157手間
夜明けものよりも一段と澄み渡った空気の中、カツンカツンと石畳を歩く音だけが響いているけれどもそんな中で、時折聞こえるズズッズズッという重いものを引き摺る音にビクリと身を固め、思わずカルンの腕にしがみつきたくなるがここはダンジョン、その衝動をぐっと押さえ込み拳を握りしめて睨みつけるかの様に前を見据える目にはきっと水が溜まっていることだろう。
今は二十…八階層か、以前のホラー階層に比べたら圧倒的なまでな順調さで進んでいる、薄暗いとは言え十分過ぎるほど見渡せる光量…それだけで気が楽になるとは、けれども何処からともなく聞こえる石を削るような重い音にワシの心は暗澹たる思いだ。
何を隠そうこの階層にもあの石像が居るのだ、あやつに見つかると大量の魔物を呼び寄せられる実にいやらしいが、それ自体はワシらには何ら痛痒を与えたりはしない…石像自体も剣の柄頭で殴れば簡単に削れるほど、ワシが魔手で殴れば一撃で粉砕できる、その程度の強さ…。
しかも、この辺りの階層からなのかそれとも以前からやっていたのかは知らないが、十字路に差し掛かると左右を確認する動作までするようになっていた。人の胴体辺りまでを視認しないと反応しないようなので、角から顔を出して通過するのを確認することが出来ることだけが救いだろうか。
「あやつの声は二度と近くで聞きたくないのじゃ…」
「確かにアレの声はキンキンと耳に響くが…そこまでビビるほどか?」
「あやつの声はキンキンなどという生易しいものじゃないのじゃ…いやなのじゃ…」
目尻に涙を溜めプルプルと拳を握りしめ力なく耳が垂れ下がっている様は、見た目相応の…いやそれ以上に幼く見えているかもしれない。ぽんぽんと頭の上に置かれているカルンの手のぬくもりのお陰でそれ以上の醜態は晒さないでいれた。
ヒューマンでは聞くことすら出来ない音をも拾える獣人の耳が今回ばかりは仇となった、アレックスはこういう事に意外と鈍いのでキンキンと表現した音の聞こえ方に疑問が残るのだが、カルンを含め他の誰も指摘しないということは多少の差異はあれども、聞こえ方に指摘するほどの差は無かったのだろう。
ワシが聞いたソレは憎悪と絶望を引き伸ばしそれを嗜虐の爪で引っ掻いたかのような金切り声…それを間近で、しかも暗闇の中にあったのに尚暗く見えた虚の様な瞳とも呼べないものと目があった直後に聞いたのだ。その時の心情は推して知るべし。トラウマになったと言ってもいいだろう。
以前の階層では暗くて全容が見えなかった石像だが、明るいところで見てみると醜悪か手抜きか愛嬌があるなど見る人によって違った印象を与える姿だった。それは十歳くらいの子供ほどの大きさの徳利の首を無理やり伸ばし注ぎ口をボーリングほどの大きさの玉で塞ぎ、そこにワシがみた虚のよう目を二つ取り付け、徳利の胴からは蛇の頭を手とすげ替えたかのような腕が地面へと伸び、その手を使い胴を引き摺るかのように移動していた。
そんなものが徘徊している中、地図を頼りにトラップを避け時折滝のように流れ落ちる水に阻まれ、遠回りしながらもボスが存在するという三十階層最奥の扉を目指す。
ここまで来るとトラップは全て即死級だ。天井が落ちてきたりトゲがびっしりと詰まった落とし穴だったり、もちろんそれらを確認したわけではなく地図に書き込まれた情報だ。書き記されていることからも分かる通りトラップそのものの位置は変わらない、けれどもトラップを作動させるスイッチの位置はランダムに変わってしまう。
ここで意外にも再度役に立ったのが幻の様に頼りない光のランタンだ。光り自体は見えないものの照らした先にはまるでここにあると自ら主張するかのように、ほんのりとトラップのスイッチが光出していたのだ。
光っていたと言っても十分注視していなければ気付かない程の光だが、それでも悠々と進むには十分すぎるほどの効果だった。
お蔭でトラップなどに怯えること無く―正確には石像に怯えるワシ以外は―必要以上に警戒する必要も無くなり、魔物の接近もフェンが真っ先に気付き石像も叫ぶまでは襲ってこないので、ワシはカルンに終始しがみついたまま最奥へとたどり着くことが出来た。
「よ、ようやっと着いたのじゃ…」
「いやー、流石にビビりすぎだろ」
「ぐぬー、あやつの声がまともに聞こえんからそんなこと言えるのじゃ!」
「まぁまぁ、セルカさんだって怖いものの一つや二つくらいあったって」
「むぅ、別に怖がっておるわけじゃないのじゃ!」
「怖がってるやつはみんなそう言うんだよ」
「ぐぬぬ、人を酔っぱらいみたいに言いおってからに」
しかし、これ以上言い合ってる場合でもない、何時ここに石像が巡回してくるかわからないのだ、それならばさっさと倒してその後で存分にアレックスを叩きのめせばいい。
扉に手を触れれば自動扉の様に左右へと重苦しい音を響かせて扉が道を開ける。部屋の中に一歩踏み出し目に入ったのは成人男性がすっぽり入れる程の大きさのドラム缶の様な胴、冷や汗を垂らしつつ徐々に上へと目線を上げればドラム缶はなめらかなカーブを描きつつ細くなり、キリンの様に長い首の先には人が膝を抱えて丸まったぐらいの大きさの玉に付いている虚の様な目…。
「ぴゃああああああああああああああああああああああああ」
またもや目と目があった瞬間に徘徊している石像よりも低く、地獄の釜をぶち撒けたかのような金切り声と一緒にワシも叫び声を上げ、そのまま意識すらも手放してしまったのだった…。
精神攻撃は基本




