166手間
控えめなノックの音に入室を許可してやれば入ってきたのはカイルだった。だがこれは分かっていたこと、使用人であればノックの後に扉の外から用件を言ってくる、ライラであればノックと同時に入ってくる。
なのでそれ以外の反応だとカルンとカイルだけだが、残念だが非常に残念な事だがカルンは今居ないので残るのはカイルとなる。
「もう夕食の時間かの?」
「いえ、それはまだですが…」
この部屋には窓がない、なので何か書類などに集中していると今が何時かよくわからなくなる、お茶が冷えていたから結構時間が経っていると思っていたのだが意外とそうでもなかったようだ。
「ではどうしたのじゃ?」
ワシがこの部屋に居るという事は仕事をしているということ、ライラはそこの所などお構いなしにかまってくれと飼い猫の様にじゃれてくるが、カイルは遠慮しているのか夕食など呼びに来る時以外はまずこの部屋には寄り付かない。
まだ十歳なのだから母親としてはもっと甘えてくれても良いのだが…。
「その………母様にお願いがありまして」
「ほう、カイルがお願い事とは珍しいの、遠慮せず言うてみい」
カイルは甘えるどころかこれが欲しいあれが欲しいなんてめったに言わない。そんなカイルが珍しくこの部屋にまで来てお願い事などなるべく叶えてやりたくなる。ある意味カイルはおねだり上手かもしれない。
しかし、カイルは眉根を寄せてまるでこれから大勢の前で壇上に立ち何かを宣誓するかのような表情をしている。たかがお願い事を言うのにそれほど緊張しなくてもと思うが、カイルの珍しいその表情に思わず微笑みがもれる。
「その…家を出てハンターになりたい…と…」
「ならぬ」
こわごわとカイルが口にした言葉をはっきりとした口調で切り捨てる。
「えっ!だけど前…」
「確かに…ハンターになるのならば止めはせぬと言うたが」
「だったらなぜ」
「まだ十じゃろう。それに学習院も卒業しておらぬ」
「毎日行くわけじゃないですしハンターをしながらでも…」
「両立出来るわけがなかろう?それにカイルより後から剣を習い始めたワシから、まだ一本も取れては居らぬではないか」
カイルに剣の才能があることが分かり暇がある時に元ハンターであるライニに剣を習いに行っているのだが、ライニだって忙しい毎日出来るわけではないので多少の稽古相手になれるようにと、カイルに続いてワシもライニに剣を習い始めたのだ。
ちなみにライラには魔法の才能がある、初めて法術を教えた時にワシの狐火の様なものを発動させてあわや大惨事になる所だった、あれの威力をよく知るワシがとっさに魔手で文字通り握りつぶさねばどうなっていたことか…。
さらにカイルは何と剣の技を使えるのだがさらに魔法まで使える、技が使えれば魔法は使えない、魔法が使えれば技が使えないという常識をひっくり返す、まさにチートみたいな能力だ。
だからこそなのだろうか、才能の過信と言うか…賢いカイルならと思っていたが、よくよく考えなくても十歳のまだまだ子供なのだ、ある意味で当然だろう。
「それは…母様が規格外なだけです。それに僕ならすぐにでも」
「カイルならすぐにでも三等級まで上がれるじゃろうの。じゃが、それでも少なくない日数がかかる。家を出てどうするのじゃ?」
「ギルドの宿舎を借りて…そこで…」
「この街の宿舎は一杯で今は空きが無いんじゃよ」
人が増えたおかげでハンターも増え、新人用の宿舎は暫く先まで常に満室だろう。なので新しく宿舎を借りたい人はこの街を出て、別の町で宿舎を借りてもらうことになっている、お蔭でハンターの新人が広い範囲に行き渡り、そのままそこに居着くハンターも出て、魔獣等からの被害もかなり減っている。
「だったら普通に宿を借りて」
「一日二日ではないのじゃ、五等級のハンターが宿に泊まるほどの稼げぬから宿舎というものがあるのじゃ」
「ですが…」
「なぜ家を出ていくことにこだわるのじゃ?今すぐは許可できぬが学習院を卒業すれば賛成は出来ぬが止めはせぬ、わざわざ宿舎など行かんでも家から行けばよかろう?」
「それは…その…なんといいますか心苦しくて…」
「家の事など子供が親に遠慮するでない」
「いえ…だから…それが…」
歯切れの悪い言葉を並べズボンのを両手でぎゅっと握りしめて、まるで何か断罪の言葉を受けているかのようにカイルは俯いて何かに耐えているようだった。
「ふぅむ…。理由があるのならば言うてみい?」
「言っても信じてもらえるか…」
「子供の言葉を信じぬ親がどこにおるというのじゃ?少なくともここにはおらん」
「や…やめてください、僕は…ずっと…母さ…あなたやライラ…父様を騙してた」
「う?うん?何を言うておるのじゃ?」
「僕は…僕は本当の子供じゃないんです!」
「はぁ?子供の言葉をと言うたばかりじゃが…。カイル…おぬしはワシが腹を痛めて産んだ正真正銘ワシの子じゃよ」
学習院で何か言われたのだろうか…子供特有の特別願望と言えば良いのだろうか、それが悪い方に作用しているというか、アニメや何かの影響で自分は拾われっ子なんじゃないかーとか実は凄い人の子供だったりなんて考える時期が誰しもあったはず…たぶん。
「銀糸の髪に釣り上がった眦はワシそっくりじゃ!キリリとした口元とスッキリとした鼻筋はカルンそのもの、これがワシの子でなくて誰の子と言うのじゃ」
「いえ…そうでは…」
「ふむ?もしやライラと種族が違うことを何ぞ言われたかの?安心するが良い、見た目は混じっても種族が混じるという事は無いのじゃ。片方が獣人でもヒューマンが産まれることは…と言うよりもヒューマンが産まれる可能性の方が高いほどじゃ」
「ハーフとかは無いんですか?」
「うむ、ハーフもクォーターも無いのじゃ…。う…ん?」
今何かおかしなことを聞いたような?
