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女神の願いを"片手ま"で  作者: 小原さわやか
女神の願いでもう一度
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245手間

 自失とまではいかないものの、ベッドから上半身だけ起こし上にかけてあったものが滑り落ちるままに呆然とする。

 東側の窓、閉まりきっていないカーテンの隙間から漏れる朝日に目を眇め、漸く頭が再起動する。

 ベッドの縁へと移動してサイドチェストに置いてある水差しから直接水を飲み、心の中のもやもやを追い出すかのように大きく息を吐く。


 いくら見回してもカカルニアの…見慣れた我が家ではない。

 大して豪華ではないが、さりとて貧相というわけでもない、充てがわれた乳母滞在用の部屋だ。

 ここはラ・ヴィエール城の北宮、いくら目を瞬かせても頬を叩いてみてもその事実は変わらない。


 寝室にある扉の一つ、その先からは泣き声も何も聞こえないのを確認し、今度こそ溜め息をついてベッドから少し勢いをつけて飛び降りる。

 乳母用であるからして直接寝室から赤子の…カルンの寝ている寝室へと繋がっている。

 赤子が落ち着き他の者にもある程度慣れたからこそ、今は別々の部屋に寝ることになったのだ。

 正直まだ一歳だ。もうちょっと一緒に寝ても良いとは思うのだが、王様のご指示なのだ。倣うしかないだろう。


 寝室から連なる三つの扉、その内の一つは風呂場へと続くもの物音がするはずはない。

 ワシからすれば古典的とも感じる猫脚バスタブで、自らお湯を運び入れねばならないとは言え、法術でお湯使い放題なワシからすれば些細な問題に過ぎない。

 それよりも排水口完備というのが素晴らしい、窓の下の人を気にすること無く水を捨てれる事のなんとありがたいことか。


 そして三つ目の扉、この先は居間だ。食事や来客の対応、寛いだりするための部屋。

 さらにそこからは簡易キッチンと本来は侍女などが待機するであろう部屋と廊下へと繋がっている。

 ワシには専属の侍女なぞ居らんし、食事は毎食用意されるのでキッチンも使ってはいない。

 こちらの居間も音はしない、いつもであれば朝は赤子の世話をしてから遅めの朝食を取る手はずになってるので、恐らくそこまで寝坊したわけでも無いだろう。

 赤子の方もまだ起き出した気配は無いので、もう少しゆっくりするのも良いだろうとベッドの縁に腰掛けたまま上半身をベッドの上に投げ打つ。


 背中に感じるのはふかふかとした感触、ベッドもそうだがこの部屋自体どう考えても乳母に充てられる代物では無い。

 けれどそこは弟の様子見がてら、同じところに住んでいて遊びにと言うのも変だが、部屋に来たシャクアに教えてもらった。


 この部屋に住む乳母は将来、王となる王子 ―つまり王太子― の乳母の部屋である。

 厳密には乳母が必要とされる状況では立太子されないので、王太子候補の王子と言うのが正しいか。

 王が次世代の王に相応しくないと判断すると、容赦なく廃嫡されるというのだから何とも厳しい世界だ。


 ともあれ、そんな止事無き身分の乳母故に庶民の出をと言うわけにもいかない、ワシは例外中の例外。

 本来であれば乳母自体も身分の高い者が選ばれる故、この様に豪華な部屋になっているというわけだ。

 ワシがここに居られるのも王子の特性と、王家の正当性を担保している人…エレーナの紹介あってこそだ。


 それに加え実は女神教の後押しもある。女神の御使いの証ある者だからと言う理由で、要は聖人扱いされてるわけだ。神殿から。

 だから女神教を国教としている王家は、逆らえないという事はないが無視もできないと。


 それに…此方では誰もその事実を担保してくれる者など居ないが、元とは言えワシは紛うことなき公爵夫人…王子の世話をする身分としてはこれ以上ない程だろう。

 カカルニア王国が興った当時は、言葉遊びに近いものだったが今やカカルニアにおいてカルン公爵家の権威は揺るぎないものとなっている。

 それもこれも建国時から長らく公爵位にいたカルンと、カルン亡き後もふて寝していたとは言え当時から生きているワシが居たせいで様々な所から調停者として期待され、カルン公爵家に恩義ない家など無いと言われるほどになっていたからだ。


「あー…となると…エドワルドにその辺り教えたほうが良いかも知れんのぉ…」


 まず起きないとは思うのだが、ワシが此方に飛ばされた様にうっかり何かの拍子で向こうとこちらの交流が可能となってしまうかもしれない。

 その時にこちらのカルンが王に即位してたり立太子してたら、いらん火種になりかねない。


「はぁ…それにしてもよりにもよって、よりにもよってな名前を付けてくれたのぉ…あのヒゲモジャめ」


 港街の神殿でワシを案内してくれた教皇風の髭の老人…それがカーミラの言っていた女神教の最高司祭で、それがこちらまで出張ってくるとは…。

 カーミラの言いようから王都の神殿こそが総本山だと思っていたのだが…港街の神殿がその役割を果たしていたらしい。

 つまりカーミラがはしゃいでたのは…端的に言えばミーハー精神…いや若者らしいと言えばそうなのだが実際そうだし…。


 思考があっちこっちに行っていると、不意に隣の部屋から不安そうな泣き声が聞こえてきた。

「こーこー」と言う呼び声で母性本能を揺さぶる、実に不安そうな声が。


 慌てて隣の部屋に行けば既に部屋にいた困り顔の侍女と、まだワシが目に入っていないのか「こーこー、こーこー」と泣く赤子。

 この「こーこー」という言葉、意味はさっぱりなのだがどうやらワシの事を指しているということだけは分かっている。

 どう言う意図を持ってそう呼んでるのか分からないのはちと気になるが、それでも「まんま」と呼ばれないだけましだろう。


「カルン様、こーこー来ましたよー」


「ほれほれ、どうしたのじゃー」


 ほっとしたような侍女の言葉に合わせベビーベッドを覗き込めば、今まで泣いていたのが嘘の様に嬉しそうに「こーこー」と言いながらワシに手を伸ばす。


「ふむ? お腹が空いて泣いておった訳では無いようじゃの」


「恐らくですが…昨日名付けの儀式が終わったと、セルカ様が心ここにあらずと言ったご様子でしたのが心配だったのでは?」


「むむ、赤子に心配される程じゃったか…」


「私どもが話しかけても生返事ばかりで…何かあったので?」


「うぅむ…儀式自体に不備は無かったのじゃが…まぁワシ個人の問題じゃの…」


「お聞きしてもよければ」


「気持ちはありがたいが……意外と大きい問題での、まずは国王に話をしておきたいのじゃが渡りは付けれるかの?」


「かしこまりました」


「うむ」


 そう言って優雅な所作を持って部屋を辞する侍女を見送り、すぐに構ってもらえなかったのがよほど不満だったのかぷっくりと頬を膨らませたカルンの額を人差し指で軽く小突く。


「カッコつけた腹いせは、このぐらいで許してやるのじゃ」


 カカルニア側で言われる、同じ名前の者には輪廻した魂が宿っていると言う考えは、人が名付けている以上こちらでは当てはまらないのだろうが、それでも何の因果か同じ名前になった赤子の頬をひっぱたく訳にもいかない。

 ただ今は何となしにまた会えたという奇妙な嬉しさが胸からこみ上げ、瞳に光るものを赤子に見られる訳にはと、赤子を…カルンを抱き上げてその暖かくふっくらとした頬に濡れた頬で頬ずりするのだった…。

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