220手間
頬を撫でる風が気持ちいい、小角鬼が消え去った後は激しく音をたてるものもおらず、遠くで鳥が鳴く声が聞こえ始めた。
「讃えよ! とは言わぬがなんぞ一言くらい無いかの?」
下に視線を向ければ誰もこちらへ視線を向けず、今だ小角鬼が消え去った地点を呆として眺めている。
フリードリヒに至っては、まるで前からドンと押されたかのように尻もちをつき、体を支えるように手を後ろに突き出した格好で固まっていた。
「腰でも抜けたかえ?」
「あ…あ…な…んだ…今の…は」
「うむ、厳密には違うのじゃが。まぁお主らの言う所の魔法と言うやつじゃの」
「あれが…魔法? 俺の知ってる魔法は便利だが小角鬼を一瞬で焼いちまう様なもんじゃないぞ…」
「ま、ワシしか使えぬ秘伝と思うてくれればよいのじゃ…」
「本当に俺達じゃ使えないのか? あれほどの威力は無くていいもっと小規模でも出来ないか?」
「無理じゃの。そもそもお主らではマナの量が足りぬ。使った途端焚き火もできずに干からびて死ぬのがオチじゃの」
体内のマナがすっからかんになった人など居ないので実際はどうなるか知らないが。
酸素の代わりを果たしているマナの役割上、恐らく干からびるほど吐き出す前に昏倒するんじゃなかろうか。
「むぅ…流石に干からびて死ぬのは嫌だな」
「んむ、それがよい。無理してなんぞ新しい力を振るった所で、出来ることと言えば死期を早める事くらいじゃろうしの」
「はぁ…まるでジジババみたいなこと言うんだな」
「んふふふふ」
荷馬車から飛び降りながら、立ち上がりかけたフリードリヒの頭へ一撃を加える。
「そういう事は思っても言わぬことじゃな、死期が積極的に近づいて来るのじゃよ」
「……あぁ、気をつけておく…」
「うむ、殊勝な心がけじゃの」
女性陣は体調の悪さと小角鬼の攻撃を恐れて馬車の中に引っ込んでいたので、誰も腰を抜かしたりはしていなかった。
なので早々に出発の用意をさせてワシは荷馬車の方へと戻る。
「ほれ、いつまでぼけっとしておるつもりじゃ。さっさと出発するのじゃ」
「あ、はい…」
よろよろと気を持ち直したリヒャルトが、手綱を鳴らしそれに合わせて荷馬車がガタゴトと揺れ始める。
ワシは御者台に立ち荷物の隙間から、幌馬車が続いてくるのを確認するとそのままそこへと座りなおす。
「のうフリードリヒや」
「なんだ?」
「あの小角鬼共どこから来たんじゃろうのぉ」
「何が言いたい?」
「開拓村は無事なのかと思うての」
「それは、多分小角鬼達が来た方とは大分ズレてますから大丈夫かと」
「リヒャルトやそれは本当かの?」
「えぇ、開拓村はあっちの方向、小角鬼は向こうの森から来たんじゃないでしょうか」
リヒャルトが指し示した二つの方角は、なるほどほぼ正反対と言っていいほど離れていた。
「大丈夫とは言い切れぬが…まぁ酷いことになっておる可能性は低くなるじゃろうな、それよりもじゃ小角鬼はあれほどの集団で動くものなのかえ?」
初め四十ほどだと思っていた集団は軽く見ても五十は軽く越えていた。
正直狩りをする群れとしては多すぎる、なれば集団で何らかの移動をしている途中だったのでは無いかと考えるのが自然だ。
「そうですね…小角鬼は基本多くても十匹程度で動きますが…何らかの理由で巣を動かすときには大集団になると言われてます。運悪くその経路上にあった町や村が被害にあいそのまま巣になってしまったと言う報告も少なくはありません」
「ふむ、やはりのぉ…その話通りであれば開拓村は無事じゃろうな」
「なんでだ?」
フリードリヒは、ワシが開拓村は無事だと断じた言葉に疑問を挟んできた。
「彼奴らは町や村を襲った場合そのまま居座るんじゃろう? じゃが彼奴らはここに居た。つまりはまだ襲われて居らんということじゃ。ま、絶対にとは言い切れんがの、他に集団がおらんとも限らぬしのぉ」
「あぁ、そういうことか…」
その時ポンと手を叩く音が聞こえたが、それはフリードリヒが納得したからではなくワシの隣、リヒャルトから発せられた。
「どうしたのじゃ?」
「いえ、集団での移動を小角鬼の大移動とギルドでは言うのですが、それを討伐乃至被害を与えた場合は特別報酬が出るんですよ」
「ほほぅ」
「ですので向こうに着いた後で、出張所なので現金では渡せませんが口座の方に振り込んでおきますね」
「それはそれは楽しみじゃのぉ」
「あ、俺らはいらねぇ。流石になんもしてないのに貰うのはちょっとなぁ…」
「ワシは別にいいと思うんじゃが? あの小角鬼共を最初に見つけたのはお主じゃろ?」
「男のプライドってやつだ…まぁ…言っても分からんか」
「貰えるもんは貰ろうておけば良かろうに…要らぬと言うならば仕方ない。その代わりワシはしっかり貰っておくかの」
フリードリヒの苦笑いを尻目にさてとと考え込む。
小角鬼の大移動には何らかの理由があると言っていた。
食料が減った、数が増えすぎ住処としてふさわしくなくなった等であればいい。
最悪なのは、あの集団を圧倒できる何者かが住み着きそれに追い出された場合だ。
確かに小角鬼が出てきた森と、リヒャルトが指し示した開拓村の方角は離れている。
しかし、それが絶対安全かと言われたら否としか言うしか無い。
なればハイエルフの受付嬢に言われたように、開拓村に暫く滞在しその問題を解決するのも吝かではない。
街に滞在してた期間では大した情報が手に入らなかった。なればゆっくりと人脈を広げて耳を増やすしか無い。
それはそれとして一番大きい理由は、やはり子供の未来は守りたいではないか。あの子らが安心して大きくなれるよう万難排すも悪くない。
着いたらこやつらを巻き込むかと、歩くフリードリヒの背を見てニヤリとほくそ笑むのだった…。




