242手間
赤子の成長と言うのは早いもので、あればあるだけマナを引き寄せていたのが今はかなり大人しくなり、ワシが側にいればマナに耐性のほとんどない人でも近寄れるようになった。
数ヶ月でこれほどなのだから、四、五歳になれば自分の意思で引き寄せる能力をカット出来るようになるだろう。
とは言えこの手のものは感覚的な部分が殆どなので、慣れない内は体に違和感を覚えるかもしれないが普通に生活するには必須なので、まだまだ先の事ではあるが覚えてもらうしか無いだろう。
この城に来て早数ヶ月、赤子もここの環境に慣れ漸くワシ以外のお世話役にもその身を委ねてくれるようになった。
カーミラは麓の神殿で生活し、ワシと赤子は北宮で生活している。北宮には選定に選定を重ねた選りすぐりの侍女と近衛しか入れない。
なのでワシが離れていても、赤子がどうこうされるという危険性は今のところ皆無。
お話であれば裏で通じている者が出たりするところだが、幸いな事にここの者達はみなきっちり仕事をしてくれているようだ。
そして忘れてはいけないのが、ここに来た目的と言ってもいいだろう王家の蔵書、それが保管してある書庫への立ち入りが漸く許可されたのだ。
実際の所、許可自体は結構前に出てたのだが、赤子がワシから離れると大泣きするのでそれが無くなってからと思っていたら数カ月も経ってしまったのだ。
というわけで漸くワシは今、その書庫へと足を踏み入れ深い森の様な雰囲気さえ漂う本の樹林で、とりあえず何か転移に関係ありそうな物を片っ端から読み進めている。
主城内にある王家の書庫、流石歴史ある国だけあってどの本棚も見上げるほどあり、その中にはみっちりと隙間なく本が並べられている。
もしここの蔵書を全て読もうとすれば、毎日読んだとしても赤子が子供くらいになるくらいは余裕で掛かりそうだ。
しかも、図書館の様に整然と保管されている訳ではなく、手入れや掃除はしっかりと行き届いているものの文字通り、書の倉庫としてしか利用されていないようだった。
「ふーむ、特になんというものは見つからんのぉ…」
書庫の片隅にあった机と椅子そしてランタンだけが置いてある申し訳程度の読書スペースに、歴史に御伽噺とりあえず目立つ物を持ち込み斜め読みしてみたがそれらしい記述は存在しなかった。
どれほど本を読んでいたのだろうか…伸びをして椅子の背もたれに体重をあずけると、ついつい独り言が漏れてしまう。
この書庫には窓は疎か、部屋を照らすべきランタン等はこの読書スペースにあるものを除いて一つもない。
更には万が一の出火を嫌ってか、この読書スペースから本棚まで必要以上の距離が開いているせいか、森の中に不意に存在する木が生えていない空間の様で何とも言えない寂寥を感じさせる。
「関係ありそうな話は唯一ワシが飛ばされた遺跡周辺に、妖精が出るという話だけかえ」
この話自体は、ラ・ヴィエール王国が唯の寂れた港町だった頃より遥か前からあるらしいのだが。
肝心の内容が「妖精が出る」としかどの書物にも記されていないのだ、詳しく書かれていたところで精々小角鬼の見間違えだろうとか、新手の魔物かもしれないという感想だけ。
カカルニア側の転送装置の状態から、千や二千ではきかない月日が経っていることは明らかだったが、此処まで何も無いとなると若干気が滅入るというもの。
「はぁ…これは此方に腰を落ち着ける覚悟も持っておかねばならんかのぉ…」
ちらりとうず高く積まれた読み終わった本の山に目を向けて、思わずため息が漏れる。
「ふむ? そう言えばワシを家庭教師にだとか言っておったが…んむ、教えれるよう歴史をまずは覚えておくのも良いかも知れんの」
帝王学なぞ知ったことではないが、王族の勉強となるとまずは自国の歴史というイメージがある。
礼儀作法は侍女や近衛というプロフェッショナルがいるのだからそちらに任せて、歴史や読み書きを教えるというのも良いかもしれない。
先程ざっと読んだこの国の歴史はこうだ…。
事の起こりは寂れた港町だった…しかし月日を重ねる度に物流の拠点として発展し大きくなり、遂に街の責任者を旗印に都市国家を興すことになった。
当時は港町と幾つかの農村だけの小さな国家だったが、当時この周辺は似た規模の都市国家が乱立しておりしばしば飢饉で食料を求めたり新たな土地を巡り、戦が起こっていたという。
そして戦を進めるうち港街という強大な物流を背景に、都市国家群を併呑し遂にラ・ヴィエール王国が興る。
都市国家群が元だということもあり何度も内乱を経験し、更には他国との戦争で領土が拡大縮小を繰り返し漸く現在の大きさとなった。
最後に戦が起こったのは三代前ここへと遷都した王の時代、王位継承問題を発端とする内乱を好機と見た隣国との内憂外患の状態での戦争。
何とか内乱を治め、隣国とも休戦協定を結び防衛上の観点から此処へと遷都したという。
元々此処には現在は東宮となっている都市国家群時代の要塞があり、それを基にこの城を築いたという。
流石に歴史書だけあって書かれていないが、明らかに隔離とも言える側室家族の扱いを見る限り内乱の原因とはそのあたりにあったのだろう。
要点を綺麗にまとめた歴史書は実に面白く、私のお乳は嫌がって飲んでくれないと困り果てた乳母がワシを呼びに来るまで、ついつい時を忘れて読みふけってしまったのだった…。




