165手間
アレックスが最後に西多領に足を運んだのは関ができる前、特にお触れが出てたわけでもなくいつも通りだったらしい。
結局は西多領との行き来が書類上は完全に絶たれてから二巡り経つが何も動きはない、何も無いのなら良いではないかと言う人も居るが、何も無いというのは絶対におかしい。
今まで交易をしていた所が何の音沙汰も無くそれを断ったのだ、何か無いと思うほうが無能というもの、勿論昨日今日で止めたわけではない、何度か一番近い幾つかの領に使者を送りはしたが梨の礫、まるで口にまで関を設けるが如く沈黙を保っていた。
西多領は比較的裕福だ…といってもそれは東多領に比べてという話で、我らがカカルニア領と比べればその経済規模は大人と子供ほど違う、広い領に加え危険があるとは言え遺物を生み出すダンジョンを擁し、更には豊富な埋蔵量を誇る晶石鉱山もある。
確かにカカルニア領は西多領から小麦を輸入していたが、それこそお手伝いのお小遣いとしてお金を渡しているかのような関係だった。まさかソレが嫌になって…?
「まさかそんな子供じみた理由では無かろう…」
「かーさまっ!」
一人思案しつつ独り言が漏れた頃、後ろから思いっきり楽しそうな声と一緒に何かがぶつかってきた。
「おぉ、おかえりライラ。今日の授業はどうじゃった?」
「楽しかったよー。でもやっぱり母様の授業の方がわかりやすいかな?」
「ふふ、そうかえ。では、他のものにもわかりやすく授業ができるよう頑張ってもらわねばの」
腰に組み付かれているので上半身だけでぐるりと後ろを向けば赤みを帯びた金色の狐耳が見える。
その耳に向けておかえりと言えば腰に組み付いていたものはパッと離れ、ニコニコとした笑顔でワシの前に回ってきた。
知らないものが見れば姉妹にでも見えるであろうワシと似通った容姿の彼女はワシの愛娘、成長しないワシと違いスクスクと育つ娘は、早晩ワシの背を追い抜くであろう。
快活な口調とは裏腹に優しげに下がる目尻は、出会った頃のカルンにそっくりで、将来は…いや既にいったい何人の男を魅了していることやら。
まだ十だというのに中々の大きさに実った果実は、悪い虫を幾らでもでも呼び寄せてしまうであろう。
「全くもう少し慎みを…」
「えー。兄様はもうちょっとはっちゃけても良いんじゃない?」
「カイルもおかえりなのじゃ」
「ただいま戻りました、母様」
後ろから呆れた声が聞こえそれに振り向けば、ワシよりも少し背の高い愛息のカイルが立っていた。
カイルはライラとは逆にワシに似たキリリと釣り上がる目尻に白銀の髪、スラリとした印象のそれは刀剣にも似て、ライラへとにじり寄る悪い虫を切り捨ててくれるであろう。
「しかし、ついこの間まで小脇に抱えれるほどじゃったのにのぉ…」
「一体いつの話ですか…それにそんな事を言うほど母様も口調ほどの歳はとってないでしょう」
「カイルも言うようになったのぉ、反抗期であれば厳しく躾けねばならぬが?」
「そんな馬鹿なことはしませんよ」
「うむうむ」
カイルの言うとおりワシはまだ二十七歳…それでいて十歳の子供が居ると考えたら前世であれば軽く犯罪的ではある、その上見た目は未だに十代なのだから。
「ねね、かーさまかーさま」
「はいはい、おやつはいつもの所にあるのじゃよ」
「やった!」
言うやいなやライラは軽い足音を立てて駆けてゆく。
「手はちゃんとあらうんじゃよー」
「まったく…」
「カイルや」
「わかってますって母様」
「はーい」という声は既に遠く、カイルはやれやれと言った感じで声の方へと歩いて行く、全く同じ日に産まれた双子のはずなのに、まるでカイルのほうが幾つも前に産まれた兄かの様に振る舞う様子は何とも可笑しい。
「ワシもがんばらねばの…」
廊下の奥へと消えた二人を見送り自分の部屋へ戻り、書類の山と格闘する決意を固める。今ワシが居るのは新しく造られた防壁と旧くからある防壁の間に造られた、新市街と呼ばれる区画にある屋敷。