「あ、いえもっとそれよりも…もっと根本的なことで僕は本当の子供じゃないんです」
「血よりも根本的…とな?」
続きを促すがカイルは深呼吸を繰り返し、覚悟を決めたかのような顔でこちらを目の力だけで射竦めようとするかの如く眉間に皺を寄せゆっくりと口を開いた。
「僕は転生して前世の記憶があるんです!」
「ん?んんんん?」
「だから本当の子供の魂を追い出してしまったんじゃないかって…」
「んん?」
カイルの口から飛び出してきた言葉に理解が及ばず、口からは変な音しか漏れてこない。
「この世界でも輪廻転生はあるみたいだけど、僕の前世はこの世界じゃないから…この世界の魂をはじき出してしまったんじゃないかって…」
「それは…転生するときにでも誰ぞから言われたのかえ?」
「転生する時に神様に…姿は見えなかったけど女の人の声だったから、女神なの…かな?なんか手違いがあって元の世界で転生できなくなったから、こっちで産まれてくる子供に転生させるって…」
「あぁ…それで追い出したなどと…」
「今まで騙していて…」
「はぁ…カイルや…こっちに来なさい」
「はい…」
カイルの言葉を一笑に付す事は簡単だ、だがワシにはそれは出来ない何故ならばワシもそうだからだ。よくよく考えればカイルは転生ものの主人公のテンプレみたいな子供だった。小さい頃から言葉を話し本に興味を持ち、読み書き計算をこなす。しかもこの世界の常識ではありえない、技と魔法を同時に使用可能というチート持ちだ。
だが…。
「カイルや…。中身が何であろうとおぬしはワシが腹を痛めて産んだ愛しい愛しい我が子じゃ。それは神が何と言おうと何があろうと変わらぬ事実じゃ」
「母…様…」
今まで扉の前で立ち尽くしていたカイルを側に呼び、その手をぎゅっと握りしめてカイルが望む言葉では無いかもしれないが、しっかりと伝わるようにゆっくりと言い聞かせる。
中身がじじいだろうがおっさんだろうが、元女だろうがなんだろうがカイルはワシの子供それ以外の何者でもない。
「ずっと黙っていることだってできたじゃろうに、良く言うてくれたの流石はワシの子供じゃ」
「信じて…くれるんですか?」
「うむ、信じるも何もワシもそうじゃからの」
「え?」
そう言った途端、カイルの頬を伝っていた雫が面白いようにピタリと止まった。
「ワシの場合ちぃーとばかし違うがの。じゃが、区分としては転生であっておるじゃろう」
「母様も前世の記憶が?」
「うむ、まぁ大部分忘れておるがの。カイルはどうなのじゃ?」
「えっと…かなり覚えてます、前世の両親とか…」
「ふむ…では…やはりワシの事は母とは思えぬかえ…?」
前世の両親を覚えているのならきついのかもしれない…。
「そっそんな事は!前世は何というか覚えてると言ってもやっぱり前世だし…母様は…その…えっと大好きです」
「んふー!そうかえそうかえ」
恥ずかしそうに顔を赤らめるカイルの頭を無理やり引き寄せてワシの胸に埋めさせ、頭をこれでもかと撫で回す。
「かっ母様…流石にこれは」
「良いではないか良いではないか。ワシらは親子じゃからの、何も恥ずかしがることは無いのじゃ」
「おっ親子だからって恥ずかしいものは恥ずかしいです!」
その後、夕飯と呼びに来たライラが「わたしもー!」と乱入してくるまで思う存分カイルの抱きしめるのだった。




