193手間
扉の先から足音だけでなく気配までもが段々と近づいてくる。
一歩一歩が重ならず地面をえぐり取るかの様な音は相手が一体で二足歩行の人型、そして体重が重いか重装備かを意味している。
しかし、重装備という事はまずありえない。今現在は精々が要所要所を金属で覆う程度の軽装が主流。
プレートアーマー等の重装備は、酔狂な成金屋敷の飾りや幾つかの式典用等のパレードアーマーぐらいなものだ。
何せ目下の天敵である魔物は素早く下手な金属など草刈り鎌の前の雑草に同じ。一瞬死ぬのが遅れる位の意味しかない。
対人でもある程度熟達した者のであれば魔法で簡単に貫かれるし、熟練の技でも切り裂かれる。
全身ミスリル製の鎧であれば魔法も軽減できるだろうし、凡庸な者の技であれば十分弾き返せるだろう。
だが全身ミスリルなどトンデモ無い金額になるし、凡庸な者程度でも弾き返すならそれなりの重量のものになってしまう。
それでも人同士での戦争が多かった時代はそれなりに普及していたらしいのが…。
数奇なことに前世の世界と同様衰退していったプレートアーマーに想いを馳せていると、ズシンと響く一歩で現実に引き戻される。
どうやら相手は足を止めたようだが、音の位置からしてまだ扉まで距離がありそうに思える。
『光弾』
小声でワシがぶち破った扉の先、入ってきた通路に向けて光の玉を飛ばす。
その通路は何者かが潜んでいる扉から見て、部屋の角を挟んで右手側の壁にある。
ワシらはまだ無事な扉がある壁の左手側に、まるで突入を待つ特殊部隊かの様に壁にひっついて待機している。
部屋の中の光弾は随分と弱まり、薄ぼんやりと辺りを照らすだけ。
恐らくは人だろうと魔物だろうと、まずは明るい方に一瞬だけ注意が行くはずだ。
人であればその次は、無残なゴミ置き場と化した部屋に注目するだろう。
呼吸を忘れ心音だけが部屋に満ちる静寂の中、じゃりじゃりと足踏みが唐突に聞こえ一気に駆け出した重量物が来る気配と足音が轟く。
その瞬間まるで扉なんて無かったかのように、何かが扉の残骸を撒き散らしながら部屋の中に突入してきた。
突入の勢いを殺すと、それはちょうどワシが撃ち込んだ光弾の前で止まり光に反応してか此方に背を向ける格好となった。
その姿は昨日見た魔物に似ているが、こちらの方が気持ちの悪い違和感を伴った不自然さを感じる。
町にでた魔物はこれを見た後ではまだ狼男に近い自然さだったのだと分かる。
高い高いと思っていた天井すれすれまでの巨躯の狼に人の手足、しかしその姿は人形のパーツを継ぎ接ぎしたかの様にも見える。
見ている角度のせいか肩は左右で高さがズレ、腕の長さも太さもバラバラだ。
逆光でも分かるほど全身は黒く闇を切り取ったかの様な異形、こいつは…魔物。
そう判断した瞬間に音もなく息を吐き出し上段から刃を引くように、渾身の力を込めてシャムシールで魔物に斬りつける。
マナが込められた刀身は薄緑の剣閃を鋭く残しつつあと僅かで刃が届くと思った刹那。
文字通り獣じみた反応速度で上半身を捻りそいつは此方に体を向けようとする。
だがそれでもこの一撃で決まる。
「ぢぇええええい!!」
声を出しては不意打ちに為らぬ、だが気付かれたのならと裂帛の気合と共に剣先を更に加速させる。
しかし刀身は魔物の身を裂くこと無く、振り向いた勢いそのままに出された魔物の腕で受け流された。
必殺を込めた一撃はヤスリをかけるかのような甲高い音を響かせ、鎬を削り火花を散らせただけに留まった。
「なんっ…」
まさかの事態に動揺し振り下ろした状態で固まってしまい、明らかな隙が出来たのものの。
相手も上半身を捻り剣を受け流すような無理な動きをしたせいか、体勢を崩し反撃は来ない。
「ちぃいい!」
ありえない事態から我に返ると同時、水中で遠吠えをするかのようなゴボゴボとした不快な音がする鳴き声と共に、今度は魔物が腕を振り下ろしてきた。
それに合わせるように今度は下からシャムシールを切り上げ、腕を切り飛ばそうと体を捻り一歩踏み出すが、今度は金属同士がぶつかる音を響かせ双方反対側に弾かれる。
「なんじゃ!なんなのじゃこいつは!」
見た目はただの歪な体の魔物、剣を弾く程の体を持つ魔物なら居る…しかし剣を受け流す魔物など聞いたことも無い。
「セルカさん!『アイスボルト』!!」
カルンが叫び氷柱が背後から飛んでくる。
けれども剣を弾いた時点で分かっていたが怯みすらしない。
ゲームであれば物理に強いやつは魔法に弱かったりするが、現実はそうそう甘くない。
「てぇやああああ!」
めちゃくちゃに何度も何度も振り下ろされる腕を、シャムシールで跳ね上げ切り払い打ち付けて防ぐ。
お互い足を止めての攻防であるから、力を篭めるのは楽なはずだが簡単に防御出来ていることから相手の力はワシ同じくらいか弱い。
その事実に段々と冷静になり、何の工夫もない振り回すだけの腕に、先程の受け流しは油断は出来ないもののマグレであろうと当たりをつける。
けれども剣で傷付けれないのは事実、同じことを思ったのか魔物も両手を振り上げて水底からの咆哮をあげ両腕を一気に振り下ろしてきた。
それを水平にかざした刀身で受け止めると力を篭め、魔物が多少仰け反るほど思いっきり振り上げて腕を弾き飛ばす。
「これでっ!! 仕舞いじゃ!!!」
両手で握っていたシャムシールを左手だけに持ち直すと、久方ぶりに右手を魔手にし体勢を立て直し腕がダメならばと噛み付こうとしてきた魔物を正面から爪で切り裂く。
今までシャムシールの一撃を何度となく弾いてきたその体は、それが嘘であったかのように切り裂かれドス黒い塵とかして消えていった。
「ふぅ…ふぅ…」
「なっ! なっ…!」
ダーシュが口から出す変な音を背景に息を整える。
魔物と剣だけで切り合ったのはこれが初めてだが、アレックスら普通のハンターはいつもこんな感じなのかと場違いな感想が頭に浮かぶ。
「ふぅ…はぁ…すまぬが、この事は他言無用じゃ」
「あ…いや…」
「無理であれば構わぬ、今の魔物に一人食われるだけじゃ」
今まではまだ力の強い獣人として対処できたかもしれない、しかしこれはどう言い繕っても明らかな宝珠の力だ。
ダーシュは彼はいい人ではあるがそれでもこの領側の衛兵、報告する義務があるかもしれないしそれをされては困る。
「あ…う…」
こんな風に脅すのは本意ではないがワシが追われるという事は、カルンにも危害が加えられる可能性があるという事。
それだけは何としても阻止しなければならない、幸い此処であれば幾らでも言い訳が効く。
子供たちに胸をはって言えることではないので、そんな事をワシにさせないで欲しいのだが…。




