203手間
片方の頬には冷たく硬い感触が…もう片方には生ぬるく湿ったもの。
耳には木々と小鳥がさえずる声、目には光が差し込まれる。
「ぐっ…」
まるで全身の骨を砕かれたかのような痛みに、起こそうとした体をまた横たえる。
それだけでもジクジクとした痛みが襲ってくるが、動かした時よりも幾分かましだ。
目だけを動かして辺りを窺うと、見えてくるのは苔むし崩れた壁から漏れる陽の光と揺れる木立。
見える範囲全ては風化し、ここがとうの昔に放棄されたことを限られた視界が雄弁に語っている。
「おぉ…スズリや、お主も無事じゃったか…」
辺りを見回しているとぺちゃぺちゃと頬を舐めてくる者がおり、誰だと目を向ければ白いオコジョ…。
あの洞窟で出会った白く小さい動物が心配するようにクリクリとした目を向けてきた。
「ぐっ…ふぅ…痛みも幾分かマシになってきたのじゃが…それよりも、ここは何処かのぉ」
まだ痛む体を起こし辺りを見ても、ここが何処かだと示すようなものは見当たらない。
地面へと突いた手に感じる凹凸に目線を下げれば、あの部屋で見たものと似たような黒曜石に幾何学模様。
しかし、それは所々欠けいくら撫でようと反応を示さず、その様は機能停止していることを伺わせる。
「一方通行じゃったか…いや、生きておるだけ僥倖というモノかの」
似ているだけで転送装置とは全く別のものである可能性の方が高かった。
なにせあれはどう考えても、穏便に人を飛ばす様な代物では無かったのだから。
「それにしてもカイルもカイルじゃ…あんな事を土壇場でさも今思い出したとばかりに…」
別れ際にカイルから聞いたカルンの言葉を思い出し、ため息とともに頭を抱える。
「アレかれ…なんぞワシにあったときに伝えるよう言っておったのかの…」
崩れた壁の隙間から差し込む陽の光に、面差しを見るかのように目を細める。
「まったくたわけた親子じゃ…カッコつけおってからに。直接言われた方がどんな言葉であろうとも嬉しいに決まっておろう…」
一頻り泣き腫らした頃には痛みもすっかり引き、気合を入れる為に頬を叩いて立ち上がる。
「よし! 決めたのじゃ! カルンが心配せぬようきっちり余生を楽しんでやろうではないか!」
誰もいない屋内で決意を叫ぶと、この建物自体が傾いているのか斜めになった扉に手をかける。
すると色合いから恐らく木製だったソレは、触れた途端にボロボロと崩れ落ち扉としての機能を果たし形を失った。
「うぅむ…どれほど放置すれば此処までになるのじゃ…」
腐らずに残っていたのも驚きだが、触れるだけで崩れ落ちるほどまでに朽ちるとは、一体どれだけの月日が過ぎているのか。
それより今はここから出なければと、扉だったものの残骸を跨いであちこち崩れ土が入りかつての面影ない廊下へと歩を進める。
灯火の法術の明かりを頼りに時折壁を這うトカゲの様な小動物に会いながらも、ソレ以外は特に脅威も何もなく崩れて通れない箇所を避けながら出口を目指す。
「ここの方がよほどダンジョンっぽいのぉ…それにしても剣も腕輪も無事でよかったのじゃ…」
剣にも特に刃こぼれもなく、腕輪も謎の力で機能停止ということも無く中身も無事だった。
腕輪の中には食料やらお金やらも全て入っているので、これがあると無いとでは大違いだ。
「むぅ…ここも行き止まりかえ…」
腕輪の中身を確認しながら進むことしばらく、幾度目かの行き止まりにため息が出てしまうのは致し方ないことだろう。
「ん? 光が…漏れておるかの?」
思わずため息とともに俯いた視線の先に見えたのは、法術の明かりとは別種の光。
その元を目線でたどれば、わずかに覗く木々が見えた。
「ふむ、これだけ崩れておるのじゃ。今更崩れた箇所が一つ二つ増えようと些事よの!」
魔手で外が覗く箇所を砕き、ワシ一人が通れる穴を穿つと漸く外へと躍り出す。
「はー、やはり外の空気はうまいのじゃー」
思いっきり伸びをして、頭の上のスズリもあくびか深呼吸か分からない大口を開ける。
「しかし、ここはどこなのじゃろうかのぉ…」
外に出れば世界樹の位置である程度の場所がわかると思ったのだが。
周りは鬱蒼とした森…というよりも熱帯樹林の様な有様で、廃墟の中では分からなかったが若干の蒸し暑さを感じる。
「ふむ…南の方…火のダンジョンの影響下かの…しかしあの辺りにこのような森はあったかのぉ」
あの辺りであればどちらにせよ、そこまで規模の大きい森では無いだろうと適当にまた歩き始める。
しばし歩くと予想通りに森から脱し、しかも運の良いことに少し離れた場所には街道らしき舗装された道も見える。
「うむ、これは意外と早く家に帰れるかもしれんのぉ」
あんな別れをした直後であるが、面倒は少ないほうが良いに決まっている。
短かった未知の旅にニンマリとしていると、背後から獣のものとも違う唸り声が聞こえてきた。
「うむ…ものすごく嫌な予感がするのじゃ」
そんな想いを胸に、恐る恐る後ろを振り返るのだった…。
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