168手間
木枠だけの窓にカーテン状に垂れ下がる布の隙間から吹き込む風を頬に感じつつ、膝の上で寝息を立てているライラの夕焼けに照らされた麦畑のような金糸に赤が混じったサラサラの髪の毛をなでる。
路傍の石でも乗り上げたのかガタンとソファーが揺れるがライラは少し呻いただけで起きる気配はない、先程までは流れる景色にはしゃいでいたのだが殆ど変わらない景色に飽き今はこの有様だ。
ワシの向かいの席にはカイルが座り、その横には時折パタパタと尻尾を動かし退屈そうにしているフェンが丸まっている。
ワシらは今二頭立ての馬車に揺られ、世界樹の街へと向かっている。お父様から数巡りに一度いろいろな報告をしに世界樹の街へと赴く役を仰せつかったからだ。
といっても難しい話があるわけでもなし、子供二人を連れての初の旅行ついでにというお父様の気遣いらしい、ここにカルンが居れば家族水入らず完璧だったのだが生憎と忙しく都合がつかなかった。
御者にライニを付け馬車旅が初めてのカイルとライラの為にかなり余裕を見た旅程となっている。道中野営をするがこれもいい機会だ。カイルもキャンプみたいだと楽しみにしている。
「しかし…」
「うん?」
木枠に肘をつき外を眺めていたカイルがそれに飽きたのか此方に向き直り、今まで見ていた長閑な景色のようなゆったりとした口調で口を開いた。
「こういう馬車で旅をしてると、本当に貴族なんだなぁ…って…」
今乗っている馬車は三人がけのソファーが対面になるように配置された箱型のもので、ソファーの左右四ヶ所に大きめな木枠だけの簡素な窓にカーテンで目隠しをされたタイプのものだ。
以前乗せてもらった窓にすりガラスの様なものがはまった馬車に比べれば格は落ちるが、ソファーにはクッションがしっかりと備え付けられ、木製ではあるもののしなりを利用したバネがあり、振動もかなり押さえられた良いものだ。
有り体に言えば貴族が乗ってそうな馬車。以前カイルやライラにはワシらは貴族であると言ったが、どういうものかは説明してなかったなとふと思い出した。
「貴族は嫌かえ?」
「別にそうじゃないけど…やっぱり政略結婚とかお家騒動とかあるのかなって…」
「ふぅむ、そうじゃのぉ…カイルの思うておるような貴族とはちと違うかの」
「そうなの?」
「うむ、どちらかと言えば村長や町長などの延長じゃの、領地を運営する家の事を指す言葉じゃ。故に爵位とかはないのじゃよ。残念じゃったな、一応我が家は一等位が高い貴族じゃが」
「そういえば…うーん、残念…なのかな…?そう言えば王様とか会ったこと無いけど居るの?」
「おらん、そもそも国が無いのじゃ」
「国が無い?」
「うむ、ある意味では領が一つの国とも言えるの、つまりお父様が…カイルのお祖父様じゃの、それが国王に当たると言っても良いじゃろう」
「つまり父様は王子様?」
「そうじゃの、といっても特権階級では無いから気をつけるのじゃぞ」
「はい」
「せっかくなので他の領の事も教えてください」
面白いものを見つけたとでも言いそうなカイルの目に、魔獣も出ないしそれも良いかと講釈を続ける。
「ふむ…そうじゃのぉ、まずは東多領かの」
「多領…聞きなれない言葉ですね」
「うむ、連邦といったところかの、都市国家が集まって一つの国として振る舞っておると考えれば良いじゃろうか、仲はあまり良くないようじゃが…」
「なるほど…それで多領」
「うむ、治安はあまり良くないかの、町の近くでも野盗に襲われることも多いのじゃ、中には私掠船じみた奴らもおるがのぉ…」
「うわ…あまり行きたくないな…」
「十数の領からなるのじゃが…巡りが十ほど前に魔物の氾濫で滅ぼされた領があるのじゃ。ワシとカルンもそれの解決に向かっての。そこでカルンにプロポーズされてのぉ…」
「か…母様、氾濫とは何ですか」
「氾濫とは詳しい原因は分かっておらんのじゃが大量の魔獣や魔物が一気に襲ってくる現象じゃの。何故か氾濫で生じた魔物は弱いのじゃがその分数が多いのじゃ」
「ふぅ…母様は惚気を喋りだすと長いからな…」
「なんか言うたかえ?」
「いえ何も。えっと…氾濫って領を滅ぼしちゃうようなものばっかりなんですか?」
「いや、その時はかなーり特殊な氾濫での、普通はそこまででも無いのじゃ。それに領と言うてもカカルニアの街よりも小さな街一つじゃったしの」
「なるほど」
「幸いハンターの数も増え大きなものはおきておらんから安心するのじゃ」
正直アレは魔物よりも人のした事の方が酷かった。ライラは勿論カイルにも教えることはないだろう…。
門を閉め自分たちが逃げる時間を稼ぐための囮にするなど…。
「か…母様」
「おぉ、すまぬすまぬちと嫌なやつを思い出してのぉ」
「嫌な奴?」
どうやらワシは相当怖い顔をしてたらしい。カイルがおっかなびっくりワシの事を呼ぶので無理やりだが話題を変え、あの悪徳貴族が服着て歩いてるやつの醜態を話し、ひとまずの溜飲を下げる。
馬車は話している間も順調に走る、間もなくバスティオン山脈が近くに見えその威容に驚くだろうが、その先の光景を見たらどう言う反応を二人がしてくれるか、今から笑いを堪えるのに必死なのだった…。




