159手間
ねむい… おきなきゃ… さむい… まだねてたい…
ねむい… おきなきゃ… あたたかくなってきた… そろそろおきてもいいかな…
おきなきゃ!おきなきゃ!
「うぅむ…ここは…?」
「えっ…あっ!奥様ー!奥様ー!セルカ様がー」
かなり長い間、寝てたような起きてたような曖昧な状態だった気がする…実際に起こったことのはずなのに白昼夢の様に曖昧で、夢の様に朧げにしか覚えていない。
頭の中から眠気を追い出すかのようにこめかみの辺りを両手でぐるぐると揉んだ後、ここは何処だろうと周りを見渡せば馬車でも宿でもなく、見慣れた我が家と言って良いのだろうか…カルンの部屋だった。
「漸くお目覚めーっていうのもちょっと違うかしらね…」
「お母…様?」
「そうよー貴方のお母さんよー」
「ワシは…いつの間に…?」
「帰ってきたのは一月ほど前よ、ずーっと生返事ばかりだからおかしとは思ってたんだけど…セルカちゃんがしっかり覚えてるのって何時までかしら?」
「ダンジョンの奥まで…かのぅ…」
「カルンの話だとそこで倒れたんだっけ?」
「そう…じゃの…」
「うーん、まぁでもラッキーだったのかしら」
「うん?」
「あ、奥様。その時期からでしたら気付いてないのでは?獣人はかなり早いので」
「そう言えばそうだったわね」
お母様のそばで控えているメイドの格好をした直立歩行の猫の様な獣人が何事かをお母様に伝えると、ポンと手を叩いてお母様は花のような笑顔を見せた。
「セルカちゃんおめでとう」
「うむ?」
「あなたもお母さんの仲間入りよ」
「え?」
「うふふ、あかちゃん。いまそのお腹の中にいるのよ」
「ワ…ワシの…?」
「そう、カルンとセルカちゃんの赤ちゃん」
いつの間に着替えさせられたのか、ゆったりとしたワンピースの上からお腹を撫でると、小柄な体のせいなのかは分からないがぽっこりと既に少しだけワンピースを持ち上げるほどお腹が大きくなっていた。
なんでこんなにも早くお腹が大きくなるのかとか、そんな疑問が一瞬浮かんだがそんなものを吹き飛ばすかのように胸の奥からじわりじわりと暖かいものが溢れてきて、体の内に抑えきれないものが目から次々をこぼれ落ちてくる。
「カルンとの…」
「ふふふふ、そんなに幸せそうな顔してもらえると、カルンの母親として鼻が高いわ」
「では奥様。私はカルン様をお呼びしてきますね」
「えぇ、お願いするわ」
「さてと…そうね覚えてないようだしもう一度注意しておきましょうかね」
「んう?」
「お酒はダメ、一人でのシャワーも出歩くのもダメ、必ず誰か付けること。あと当然だけどカルンに求められても応えちゃダメよ?」
「う…うむ」
「それと出来れば付けるのはさっきの人、エラって獣人を呼びなさい」
「彼女は…?」
確か以前は見たことがなかった、となると新しく雇った人なのだろう事は分かるのだが…。
「彼女は乳母よ、セルカちゃんが帰ってきた時様子がおかしかったから呼んだ治療師の人が、セルカちゃんが妊娠してるって気付いてね、それで獣人の乳母を雇ったのよ」
「そうじゃったのか…」
「セルカさん!あぁ…よかった…」
何処に居たのかは知らないが、ここまで走ってきたのだろう少し息を弾ませたカルンが、部屋に駆け込んできた勢い其のままに靴を脱ぎ捨て、寝台の上に上半身を起こした状態で座っているワシの下まで来てワシの両手をとり自分の頬へとすり寄せてきた。
「カルン、心配だったのは分かるけど、まず言うことがあるでしょ」
「そうでした…セルカさん…僕の子供を産んでくれてありがとう!」
「んふふ、カルンや…ちと気が早いのぉ。まだ子を成しただけでまだ産んではおらんのじゃよ」
「あっ…そうでした」
「そうですね、獣人はヒューマンより妊娠期間が短いですが、それでもあと二期ほどありますね…恐らくは四期の中の月頃になるかと」
「ほう…そんなに早いのかえ…」
「えぇ…その分つわりなども重いのですが…恐らくセルカ様の意識が朦朧としてたのはそのせいかと…」
「セルカちゃんはそういうこと知らなかったの?」
お母様に言われて気付いたが、確かにそういう事は教えてもらわなかった。
「う…うむ」
「親にもよると思うのですが、獣人の場合大抵そういうことを教えるのは番が出来てからですので…」
「それもそうね、つわりが重いなんていわれたら、私だったらちょっと尻込みしちゃうわ」
「ですのでセルカ様。何か分からないことが御座いましたら何なりと、このエラめにお申し付け下さい。こう見えても五児の母ですので」
「五人かえ…それは頼もしいのじゃ」
「取り敢えずはもう少しで安定期ですので、それまではお食事なども此方にお持ちしますのでなるべく動かれないように」
「う…む」
「赤ちゃんのための服なんかを繕ってればいいわよ。クッションを沢山用意しておいたから腰の周りにいっぱい置くとすごく楽になると思うわ。ちょうど綿の木が実をつける頃に帰ってきてよかったわ、良いものを揃えれたもの」
言われてみればクッションの数が異様に増えていた。木の実という事は木綿ではなく木綿と呼ばれる方なのだろう、話には聞いたことがある程度のものなのだがそれにしてもコレだけのクッションの量の分となるとどれほど大量の木綿の実を使ったのやら…。
「それじゃ、今日はもう遅いしもうお休みなさい、カルン…エラを侍らせてはいるけどもまず貴方がセルカちゃんの事を一番に気にかけてあげるのよ」
「はい」
「よろしい、それじゃおやすみなさい」
「おやすみなのじゃ」
「おやすみなさい」
「セルカ様、私は隣の部屋に控えておりますので」
「うむ」
「それでは失礼します」
思えば確かに妊娠の初期症状の様なものはあった、下腹部の痛みや食事の変化…その時していたことを思うと良く流産しなかったと今更ながら震えてきた。
「セルカさん、もう横になりましょう」
「うむ…そうじゃの」
カルンに支えられゆっくりと体を横にするとカルンの手によって毛布がかけられ、それに潜り込むようにカルンも横になる。
「ワシが…母親…のぉ…」
「ありがとうございます」
「こちらこそ…なのじゃ」
ワシとしてはずっと寝ていた気分なのだが、実際はそうではなかったのだろう、カルンの言葉に答えたつもりではあるのだが、言い終えるが早いかすぐに寝息を立て始めるのだった。




