188手間
謎の魔物を倒し抜き身のシャムシールを腕輪に収納し、ご主人様の後に続いて宿へと戻る帰り道。
キョロキョロと気付かれぬよう周りを見回しながら、内心冷や汗をだらだらとかいていた。
鞘どこにやったっけ…。
いま心内を占めているのは、ただ一つその事だけ。
鞘には当然佩くための革帯が付属しているのだが…。
カルンに猛然と駆け寄る魔物を前にしては、腰にそれを帯びるそんな暇すら無かった。
右手で剣を抜いたので当然鞘は左手に持っていたはず。
しかし、魔物に斬りかかる時左手には何も持っていなかった。
当然それより前に鞘を手放したという事になるのだが、それが何時だかわからない。
道端に落ちてるならまだ良い、だが川を飛び越えた時などに落としていたら探しようがない。
何処かに引っかかっていたら御の字だろうが、斜面に流れる為それなりに勢いのあるこの川では期待もできない。
色気もロマンのへったくれもない物ではあるのだが、アレは大切な大切なカルンからの贈り物だ。
貰ったのはワシがカイルとの剣術の稽古相手になるようにと、剣術を習い始めた時に。
「これ似合うと思って」と言う前口上で取り出したものだから、てっきり装飾品や服の類いだと思っていたのに。
確かに…確かに…鋼に薄っすらと薄緑が混じったミスリルの刀身は美しく。
鍔から刀身の四半ほどまでの鎬に沿って草木モチーフの彫り物があり。
鞘にも同じモチーフを金糸で表現され刀剣としての見事さと共に美術品としても一級だろう。
思わず違うそうじゃないと叫びそうになったのを、嬉しくて言葉に詰まったものと勘違いされたのは流石に苦笑した。
勿論若干ずれているとは言え心を込めた贈り物、嬉しくない訳がないのは当然なのでその勘違いは未だに正されていない。
そんな大事な鞘を何処に落としたかわからなくなった…。
悔やむくらいならもっと丁寧に扱えよ過去のワシと思うが後の祭り。
今出来るのは如何にカルンに気づかれずに鞘を探し出すかだ。
普通であれば美術品として価値の高そうな物が落ちてたら、既に拾われているだろうが。
幸いな事に謎の魔物に怯えてか宿までの道中には人っ子一人いない。
けれども道中見えるところには鞘は落ちて無く、冷や汗を増量しつつ部屋に戻る。
そして目に入るのは寝台付近に放り投げられた鞘…。
「よかったのじゃ…」
「ん?どうしたんです?」
「い、いや!カルンの下に駆けつけるのが間に合って良かった…との…」
「そうですね…あんなに硬いとは思わなかったので助かりました」
思わず漏れた呟きに慌てて苦しい言い訳をしたのだが。
ワシの内心を知らずか笑顔で口づけをされて、嬉しいやら心苦しいやらで先ほどとは違う汗が出てくる。
「そういえば、杖はちゃんと買えたのかの?」
「えぇ、ちょうどあの騒ぎの直前に店を出て」
「なるほど、それは何とも運が悪かったのぉ」
「お陰で町の人に被害が無かったですし」
「それもそうじゃの」
魔物が出て来る前に犯罪奴隷脱走の警報で、皆家に引っ込んでいたのが幸いした。
町の人がまず立ち寄ることのない門付近だったとは言え、平時であれば少なからず住民に被害が出ていたであろう。
恐らくは衛兵には被害が出ているだろうが…それは果敢に戦ったと褒め称え冥福を祈るしか無い。
犯罪奴隷は…どうでもいい、そもそもこの世界に人権という物は無いし、仮にあったとしても奴らには考慮されない代物だ。
殺人、強盗、盗賊、強姦、火付け様々な重犯罪に手を染めた奴らなのだ慈悲など無い。
生かしてるだけ…とも思うかもしれないが、実際はワシらの領カカルニアでの場合ではあるのだが…。
処刑するのにだってかなりの手間がかかる、なのでその手間の代わりにわずかばかりの水と食料だけで毎日死ぬまで休み無しで働かせる。
簡単に言えば強制的に過労死させる。まさにザ・奴隷という扱いだ。
ここではどうだかわからないが似たようなものだろう、精々使い潰す労働力が減った扱い。
しかも大抵の場合逃げにくく危険な坑道で働かせるので、落盤などの事故で一気に減ることもまま有る。誰も頭を悩ませることなど無いのだ。
そんな事をちょっと考えているうちにカルンが買ってきたという杖を寝台の上に並べていた。
真っ直ぐな握りこぶしを少し開いた程度で持てる太さの木に金属製の石突、杖頭には淡い桜色がマーブル模様で入った大理石の様な質感の飾り。
それぞれ長さと杖頭の飾りだけが違う杖が三本、そう三本…ワシの物はない。
ワシは魔法が使えないので当然ではあるので悔しくなんてない、悔しくなんて無いのじゃ。
一応狐火が威力は落ちるもの人の時でも使えるようになったのだが、あれは魔法というより技に近いので杖など不要。
それを言ったら杖自体も魔法に必須というわけでは無いのだが…。
「この一番短いのがライラので、花と蕾の意趣を。次にこの中間のものがカイルで若木と川の流れを、それで一番長いのが僕ので大樹を」
カルンがそれぞれの杖頭に掘られた意趣を説明してくれた、この杖頭は大理石のような質感ではあるが硬さはそれの比ではない、打撃に使っても問題ない程の強度を誇る。
そしてそれぞれの意趣は未成年の男女と、成人男性…特に結婚して家を持っている人にそれぞれ人気の物だ。
花と蕾は今咲き誇る可憐さと将来花開く大輪の花を、若木と川は成長と何事にも負けぬ力強さを、そして大樹は一家を支える大黒柱を表している。
「それでですね…これ似合うと思って」
「うん?」
また何ぞ色気の無いものかと思っていると左手を取られ、指に何か嵌められた。
その感触に慌てて顔の前に手の甲を翳すと左手の薬指に輝くものが…。
「前にセルカさんの里では左手の薬指にする指輪を贈るのは特別な意味があるって聞いて…」
確かにこの世界に結婚指輪と言うものは無いから、里での風習と言う事にして確かにそんな事を言った。
「細工の工房で眺めてたし、以前剣を贈った時はちょっとガッカリしてたし…」
色々バレてた…所々抜けてるようで実はちゃんと見てくれてたことに嬉しくなる。
「こんな時じゃなくてもっと雰囲気とか有ると思うけど…セルカさんだけ何も無いのはちょっと…」
雰囲気とか今はどうでもいい、ランプの光や陽の光に何度も何度も翳し薬指に輝く指輪を眺める。
杖頭と同じ素材で出来た幾重に絡まり伸びる蔓を模した指輪に、晶石を削り作られた葉と果実が全面に散りばめられた指輪。
蔓はたとえ断ち切られようとも幾度も伸び切れぬ絆を、葉は様々な物を受け止め包み込む心を、果実は育まれる愛を表す。
「気に入って…くれました?」
おずおずと尋ねるカルンに何か言葉を返したいが、胸が詰まりすぎてパクパクと口を動かすのが精々で声が出ない。
そして遂に胸に詰まったものが弾けるかのように飛びつき、カルンの首に手を回し口付けを交わす。
その勢いでカルンを下敷きにして寝台へと倒れ込んでしまったが、くるりと上下を入れ替えられ今度はカルンから口づけされる。
その後のことは寝台からさっさと逃げ出したスズリにでも聞いて欲しい…。




