201手間
今日も目が覚める、いや…今日はと言うべきか…。
広い寝台の上、少しだけ体を起こし何をするでも無くぼうっとする。
ここ最近と言っていいものか…起きては寝て、それだけを繰り返している。
別に病気だとか言うわけでもはない、ただ何もしたくない。
けれど絶対に一つだけやるのは尻尾の手入れ、これだけは幾ら時間を掛けようとも必ず行う。
そしてその仕上がりに満足すればまた寝るのだ。
夢を見るのすら嫌だと深く眠る。
ハイエルフ達は最期のその殆どを寝て過ごすと聞いたが、こんな気持だったのだろうか。
今日も尻尾の手入れが終わり、寝台に力なく倒れ込んだ頃…聞こえるはずのない音が聞こえた。
この屋敷にはワシ以外人は居ない、居ると言えば偶に掃除をするための人だけに来る人達だ。
それも大抵ワシが寝ている間に済まし、例え起きていようとこの部屋に来るはずがない。
なのにノックの音が聞こえる。
「母様、起きてますか?」
「かー様、居るー?」
「鍵は開いておるのじゃ」
懐かしい声に答えを返せばガチャリと扉を開け二人が中に入ってくる。
カイルとライラ、ワシの子供たち…。
ワシの血を引いているからか二人はあまり容姿が変わらない。
けれど前見た時よりも老けて見えるのは気のせいだろうか。
「よかった起きてた…」
「かー様、おはよーになるのかな?」
「久しぶり…かの?」
「えぇ、そうですね。しかし、母様は兎も角…この部屋も誰も手入れをしていないにも関わらず変わりませんね」
「だよね、かー様のマナのせいなのかな?」
柔らかな日差しが入るこの部屋は、あの頃から何も変わらない。
最近のとは言えないが長い研究の成果により、人のみ為らず動物達もマナを生み出していることがわかった。
発生源は魂だとかそういう器官があるのだとか諸説あるのだが、動物達より人のほうがより多く生み出す事だけは確からしい。
逆に魔獣や魔物はこのマナを生み出す能力が停止してしまう。その為に人や動物を積極的に襲うのだと…。
そしてライラの言ったことにかかるが、この生み出されたマナと言うのはその人の性質を僅かに持っている。
その性質を取っ掛かりにして、魔法や技を発動させているというのが最新の研究成果との事だ。
このマナの性質の淀み、それが穢れたマナの正体ではないか、そう考える者も多いらしい。
「さて、どうなんじゃろうのぉ」
「どっちにしても、この部屋に母様のマナが充満しているのは確かですね」
「うんうん、凄い懐かしいというか落ち着くというか、かー様の匂いで満たされてるみたいな?」
「ふぅ、それで何の用なのじゃ? ワシ…に頼むような仕事も既に無いであろう、カイルも既に引退したと聞いておったのじゃが」
「それが…恐らくではあるのですが、母様にしか解決できないと思われる事が見つかりまして…」
そうならないようカイルに厳しく教育してきたつもりだし、何より学習院を拡充し実際に能力が高いものを随分と輩出してきたはずだ。
なのにワシにしかと名指しでとは…まさか以前懸念していたお家騒動が勃発したのだろうか。
「わかった向かうのじゃ、それでどういう事が起こったか説明してくれるかの?」
「えぇ、道すがら話します」
腹の底に溜まった淀みを吐き出す様に深呼吸を一つ。
未練を断ち切るように寝台から降り、扉の外で待つカイルとライラの下に歩きだす。
扉を一歩外に出た途端、部屋の中で感じられた柔らかな日差しは途端に寒々しく。
廊下の窓からの日差しに照らされた屋内は、決して朽ちてはいない。
けれど何百年も手入れだけされて人が寄り付いていないかの様に感じられる。
昔はここで子供たちと駆けずり回ったはずなのに…。
その光景がワシの事を知らないと告げているみたいで不安に駆られて振り返る。
開け放たれた扉から見えるのは暖かな日差しに照らされた見知った光景。
今立っているところと同じ場所にあるはずなのに、まるで光の色が違うかの様に色鮮やかに照らし出されている。
絵画の様に鮮やかに切り取られた光景。
どれほどそれを見ていたのか、カイルがそっと絵画に布を掛けるように扉を閉めた。
「母様行きましょう」
「うむ…」
屋敷を出て馬車に乗り込み、街中を走る車窓を眺める。
人が増え、物が増え行き交う姿に思わず笑みが溢れる。
前よりもずっと長くなった街中の道を過ぎ、門を出ると漸くカイルが話し始めてくれた。