安全な北側とは言え防壁は完全には出来ていない、旧くからある防壁の内側…旧市街に比べて多くの衛兵が巡回しているとは言えそんな所に住みたがる人は中々に少ない、身を守る術が無いのなら尚さらだ…なのでワシら貴族が率先して住み安全であると示している。
もちろんそれだけが理由ではなく、カイルとライラという家族も増え加えてカルンは三男坊、いつまでも領主の屋敷に居るわけにもいかない、なのでこちらの屋敷の完成とともに引っ越してきたのだ。
この屋敷は領主のものと比べるべくもないが、それでも普通の家に比べれば圧倒的に大きい、なので正式に使用人となったエラと共に新しく使用人として雇ったものを何人か連れてきている。
「奥様お茶をお持ちしました」
「うむ、助かるのじゃ」
「あまり根を詰められますと…」
「分かっておる。この一角を終えれば今日は仕舞いじゃ」
カラカラとカートを押してきた使用人の苦言に苦笑いを返しながらも、手のひらを越える厚さの書類の山を指し使用人の苦笑いを誘う。
前世の紙に比べれば幾分か分厚いため数はそれなりだが、あまり書類仕事に慣れていない人から見れば相当な量に映るのだろう。
書類の中身は東多領や自領内での交易の数字を記したもの、そして西多領に関する報告などが書き記されたものだ。
「ほんとに何を考えておるやら…」
「何も無いのでしたら捨て置いても良いのでは?」
「個人や少数の領で起こしておる事であればそれでもよいのじゃがの、事は西多領全てが起こしておる。せめて目的でも分かればよいのじゃが…」
「目的…ですか。私にはさっぱり、奥様は何か目星でも?」
「何か動きがあれば多少は分かるんじゃがの、関を造り税を取る…それ以外の動きがさっぱりじゃからの」
「では、税を取るのが目的なのでは?」
「それであれば今とは逆に活発に人が行き来が出来ねば意味がないであろう?、関を維持するのもタダではないのじゃし、そもその税が元で人が動かんくなっとるのじゃから」
「確かに…」
正式に西多領が人の行き来を制限したわけではない、だが関を設け決して安くはない税を取ることでゆっくりと蛇口を閉めるかの如く自然に人の行き来が減り、遂には書類上は完全に零に至ってしまった。
税が取られると言うのもそこを通った商人からの泣き言を聞いたから分かったことであって西多領から何か言ってきたわけではない、奴らは完全に口を噤んでいる。
もちろん西多領とカカルニアの街の間はかなりの距離が離れており当然その間には町や村が幾つもある、狩猟や耕作を主にしている村や町は特に問題はないのだが、そうはいかなかったのが街道の上にある町だ。
個人などで行き来する人はまだ居るかもしれないが、書類に残るような西多領とこちらを行き来する商人相手に商売をしていた道中の町は悲鳴を上げ、ある程度資金を与えそれで急場を凌ぎつつ、耕作地を造りそこから優先的に小麦を買い取る事でなんとか凌ぎはしたがいつまでもそうしている訳にはいかない。
完全に宿場町としての役割をすてさせて耕作を主な産業にさせるか一刻も早く西多領との交易を復活させるか…どちらもなかなか難しい。
「問題調査などの為にある程度権限をお父様から貰いはしたのじゃが…」
流石に領地運営に関しての功績はない三男坊の嫁では一任されるほどの権限は貰えなかった、これも街道の宿場町が急場を凌ぐ為の案を出したからこそ貰えた権限ではあるが。たとえ権限があったところで知恵も無いしそれはそれで困るのだが…。
「はぁ…ハンターとして駆け回っておった方が楽じゃのぉ…。カルンが居ればのぉ…はぁ…カルンに会いたい…のじゃ」
使用人が下がりすっかり冷めてしまったお茶を飲みながら独りごちる。カルンはお兄様達と共に忙しく領内を飛び回っているので二期ほど会っていない。
寂しさに耐えながらも書類の山も崩し、さてと休憩するかと腰をあげようとした瞬間、コンコンと遠慮がちに部屋の中にノックの音が響くのだった。




