っていない者がおれば、持っていない者を狙うのは当たり前じゃな。けれどもここで剣を使えれば、多少は相手に二の足を踏ませることが出来るし、魔物相手であれば返り討ちにも出来るであろう。要するにそういう時、安全に引くための武器というわけじゃな」
「でも、逃げるのは恥じゃない、ねえや?」
「一騎打ちであればそうじゃろうが……命あっての物種とも言うしの。引けば体勢も整えれるし武器だって新しく用意もできる。しかし、そこで死ねば恥を雪ぐ機会すら無くなるからのぉ…」
「たしかにそうですが、逃げること前提で剣を覚えるのは…」
「その気持は分からんでもないのじゃが、何度も言うようにワシは剣術を知っておる訳ではないからの。剣で槍に勝つ方法など知らんのじゃ」
両手で扱うような長い剣ならともかく、片手でも扱えるような長さの剣で槍に勝つなど余程力量に差がない限りは無茶無謀極まりない。
「お待たせしましたセルカ様」
「うむ、ご苦労じゃったな」
丁度その時侍女が三本の木剣を持って帰ってきた、その内の一本を受け取るとそのまま侍女に二人へと剣を渡させてから、素人ながら簡単には使えるようにしてやろうと早速構えをとらせる。
「片手でも扱えるとは言うものの、それは盾などを持っておる場合の話じゃ。基本的に両手持ちじゃ、それを体の真正面に持ってきて剣先を相手に向ける中段の構え。ここからであれば相手の剣や槍を防ぐのも早いからの」
いわゆる正眼と言うやつである、剣の構えで初心者にもと思えばこれしか知らないから教えるが、攻防共に隙きの少ない構えであろうことは疑いようが無いだろう。
「ここからあまり大きく振りかぶらず、相手の攻撃の出かかりを潰す事に集中するのじゃ。そも得物を持っておらん時点で不利、倒すことは一先ず考えずに生き延びること最優先じゃ」
正直、攻撃の出かかりを潰すなぞ素人には無理なのだが、この二人の目の良さと能力であれば素人剣術でも十分可能だろう。
その後も素人ながら思いつくことを教えていったが、他の者の訓練が終わる頃にはなかなかどうして様になっていると言えるくらいには上達した。
元々二人共ズブの素人というわけでもなし、ワシの教え方というよりも二人の才能のおかげであろう。
もし二人が将来剣を本格的に学ぼうと誰かに師事した時に、ワシの教えたことがおかしくても散々言ったがワシも素人なのだ許して欲しい。
「うむうむ、二人共なかなかのものじゃ。あとは槍を使う時に変な癖を持ち込まん程度にやっておればよかろう」
「ですがセルカ様、これくらいではセルカ様の剣に追いつける気が…」
「そもワシは剣が得物では無いからのぉ、これ以上を望むのであれば誰ぞ剣を修めた者に習った方が良かろう。ワシの剣なぞ身体能力だけに頼った乱暴なものじゃからの」
「そうですか…」
カルンはそもそも剣にそこまで興味が無いのだろう特に反応も無く、ウィルもきちんとした教えが出来る師に付く意味を知っているからか大人しく引き下がった。
「ま、多少でも使えるものが大いに越したことはないのじゃ。打ち合い位は何時でも付き合うからの」
「ありがとうございます」
日に日にウィルのワシへの敬意が増している様な気がするが、それよりもワシとしてはカルンと仲良くして欲しいな等と考えるのだった…。