「母様は…今はセルカ坑道と呼ばれてる洞窟の中にあった遺跡のことを覚えてますか?」
「うむ、もちろんじゃ…懐かしいのぉ…」
「そう、その洞窟でね採掘中に新しい遺跡が見つかったんだ」
「正確には遺跡かどうかすら分からない、恐らく形状から扉だろうと思われるものですが。」
「話は分かったのじゃが、なぜそれがワシでしか解決できぬ話になるのじゃ?」
「それは既に何人ものハンターや魔具や遺物を研究してる人達を向かわせたのですが、如何せんつるはしだろうと魔法だろうと歯が立たず、挙げ句の果てにはミスリルの剣が折れる程で」
「それでね、どうしようかってなった時に、かー様のお話の中に出てくる黒い扉にそっくりなんじゃ無いかって話になってそれで」
「ですが、話に出て来る遺跡の扉は既に全部開いていて比較ができない、なので今やそれを唯一知っている母様にと…」
「なるほど…しかしその扉がどうであれワシに開けるとは限らぬぞ?」
「分かっています。皆開けられたら僥倖程度ですから、それよりも母様にたまにはと言うには長すぎましたが、少しは外にでもと思いまして」
「それは…気を使わせたのぉ」
「何言ってるのかー様、子供が親のことを気にするのは当然でしょ」
小さい頃と変わらぬライラの笑顔に、街を眺めていた時とは違う笑顔になる。
しばし馬車に揺られながら、カイルとライラの近状に耳を傾ける。
今や主要な街を結ぶ街道は石で舗装され、旅をしていた時とは段違いの快適さだ。
カイルは一言一言を確かめるように、ライラは本当に楽しそうに喋る。
二人の話をにこにこと聞いているとゆっくりと馬車が止まった。
魔獣などの襲撃でも止まったりするが、ゆっくりと…と言うことは目的地に着いたのだろう。
まだまだ二人の話を聞いていたいが仕方がない。馬車を降りると目の前には随分と立派になった洞窟の入り口があった。
「立派になったものじゃのぉ…以前は側に小屋が建っておっただけじゃったのに」
「あれから随分経ってますし、それにまだまだ尽きること無く採掘できてますからね」
「ガラスの素も採れるからね」
入り口を眺めながら話していると、何人かのハンターらしき人に囲まれた恰幅のいい壮年の男が近づいてくる。
「おぉカイル様、お待ちしておりました。ライラ様もご機嫌麗しゅう」
「お久しぶりですね」
「お久しぶり…かな?」
「してカイル様、お隣の方はもしや…」
「えぇ、母のセルカです」
カイルとライラに恭しく挨拶をするこのおっさんは誰だろうと観察していたら、こちらに目を向けた瞬間にその目を輝かせてきた。
「おぉお、まさに冒険譚に書かれているお姿そのままですな! 私あなたの大ファンでして、いやこの言い方はいささかおかしいですな。セルカ様の冒険譚の本は小さい頃から何度も読み返しましたとも」
「ギルド長…気持ちは痛いほどわかりますが…」
「あぁ、これは失礼しました。ついつい興奮してしまいまして…」
ワシの手を取り大興奮という有様で握手なのか、腕を振り回しているのか分からないほどの勢いで手を取られる。
その勢いそのままに捲し立てるおっさんを、護衛のハンターの中の一人がいささか不穏な文言で諌めると。
ギルド長と呼ばれたおっさんは、ややバツが悪そうに頭を掻きながら漸くワシを開放した。
「それでは此方へどうぞ。道中まだ少し歩かねばなりませんので、宜しければここでのお話を我らに聞かせて頂けないでしょうか?」
「ふぅむ、それは良いのじゃが。本に載ってる内容で殆ど合っておるしの、さして語るべきことも無いと思うのじゃがの」
「いえいえ、そこはやはり御本人に語って頂けるというのが無上と言うもの。それに現役の時はここに何度も訪れたものです…本には殆どその辺りの様子は書かれておりませんでしたので夢想するばかり、是非とも是非とも当時のこのセルカ坑道の様子をお聞かせいただければ!!」
対外的にはワシよりも、圧倒的にカイルの方が地位が上なのだが。
そんなカイルを差し置いてギルド長どころかその護衛のハンターもワシを恭しく取り囲み、まるで寝物語をせがむ子供のように目を輝かせていた。
その様子に昔学習院や孤児院で見た子供たちを思い出し、すっかりと様変わりしてしまった洞窟の中、ぽつりぽつりと一つ一つ思い出しながら語り始めるのだった…。




