223手間
ざしざしと草を踏む音が聞こえる。少し湿気った土とカビの匂い、それを払拭するかのように差し込む木漏れ日が心地よい。
何処かの木の根にでも腰を下ろして、お弁当を食べるといつもより美味しく感じそうな森の中にワシらは居る。
だが、今はそんな呑気な事は言ってられない…。
「静かすぎる…のぉ」
「人が森に入ってんだ。普通はこんなもんだろう?」
「それを鑑みてもじゃ、まるで生き物だけ全部捨て去ったかの様な静けさじゃ」
「そんなに静かかねぇ…お前たちはどう思う?」
フリードリヒの問いに首を横に振る、その音さえも聞こえそうな程に静かだ。
「これほどの森じゃ、動物が居らんと言うのはありえぬが…そのありえぬ事を考えるほど静かなのじゃ…」
「うーん、そりゃぁ…豚鬼でも居るのかもしれないな」
「ほう? それはまたどうしてそう思うのじゃ?」
「そうだな…ちと歩いたし休憩がてら話すか」
ガチャンと金属がぶつかる音を鳴らしながら、フリードリヒがそこらの倒木へと腰掛ける。
意外と疲れていたのか、深い溜め息をつき水筒から水を一口飲んで喋り始めた。
「豚鬼はあの見た目通り手当たり次第にモノを食うんだ。だからアイツラの居るところには動物が居なくなるって言われている」
「ふむ? しかしワシが以前豚鬼と遭った時は、普通に鳥の声もしておったがのぉ」
「そりゃ一匹だけか?」
「うむ、そうじゃの」
「一匹なら食い尽くすって事は無いからな、しかしだ、集団だとそうもいかねぇから巣を叩きたいところなんだが、アイツラ単独で巣からかなりの距離まで食うもんを探すから一匹二匹倒した所で解決になんねぇし、巣も中々見つからないんだよ」
「しかし、動物が居なくなるという事が分かっているのであれば探すのは楽なんじゃないかの?」
「いや、それが全く当てにならないんだよ、なにせ俺らは基本こんな鎧を着込んでるだろ?」
フリードリヒが肩をすくめるだけでガシャリと結構な音が出る、カカルニアなどでは見られなかった軽装とはいえしっかりとした歩兵用の鎧だ。
確かにそんなものを着込んだ人が数人で歩けばかなりの音量になる、大抵の動物と言うのは例え肉食でも臆病だそんな音が聞こえたら一目散に逃げてしまうか。
「ではなぜそのような事が分かっておるのじゃ?」
「魔物ってのはたとえ同族でも縄張り意識が強いからな、巣を排除した後でも暫くは寄り付かないんだよ。だからその間に近くに開拓村を作るんだが、その時に動物が居ないってのが分かるんだよ、猟師なんかが森に入ってな」
「なるほどのぉ…ふーむ、となると小角鬼共が逃げ出した理由は豚鬼にでも追い出されたのかのぉ」
「小角鬼より数は少ないが、豚鬼の方が強いし縄張りから追い出されたと言うのもありそうだが…そこまで言い切れるものか?」
「言い切れるわけでは無いがの、かなりの範囲で動物が居らぬ事だけは分かるのじゃ、この耳も目も鼻もそんじょそこらの猟師なぞ相手にならぬからの!」
「確かに獣人は目やら良い奴が多いが…」
「獣人だからではない、ワシじゃからじゃ!」
「……そう言われると納得せざるを得ないな…」
現役を引退してから随分と経っているので、かなり鈍ってはいるがそれでも常人には負けることはない。
「それじゃそろそろ再開するか」
そう言ってフリードリヒはどっこいしょとでも言いそうな動作で倒木から立ち上がる。
それから暫く森の中を歩きまわったが、聞こえるのは草を踏む音とがちゃんがちゃんと鎧が騒ぐ音だけでそれ以外が耳に入ってこない。
「それにしても、痕跡一つ無いのぉ…見つかるのは動物のものばかりじゃ」
「確かにあんなのが動いてたら、なんか落ちてたりするもんだけどなぁ」
樹皮を爪で引っ掻いたり枝が不自然に折れてたりするのは何度か見かけたが、比較的新しいものではあるのだがどれもこれも豚鬼の様な巨体が付けたものではなく野生動物がいた事を示す程度でしか無い。
「とは言え、最近まで動物は居ったのは確かじゃが、何かしらのせいで小角鬼も動物も追い出されたかしたのは確実のようじゃの」
「村から距離が有るのだけは幸いか…こんだけ離れてりゃ巣から出てきた豚鬼くらいしかあそこまでは来ないだろうしな」
そんな事を考えていると、突然背中に氷を差し込まれたかのような悪寒と、何かからじーっと見られているような視線を感じ慌てて辺りを伺い始める。
「おっ…おい、急にどうしたんだ?」
「ひうっ!」
悪寒と視線を強く感じる方向を向きじっと目を凝らした先、それを見つけた瞬間喉から漏れ出た空気で情けない声が出た。
ふるふると震える指先で指し示したその先には…じーっとこちらを見つめる一切の感情も光もない能面の様な男の顔がこちらを見ているのだった…。




