233手間
手持ちの食材で軽く朝食を済ませ、服の点検をしながらハイエルフの受付嬢が来るのを待つ。
服は収納の腕輪に入れていたので、虫食いはもちろん劣化もしようがないのだが何となく気分の問題というやつだ。
前が打ち合わせになった腰丈のワンピースに膝丈のパンツ、この手の服装を大量に昔用意しておいて良かったとしみじみと思う。
「しかし、法術は便利じゃのぉ…まさかまた乳が出るようになるとは思わんかった」
生後まだ幾つも経っていないという事なので、ワシが授乳できれば楽だろうとダメで元々乳の出がよくなる法術を使ったら見事と出るようになった。
だから当時の授乳期間に使っていた服を引っ張り出してきたという訳だ、普通の服でも問題はないのだが…まぁやはり染みができては見栄えが…。
幾日分かの服を旅嚢に詰めているとノックの音が聞こえた。それにやっと来たかと小走りで扉に駆け寄り鍵を開ける。
「やっと来たかえ、早う場所を教えるのじゃ」
「おはようございます。それに関しては扉を閉めてから。ところで朝食は」
「既に食べたのじゃ」
扉を開き、開口一番に場所のことを聞くが、そんな事なぞどこ吹く風と普通に挨拶された。
しかし、扉を閉めてからと言うならさっさと閉めるしか無い。念の為に鍵もかけて彼女の為に椅子も用意しさっさと話せと目で促す。
急かす心の内訳は赤子が心配八割、赤子に会いたいが二割くらいだが、知らない人が見れば早く遊びに行きたい子供の様も見えるかもしれない。
「場所は神殿です」
「神殿…」
「はい、神官の逗留施設等がある大きな教会の事をそう言います」
前置きも何もなく伝えられた事を思わずオウム返しに口からだしてしまったが、彼女は特に気にもせずその事を教えてくれた。
そこでそう言えばこちらでは女神さまの扱いなど、どうなってるか聞いたこと無いなと思い出す。
神殿とやらがあるくらいだから疎んじられている訳では無さそうだが、その手の話を冒険者などからとんと聞いたことが無い。
「ふむ、それでその神殿とやらにはどう行けばよいのじゃ?」
「海に浮かんでいるあの御城の様な建物が神殿です」
総本山…かは分からないが、その手の場所に行くのだからそこで聞けばいいかと思い神殿の位置について尋ねれば、まさかの回答が帰ってきた。
以前どこぞの修道院のようだと思ったが、まさか本当に当たらずとも遠からずな場所だったとは…。
「あそこじゃったか、これは迷いようがないの…」
「神官や巡礼者でない場合は入り口で審査がありますが、今回はエレーナからの紹介でと言ってタグを見せれば問題なく通れます」
「ふむ、エレーナとは誰じゃ?」
「……私の名前です」
唐突に出てきた名前に思わず聞き返せば、ハイエルフの受付嬢ことエレーナもそう言えば名乗ってなかったと思い出したのか、無表情無感情な声にも関わらずなんとも言えない雰囲気を漂わせていた。
「……他に何も無ければすぐにでも発ちたいのじゃが」
「期間なのですが、依頼主しだいですから突然打ち切りになる場合もあると思います。それと報酬は期間などに応じて増えますので、いま幾らほどになるかは明言できませんがそれなりになるとは思います」
「内容が内容じゃ、長くなるのは分かっておる。報酬は…まぁおまけじゃの。ではそれ以外なければワシは出るのじゃ」
「他は向こうに着いてから説明があると思います」
「うむ」
それを聞き、ワシは挨拶もそこそこに鍵をその場で返却して神殿へと足早に向かう。
そうしてたどり着いた神殿の袂、聳える白亜の城は神殿と言うよりも例えの通りお城や要塞といった感じの堅牢さを感じさせる。
