190手間
よくもまぁこれほど見事にと思うほどの大穴が、建物の土手っ腹に穿たれていた。
犯罪者を収容するという目的の為、ひたすら堅牢に造られてたその建物は。
痛々しいその姿にも関わらず一切揺らぐ気配なく、未だ役目を果たせるとその場に佇んでいる。
「これなら調べておる内に崩れるという事は無いじゃろうのぉ」
「そうだな、万が一の時は頼む」
「わかったのじゃ」
「此処には柱も無かったし崩れることは無いと思うな」
「そうなのかえ?」
調査なのでワシとご主人様の隣にはもう一人隊長と呼ばれていた衛兵が着いている。
ワシらは此処を犯罪奴隷用の宿舎としか知らない。
当然内部の構造など知りもしないので、誰か知っている人が来てくれるのは調査としては当然だろう。
それに彼はワシの力の事も一応ではあるのが知っているので、万が一の場合も安心できる。
「分かってちゃぁいたが…やはりぶち破られてるのは特別房だな」
「特別房とな?」
「あぁ、今は北の町から送られてきたなんか凶悪犯罪とやらに手を染めた獣人が収容されてたな」
「ふむ、其奴がその時何処におったかわかるかの?」
「この房の奴は絶対に外に出すなって言われてたからな、この様子じゃまぁ…。後はそうだな…一緒について来たなーんか胡散臭い奴が、尋問とか言って入り浸ってたくらいだ」
「なんじゃそれは…」
「西多領で一番堅牢な犯罪奴隷用の施設が此処だったからな、よっぽどやばいことに手を出してたんだろ」
「ふぅむ…」
そんな話をしとりあえず中を見るかと特大の玄関から足を踏み入れるが、意外な程に中は綺麗だった。
勿論壁やその周辺は無残なものだが、それ以外の場所は全くと言っていいほど荒らされた気配は無かった。
「ふぅむ…まるで此処で魔物が発生したかのようじゃの」
「まさかそんな訳ないだろ」
「しかしのぉ…どう見てもこの壁以外は大して崩れておらんしのぉ…。態々魔物が扉を開けてこの部屋に入り、壁をぶち破って外に出たなぞそれこそ妄言の類じゃ」
「まぁ…確かに?」
「セルカ」
ワシが隊長とこの部屋の惨状について話していると、何かを見つけたのかご主人様がワシを呼んだ。
「どうしたのじゃご主人様」
「ここ」
「ふむ…?」
この犯罪奴隷用の宿舎は所謂刑務所に当たる、なので内装は必要最低限…いやご主人様が指している寝台、それが有るだけで十分その中でも上等な部屋だと言えるだろう。
「これがどうしたのじゃ?」
「この寝台の周辺に引き摺ったあとがある」
「ふむ、確かに…石床が削れておるの」
部屋の隅に有る寝台は、本を隠す隙間もないほど外枠がぴっちりと床とくっついているので寝台の下は伺えない。
けれども確かにこの寝台を引き摺って移動させ、更に元の位置に戻したかのような跡がある。
模様替えをしたのでは?と言われたらおしまいだが、それでも態々寝台一つ分だけ横にずらし、それを更に戻すだろうか?
「ただの模様替えではなさそうじゃの」
「動かせるか?」
「任せておくのじゃご主人様!動かすからちと下がっておくのじゃ」
ワシの言葉を合図にご主人様と隊長が下がったのを確認すると、寝台の縁に手をかけ畳をひっくり返すかのように寝台を動かす。
とたん寝台はくるくると宙を舞い、しばらく後重力にしたがって地面へと墜落し細かな破片を辺りに撒き散らす。
「セルカ?」
「う…すまんのじゃ…。引き摺った跡がこれじゃから、重いのかと思うたから力を込めたのじゃが…意外と軽くての…」
「あー……うん…。ここの寝台軽いわけないんだけどなぁ…」
ご主人様の呆れた様な声に肩を竦ませて答えると、隊長がもうどうにでもしてくれと言った声で天を仰いでいる。
しかしここでふと疑問が浮かんできた、木と藁とボロ布で出来ていた今やゴミ屑と化した寝台とは言え、隊長曰く軽くないそれが地面に叩きつけられたら当たり前だがそれなりの音がする。
なのに誰も騒ぎ立てないし、それにそれ以前に坑道という魔物の発生場所としては非常に疑わしい場所があるのにそちらに向かわないのか。
「ところで、この宿舎におる他の犯罪奴隷はどうしたのじゃ?」
「あぁ、あいつらなら全員今は坑道にぶち込んで、いつも通り色々掘らせてるよ。外はしっかり封鎖してるから出て来る心配もない」
「ふむ、それで静かなのかの。しかし魔物なら先にそっちのほう調べたほうが良いんじゃないかの?」
「あの時坑道は月に一度の点検日でな、封鎖されて中は俺たち衛兵隊が調査中だった」
「なるほど…確かにそれなら此方と考えたほうが正しいの」
ワシも最近知ったことでは有るのだが、坑道と言うのは穢れたマナが溜まりやすい。
なので魔獣や魔物が発生してないか、発生しそうな穢れたマナが溜まってる地点はないか見回るそうだ。
そしてある程度小規模な穢れ溜まりであれば粉末状の晶石を振りかけることで払えるという。
イメージ的にはガスの吸着剤とか中和剤を撒くと言った感じだろうか。
ちょうどその日はそれを行っていた最中だという、確かにそれならそっちに異常が見られるはずだが、中に居た人曰く出てきたらこんな感じでびっくりしたらしい。
「セルカ、そこに戸が」
「うん?」
完全にゴミ屑の方に気を取られていたのですっかり忘れていたゴミ屑があった場所に目を向ければ、正方形の木の板に取っ手が付いた蓋がそこにあった。
「ふむ…これは何ともまぁ…古典的な」
「こてん的?」
「ん?いやこちらの話じゃ」
小説やなんかが無いこの世界では古典的、なんて表現すらないか…。
「まさか…ここにこんなもんがあったなんてな…」
隊長が驚愕に目を見開いていたが当然であろう、何せ此処は監獄…それに穴が空いてたのだ、今まで一体何人が人知れず脱走したのだろうか。
「俺としてはこの先も調査してほしいのだが…」
「魔物が寝台をきっちり戻した…とも思えんが無関係とも言い切れんしの…とは言え決めるのはご主人様じゃ」
「かまわない。この先で魔物が発生しているとも限らないからな」
「助かる、これの件の調査については後で町の長に言って報酬に色を付けてもらうよ」
「セルカ」
「うむ!」
今度は慎重に蓋を開けしばらく待って、何も無い事を確認してからそっと蓋を開けた先に続く穴を覗く。
果たしてそこには暗い穴へと降りていく梯子があり、外から落ち込む光で見えるその先は全くの暗闇で、まるでワシらを招くかのように口を開いているのだった。




