235手間
すぅっと瞼が開くように起きるのではなく、誰かに叩き起こされたかのようにパチリと覚醒する。
目の前には先程まですやすやと眠っていた赤子、それが今や大口を開けビクリと一瞬痙攣の様に身悶える。
その仕草にこれはと思い耳をペシャリと頭に引っ付けたその時、いつの間にやらおくるみから出た両手を可愛らしくパタパタさせながら、あーあーと泣き始めた。
手早くおくるみを引剥し手の甲 ――指の第一関節から第二関節の間―― を肌の上に滑らすがさらりとして気持ちがいいくらい、おむつも解いて中を確認するがきれいなものだ。
「ふむ、男の子かえ」
ついでにおむつを変えるかと思ったが、はたとそこでおむつの替えが無いと気付き、まだ綺麗だし今は仕方ないとおむつを再度着けてやる。
さらに寒くないようにおくるみを、今度は手足が出るように巻きつけてやり抱きかかえる前に両手を引っ張って首が座っている事を確認すると、赤子を縦抱きにして体をゆすりあやす。
すると少し泣き声が小さくなるが、今だあーあーと泣いているのでお腹が空いているのだろうと服の打ち合わせの紐を緩め胸元を肌蹴させる。
パンパンとまではいかないが、張った胸を少し絞ってジワリと先に滲むものを確認すると、縦抱きのまま赤子の顔をそこに持ってきてやる。
「ふふ、やはり腹が減っておったようじゃのぉ」
よほどだったのかカッと目を見開いて、んぐんぐと必死に吸い付く様を微笑ましく思っていると、突然ノックも無しに乱暴に扉が開かれた。
丁度扉側を向いて授乳していた為に、闖入者とばっちり目が合いお互い何となく無言で見つめ合ってしまう。
「えっと…赤ちゃんの泣き声が聞こえたから来たんですが……貴方は…?」
「エレーナの紹介で来たものじゃ」
「エッエレーナ様の! しっしっつれいしました!」
「そう言うお主は? もしかしてこの子の母親かの?」
闖入者の見た目はワシより幾分か年上に見える、亜麻色の髪を肩口で切りそろえた神官の制服なのか飾りの少ない白いローブを着た猫の耳が生えた獣人の女の子。
どうもこちらの獣人女性は年齢より幼く見えるのが常らしく、ワシが言うことではないが実際の年齢はよく分からない。
赤子はヒューマンではあるのだが、獣人とヒューマンの子供でも…いやむしろその組み合わせだと獣人よりヒューマンとして産まれる確率の方が高いので不思議なことではない。
「いっいえいえいえいえ。私が母親だなんてとんでももない!! ただ同時期に子供が産まれたのでお乳のお世話なんかをしてるだけです!」
ぶんぶんと顔の前で手を交差して否定しているが、何もそこまで必死になって否定しなくてもと思うが…。
そして、その振り回している手には乳飲み瓶らしきものが握られているので、これを用意するために赤子が泣いてから来るまでに少し時間がかかったのだろう。
「はっ! そうだ。早くお乳あげないと倒れちゃう…!」
「今あげておるから大丈夫じゃよ?」
「あっ…そう…そうですよね! あれ? そう言えば全然苦しくならない…」
何がそこまで彼女を焦らせていたのか知らないが、ようやく落ち着いてきたようだがそれでも何か腑に落ちない事でもあるのか、しきりに喉や胸を押さえて首を傾げている。
「マナちゅ…マナの事であればワシが居る限り大丈夫であろう、それでもあまり慣れておらぬ者には未だ辛いであろうが」
「なるほど…さすがエレーナ様の紹介された方ですね!」
ワシを此処まで案内したおじいちゃんの事から察するに、マナ中毒という言葉はここの者にはあまりよろしく思われてないようなので、途中で言い直し恐らく彼女が気にしていたであろうことを告げる。
それにしてもハイエルフの受付嬢エレーナは、随分と慕われていると言うか信用があるというか…その割には受付カウンターの彼女の前には列など無いが…。
「それにしてもよく懐いてますねー。私なんて直接飲ませようとしたら嫌がったのでこれにしたのに」
「ふむ…そう言われれば。昔から赤子にはよく懐かれておったのぉ…」
開拓村への護衛で会った赤子しかり、警戒心の強い年頃だろうと嫌われたり拒絶されたという記憶がない。
「それにしてもじゃ、ワシの事は聞いておらんかったのかえ?」
「今日濃いマナでも大丈夫な人が、エレーナ様の紹介で来るとしか…いつ来られたんです?」
「今朝じゃの。その後に赤子につられて一緒に寝てしもうたから、今がどれほどかは分からぬのじゃが」
「えっと、大体お昼くらいですね。そうだ一緒にお昼食べませんか?」
「ふーむ、折角じゃがワシはここで食べるかのぉ。この子の様子も暫くはすぐ近くで見ておきたいからの」
「じゃあ、ここまで持ってきますね」
「すまぬのぉ…そうじゃ、一緒におむつと何ぞこの子が十分入るくらいの桶を用意してくれんかの?」
「わかりました。おむつは近くの部屋に予備が用意してあるのですぐ持ってきます。桶は…食事と一緒でいいですか?」
「うむ、手間をかけるの」
「いえいえそんな。エレーナ様が紹介された方の手伝いをするよう言いつけられてますので」
そうこうしている内に赤子はようやく満足したのか、口を放しケポッと可愛らしいゲップをして満面の笑みになる。
その様子を二人で見た後に彼女は「では」と言って部屋を辞していった、先程の言葉通りすぐに持ってきたおむつを受け取ると、彼女か指示を受けたものかがお昼を持ってくるまできゃっきゃと手を伸ばしてくる赤子と遊ぶことにするのだった…。




