236手間
男の ぺち 子は元気な ぺち 方がいいと ぺち 思うけれどっ…。
「お主はちと遠慮が、ははすひるんでは…はいはほぉ…これ、ほほほひっはるへはい」
赤子に遠慮などあろうはずがないのだが、顔をぺちぺちと叩くのは兎も角…顔を引っ張るのは止めて頂きたい。赤子の力と侮るなかれ、これが結構痛いのだ。
ぺりっとひっぺがせば、ぷっくりほっぺをさらにぷっくりさせてご不満顔、この赤子は産まれて数ヶ月ほどらしいのだがマナで補っていたとは言え栄養状態が悪かったせいか少し発育が遅れているようだ。
と言っても深刻になるほどではなく、普通に比べ少し遅いくらいな程度の誤差で十分問題ないと言えるだろう。これから栄養状態が改善すれば元に…いや今ですら元気一杯なのだ追い越す可能性の方が高そうだ。
「それにしてもほんと懐いてますねぇ…」
「乳母としてはありがたいことじゃが…実の母親はどうしたのじゃ?」
「お…おお…奥様は産褥の…」
「む…それはすまぬことを聞いたのぉ」
「あぁああ、いえ…産褥の後もまだ臥せってらっしゃるだけで」
「そうじゃったか。うむ、快方に向かえばよいのぉ」
ゆらゆらと赤子を揺らしながら、ここに来た初日に突撃してきた獣人の女性神官…カーミラと仲良く話をする。
ふとぺちぺちと叩いてきていた手が緩んだ事に気付き、赤子を見れば遊び疲れたのかぐっすりと夢の中へと旅立っていた。
「おぉ奥様もですが…その子もセルカ様が来るまでは、心配になるぐらい動かなかったので元気になって良かったです」
「ちと元気が有り余り過ぎておる気がするがのぉ…」
苦笑いしながら、ここ数日で部屋に追加された高めの柵が付いたベビーベットへと赤子を寝かせる。
見る限りそろそろハイハイをし始めそうな時期なのに、おくるみに包まれてるとは言え柵も何もない寝台に寝かされてたのはそういう事かと納得する。
「しかし、お主も赤子が居るのじゃろ? 毎日ここに来て良いのかえ?」
「大丈夫、大丈夫です。お母さんに任せてますんで!」
赤子の頬を一撫でし、テキパキとお茶の準備をし始めたカーミラと共にイスへと座る。
ワシが来る前から赤子の乳母役であったはずのカーミラは、今や甲斐甲斐しいワシ専属の侍女の様な事になっている。
「そういう事では無くての。子が居るのならそちらの方に気をまわしていいんじゃよ?」
「あー、そう言えば、セルカ様はここの信徒ではありませんでしたね。私達神官は結婚も出産も赦されていますが、あの子の様に特別な事情でもない限り、名のない子供は名付けの儀式まで神殿に立ち入る事は赦されて無いのですよ」
面白いことに此方でも、子供が産まれて一巡りは名前を付けないという教えがある、と言ってもそうするのはこちらの主な宗教である女神教のそれも敬虔な信徒だけで殆どの人は普通に産まれてすぐ名前を付けるらしいが。
「けれど慈悲深い女神様は、一巡りも離れ離れになるのは子も親も寂しかろうと、一月に一度だけ神殿の入り口まで入ることを赦してくださいましたので」
「なるほどのぉ…おぉそうじゃ! あの赤子の母が動けぬならあの子を連れていけば良いのじゃ」
「あ、確かに…おー奥様はこの神殿内で療養中ですし…ですが……」
「ふむ? 何やら他にも問題があるのかえ?」
「いえ…問題というわけではなく試練といいますか、奥様は元々お体が丈夫では無かったのですがこの度ご子息をお産みになった際、恩寵全てをご子息にお渡しになった様に更にお体が…」
「では、益々早めに逢わせてあげたいではないか……いや、うむそうかそういう事かえ……」
元々体が弱かったと言うのなら、この子が引き寄せたマナで相当体に負荷がかかったに違いない、産褥の後も臥せっているのはそれが原因だろう。
今なお赤子はマナを引き寄せ続けている、カーミラが今ここに居て平気なのはワシが引き寄せられたマナを片っ端から吸収しているから、それでも尚マナへの耐性が低い人に取っては居続けるのなぞ無理なほどのマナが集まっている。
話を聞く限り赤子の母はマナに対する所謂免疫不全に似た状態なのだろう、そんな状態の者に赤子を引き合わせたら…。
体調を回復させる法術も毒になるだろう、薬草などで作った薬もマナがそれなりに含まれている…詰まるところ経過を見つつ体調が回復することを祈るしか術はない。
「女神様は慈悲深き御方で御座いますが、時にこの様な試練をお与えになるのです。ですがこの試練を乗り越えた暁にはきっと素晴らしき恩寵を賜る事でしょう」
「そうじゃといいの…」
「えぇ」
普段は十八だと言う年齢相当の無邪気さを持っているカーミラだが、流石に神官ということか教えに纏わることであれば、この様にまさに慈母の様な落ち着きを見せる。
「暗い話はこれぐらいにしてじゃ。それよりもワシが居れば大丈夫なのじゃし、もっと日の当たる部屋にあの子を移動させぬかえ?」
この四方が石に囲まれた部屋では今が何刻すら分からないし、それ以前に陽の光に当たらない生活と言うのは体に良いはずがない。
「それなんですが…最高司祭様がここからの移動を禁じているんですよね。あの方はこども好きとして有名ですし、きっと何か理由があると思うんですよ」
「ふーむ…」
その最高司祭とやらが誰かは知らないが、カーミラの困惑しきった顔を見るにそのこども好きという話はよほど有名なのだろう。
当初は引き寄せられるマナ対策で人が近づきにくい場所に居るのかと思っていたが、根本的では無くワシが居ることが前提とは言え、半ばそれが解決している状態でもまだこれとは他にも理由があるのだろか。
どんな理由があるだろうと考えを巡らせていると不意にノックの音が部屋に響く。この部屋に関することは殆どカーミラが行っているので、数日しかまだ経ってないが実に珍しい事の様に思える。
「あ、私が出てきますので、セルカ様はそのままおくつろぎ下さい」
たたたっと元気よく扉の外に駆けていくカーミラを見送って、少し温くなったお茶を飲む。
何かの花を煎じているらしい琥珀色の少し酸味のあるお茶は、決して最高級という訳ではないが十分美味しく、いくつかその花の株か種を分けて欲しいところだ。
意外と長い話だったのか、お茶を数杯おかわりしたところで漸くカーミラが戻ってきた。
「え、え、え、えっとセルカ様…明日その子のおおおおお父上がここに来られます、はい」
「う…ん?」
長かった割にたった一言で分かる予定と、カーミラのまるで鉄の棒でもくっつけたかのような緊張っぷりに首を傾げるしか出来ないのだった…。