桟橋の様に伸びる道を、港へと打ち付ける波の音を背景に進めば、これまた神殿というには若干似つかわしくない門が目の前に悠然と佇む。
「此処から先は神殿となります、神官や巡礼者でない場合はお帰りください」
「エレーナからの紹介できたのじゃが」
馬車が通れる位の広さがある門の脇に立っていた、白いローブを着て槍を持っている二人の門番がワシの進路を塞ぐように槍を交差させ、丁寧ながらも高圧的な言葉で帰れと言ってきた。
しかし、ワシには天下の副将軍よろしくこれがあると、言われた通りの事を告げタグを見せる。すると既に門番にまで話が言っていたのか、無言で槍をどけ早く行けと顎で促された。
門を抜けると八角形の中庭にでて中央には噴水それを中心に十字に伸びたきれいな石畳の道で切り取られた庭は、どこの貴族の屋敷だろうと思うほどの腰までの高さの生け垣で飾られていた。
見とれていたい所だが今はそんな暇はない。誰かに話を聞こうにも礼拝の時間なのか、そもそもここはあまり人が近づかないのか人影がない。
仕方ないから戻って門番に話をと考えたところで何故今まで気づかなかったのか、噴水の縁に腰掛けているおじいちゃんを発見して逃す手はないと駆け寄って声をかける。
「もし、エレーナの紹介でここに来たのじゃが、済まぬがちと話を…」
「おぉ…お待ちしておりました。ささ此方へ」
ロマンスグレーの丁寧に撫で付けた髪と首をすっかり隠すほどの髭に優しく垂れ下がった眉。門番が着ていたものよりも幾分かゆったりして装飾の少ない白いローブに身を包んだおじいちゃんは、ワシの言葉を聞くやいなや澄んだ緑の瞳と皺が刻まれた顔に喜色を浮かべて、老人とは思えないほどスムーズに立ち上がりさっさと歩きだしてしまった。
その突然の行動に少し呆けてしまったが慌てておじいちゃんが進んでいった、入り口から見て左側の道へと追いかけるように駆け足で進む。
もっと豪華な服と杖でも持っていたら、教皇と言われても信じそうな程の見た目なのになんと落ち着きのない老人か。
「ちょ…ちょっとまずのじゃ! 慌てる気持ちはわかるのじゃが赤子の事を詳しく教えてほしいのじゃ」
「おぉ…おぉ…これはすみませぬ。漸く救い主が現れたことに気が急いてしまいました。赤子殿ですが…なんと言えばよいのでしょう、エレーナ様曰く周囲のマナを集めている状態だとか」
もう一度声をかけるとやっと歩む速度を緩め、隣に立つと元々は気遣いが出来る人なのだろうワシの歩く速度に合わせ、カツカツと落ち着いた装飾の回廊を進みながら話してくれた。
「別にワシは救い主なぞという大層な者では無いがのぉ、それよりもじゃ赤子の乳などはどうしておるのじゃ?」
「何をおっしゃいますかエレーナ様と同様の宝珠持ち、更に赤子殿の命を救おうと一も二もなく頷いてくださったと、これを救い主と言わずして…」
「う…うむ、分かったわかったから赤子の事をじゃな…」
「失礼しました、乳は乳母のものを乳飲み瓶に詰めて何とか耐えられる者が与えていますが、如何せんすぐに体調が悪くなってしまいますので殆ど飲ませられない状態です。幸いマナの恩寵かまだ生きながらえていますが」
耐えられる者というのがどの程度なのか分からないが、大の大人が殆ど飲ませられない位の時間で体調を崩す程のマナが回りにあれば、確かに赤子ぐらいであればある程度飲まず食わずでも大丈夫かもしれない。
だからといって赤子に乳を飲ませなくても良いかと言われれば、もちろんそんな事はないのだが。
「ふむ、状態を知ろうにも周りがそんなことではという事かえ」
「お恥ずかしいことに…」
何にせよ会ってみないことにはと、二人で足音を早くしながら赤子の下へと向かうのだった…。




