243手間
日に日に重くなっていく体重を膝の上で感じつつ、後ろから赤子を手を補助しながら随分と固くなった離乳食を食べさせる。
王都に来る途中や王城に来てからは、環境の変化によるストレスか母乳以外口にしなくなっていて心配していたが、この調子ならもう少しで完了期のモノに変えて良さそうだ。
さらに最近ではワシ以外のお世話役の侍女にお気に入りが出来たらしく、彼女が当番の日はワシが長く書庫に籠もっていても、ご機嫌が悪くならなくてありがたい。
もう間もなく名付けの儀式を控え、近頃のワシの読み物はもっぱらこの国の国教である女神教の書物を漁っている。
また折角、麓に神殿があるのだからとカーミラの伝手を頼りに、神官達からも色々話を聞いたりしている。
当然だが麓の神殿と行き来するには大回廊を登り降りする必要がある、そして王城の一部とされるが門の外にある神殿へ向かうためには王の許可が必要だった。
その為、その許可を取った時に大変だろうからとリフトの使用も許してもらったのだが、私用でわざわざ使うのも気が咎める上にめっきり運動不足だからと毎回階段で登り降りしている、それに徒歩のほうが圧倒的に速い。
当初、この階段を行き来する度に息一つ乱さず汗の一滴もないワシを、反応こそ大きく無いものの驚く近衛の表情が面白かったのだが、最近はそれも無くなってきていてつまらない。
それはさて置き、文字通り足繁く通ったお蔭で結構な知識を仕入れれたと思う。宗教の違いというのは往々にして戦の原因となるのは此処ではないどこかの歴史に鑑みても明らかだ。血濡れて錆びつくほどに。
この世界でも…いや此処では同様だった。よくよく考えてみればカカルニア周辺でその手の事が無かったという方が異常なのだ。
そもそもアチラは神木ご本尊どころではない、神様そのものが居てしかもどの地域からでも簡単に見れたから信仰に揺らぎなどなかったのだろうけど、教えが戒めではなく道徳と寛容だったと言うのも大きいだろうが。
西多領はあの時、王になった者の気の迷いだったのだろう…緩やかに元の教えに戻りつつありワシが此方に来た辺りでは、至上主義ではなく優位主義くらいにはなっていた。
だが此処では教えの歴史は血で綴られた書物を紐解くと言って相応しいもの。元は都市国家群が戦争によって統合されて出来た国、最初の一歩こそ土の上を踏んでいたがそれ以降は屍を踏み越えるに相応しい歩みだった。
それは国教である女神教にも影響を与えており、他の宗教の弾圧に始まり改宗強要、叩けば埃と言うが埃を血で固めて歴史と名付けたのではないかと首を傾げる程。
と言ってもそれは裏の歴史、流石と言うか何なのか普通この手の話は葬り去りたいと思うのが人情だろうに、しっかりと王家の書庫に保管されていた。
それをぽっと出のワシなんかに閲覧許可を出して良いのかと再度首を捻ったが、深く考えてもしょうがない赤子に教える時は分別が付いたときが良いだろうと、問題を棚上げする事にした。
肝心要の表の歴史だが意外や意外、流石に後暗い事は隠していたものの教えの違いで血が流れた事は隠していなかったのだ。
王家の歴史書に鑑みて、内乱と呼ばれるものにしばしば教義の違い等を大義に託けて行われていたのでそれを戒める為なのだろう。
兎も角長々とした教義の要点だけを噛み砕いて言うと、争いの後は仲直りしなさい、争いから学び争いを起こした事を反省しなさいといった感じだ。
とりあえずこの辺りだけ押さえていれば、無用な争いも無いだろうと思考にふけっているとカチャンカチャンと言う間抜けな音で我に返る。
ワシが端から見ればぼうっとしていたのが気に入らなかったのだろう、口周りをべったべたにした赤子が不機嫌そうにスプーンで離乳食が入っていた皿を叩いていた。
「おぉ、すまぬすまぬ。ちゃんと食べれたの…それじゃあ口の周りを綺麗にしようのぉ」
「あーうあう」
頭を撫でて用意していた手ぬぐいで口周りを拭ってあげると、途端にご機嫌になってスプーンを振り回す。
「振り回したら危ないから、やめようのー?」
「あー」
幸い綺麗に食べていたお蔭でスプーンに食べ残しがくっついてはおらず飛び散ることは無かったが、少しでも変な癖になりそうなものは今のうちから矯正しようと、優しく赤子の手を握り顔を覗き込むようにして注意する。
けれど本人は何故注意されたのか…いやそもそも注意された事すら気付いていないかもしれない。構われたと思っているだけなのか押さえられていない逆の手を嬉しそうにパタパタさせている。
今度は機嫌を損ねないよう指で頬をぷにぷにしながら、目下の悩みが解消された時の事を思い返す。
それはこの子の母親の事だ。港街の神殿に居た頃は四六時中ワシが一緒に居たし、ここでもワシだけでは無いにしろほぼ母親とは接触していない。
なにせ療養の為に港街に置いていき、ワシらだけ王都に来たのだから会えるはずもない。
それが先日漸く体調が回復し王都に遅れて戻ってきた。そして本当にその足でこの子に会いに来たのだ。
周りの話を聞く限りこの子と母親が会ったのは産まれた時のたった一度だけ、それでこの子がちゃんと母親を母親と認識してくれるか。
下手したらワシの事を母親だと誤認してないかと気が気ではなかったのだ、それが目下の悩みだった。
そう…だった、ちゃんとこの子は生まれ落ちた瞬間だけ会ったにも関わらずちゃんと覚えていたのか本能か、しっかりと母親を母親と認識してくれた。
常ならばワシが抱いていれば、お気に入りの玩具だろうが侍女だろうが精々片手を伸ばす程度でもう片方の手はぎゅっとワシの服を握ったまま。
だが母親が居る部屋に入り、この子がその姿を見つけた途端ワシの腕の中から身を乗り出さんばかりに両手を伸ばしたのだ。
その反応を見れば確かな言葉は喋れずとも分かろうと言うもの。ワシの手から赤子を受け取り抱きとめる様はこれこそが正しい姿と思えるほど自然なものだった。
彼女は元々病弱の上に、今は病み上がりで以前の姿は見たことがないが、出産から産褥でもかなり体力を消耗したのだろう線が細くあまりにも儚い印象だ。
髪の色は赤子と同じ見事なプラチナブロンド、どうやら赤子の髪色は父親ではなく母親譲りだったらしい。
腰まであろうかという綺麗に切りそろえられた、長い髪の毛の隙間から除く顔は儚げな中にも芯の強い凛とした物を感じ、この面立ちはシャクアへと受け継がれたのか。
様々な面で親子の繋がりを感じ一人頷いていると、やはりと言うかよく持ったと言うべきか赤子が引き寄せたマナに当たり体調を崩したせいで面会は終了となってしまった。
赤子と共に部屋を辞する時にかけられた「ありがとう」と言う言葉が今でも耳に残っている。一応王妃と身分の無い人間という扱いなので早々会うことも出来ないのでその真意を質すことは出来ないが、その言葉に含まれた感情だけで値千金といったところだろう。
「あんな良い母親をもっておるのじゃ、それに見合う良い名前が貰えるといいのぉ」
ワシの言葉の意味を知ってか知らずか、キャッキャとはしゃぐ赤子の頬を突きながら数日後に控えた儀式が無事に行くようにと願うのだった…。




