145手間
長が部屋から出ていってしばらく経ったが、帰ってくる気配がないので勝手に帰ることにした。廊下に出ると先程まではしんと静まり返ってさえ居たと思うのだが、今や俄に活気付いた声が聞こえる気がする。
ひょいと廊下の角からギルドの受付などがあるホールを覗いてみれば、長からもっと話を聞こうとしてるもの、仲間と今後の打ち合わせをしているもの、仇は取ったとばかりの顔をして一人酒を飲むものなど、さっきとは打って変わり思い思い好きなように過ごしているようだった。
だが一様に皆の顔には生気が満ちて生き生きとしている感じがする、よほどあの狒々はここいらの人には恐れられていたのだろう。それこそ寝物語に早く寝なきゃ狒々が来るぞ、みたいな風にまで言われていたかもしれない。
今までは何を斬れば良いのかさえ分からなかったのだ、それが斬ったら倒せる存在になったのだ。ハンターにとってこれほど心強い事はないだろう、そんな事は言われずとも皆の顔を見れば分かる。そしてそれを証明した者がいればどうなるかも火を見るより明らかだ。
廊下の角から顔を出しているワシを、最初に見つけたのが誰かであれば、そこまで問題にはならかかっただろう。だがワシを最初に見つけたのは長だった…長はにっかり笑うとワシの下までずんずんと歩み寄り、ワシの腕をむんずと掴む。
「こいつがやった!」
ホール中に響く声で叫ぶと、ワシの腕を掴んでいる手を高々と掲げる。いや、こやつからすれば精々ちょっと手を挙げた程度かも知れないが、身長差のせいでワシからすれば思いっきり腕を突き上げたような形になってしまっている。
一番槍、世界初、前人未到、何事も一番と言うのはそれだけで誉れだ、それが長年の…しかも、どう解けば良いかさえ分からないものを打ち破ったとなればどうか。一瞬建物自体が震えたのではないかと思うほどの歓声…いや、雄叫びを上げ、そこで皆一つの事実に行き当たる。こいつ誰だ?
「長!この子は?」
「おう!こいつの名は…名は…なんだっけ?」
意気揚々と誰かの問に答えようとする長だったが、そこで漸く気付いたのだろう名前を聞いてないという事に、先程ワシを引っ張っていったお姉さんも「あっ」とでも言いたそうな顔をしているが、そもそもワシはこの町では一切名乗ってないので当然といえば当然だ。しかし、大の大人が…しかも男が小首を傾げると言うのは何とも直視に耐えない、きっと今ワシは眉根に皺を寄せ、口は栗みたいな形になっていることだろう。
「セルカ…じゃ」
「おぉ、セルカか。よし…こいつが!セルカがやった!」
何が「よし」かは分からないが、先程の失態は無かったとばかりに長が声を上げると、何となく静まり返ってた奴らがまた雄叫びを上げる。そんな茶番が終わると、今度はぞろぞろとワシの元に人が集まってくる。ここはハンター共が集まる場所、当然感謝だけを言いに来るわけがない。
「どうだい、俺の所に」
「いやいや、こいつのトコより俺の所にさ」
「ダメだダメだ、こいつの所は落ち目だ、自分の所に」
「何いってんのこんな子を、あんたらみたいな所に入れさせられるわけないでしょ、だから私達のところにね?」
俺が俺が自分が私がと、ひっきりなしにこんな感じだ。そこは「どうぞ、どうぞ」と譲り合ってはくれませんかねと思わないでもないが、それ以前にワシは何処にも行くつもりはない。
「ワシは既に…というかワシがリーダーじゃからの」
「えー?じゃあ別の人に譲ったりさ…」
こう言われるのは仕方ないだろう、気の合う人達とずっとなんて所もあるだろうが、長年ハンターをやっている人ほどパーティと言うのはその場その場で組むもので、その中でのリーダーなんて手続きをする時の代表程度でしか無い、言うなれば貧乏くじを引いた人とでも言えば良いのか。
「ワシらはこの辺りのもんでは無いしの、こっちに来たもたまたまじゃし。拠点としとる街は別じゃからの」
「あらそうなの…」
「あー、それじゃあ仕方ないな…」
パーティという括りは弱くとも、同じ町を拠点にしているという仲間意識は強い、同じ拠点のハンターを同郷なんて言う人も居るくらいだ。だからこそ、パーティはその場その場での組分け程度になるのだが…基本的にハンターは、以前のアレックスの様に一所の拠点を中心に動く、アイナの元パーティの様に新米の内は合う場所を求めてフラフラしたり、大氾濫なんかを契機に拠点を移したりする場合もあるにはあるが、ワシの様にあっちこっち行ったり来たりするハンターは稀だ。
そしてその稀なハンターと言うのは大抵が一等級や二等級のハンターだ、要するに何処へ行こうと大丈夫な実力とお金を持った人達の、口さがないものに言わせれば、いわゆる道楽というやつだ。同じところにずっと居れば、ハンター同士だけでなく町の人との関係も強くなる、そうすれば色々融通してくれたり美味しい情報をもらえたり、例え実力が高かろうと見ず知らずの人よりも、いつも来てくれるあんちゃんの方が信用に足りるとそういうことだって多くなる。
そんな事もあり、実に残念そうではあるが皆波が引くように離れていった、こんな実力もありしかも可憐な美少女を前に大人しく引くとは、それほどまでにハンターにとって拠点の仲間と言うのは強いのだろう。
「で、おぬしはいつまで人妻の柔肌を掴んでおるのかの?」
「うぇっ!」
素っ頓狂な声を上げ慌てて手を離した長は、私は無罪だとばかりに顔の横に両手を上げ、手を広げた状態で固まってしまった。そのあんまりな反応にくすくすと笑い、トトトとカルンの元に駆け寄り殊更しなを作ってカルンの腕に抱きつく。その様子は事情を知らない人が見れば恋人に縋り付く、拐かされそうになった女性と映ったことだろう、ホール内の女性陣はワザとか本気か長に冷ややかな目線を、男どもは「えっ?人妻?」という顔をして此方を見ている。
そんなギルド内の様子にカルンは小首を傾げている、大の大人がなんて先程は思ったが前言撤回、カルンは何をしてもワシのハートを鷲掴みにするようだ。
「あーあはは、いやすまん。こ…こういう事には気が回らなくてな…あ、あははは」
誰に言い訳をしているのか、長は頭をぼりぼりと掻き乾いた声を上げている、どうやらこいつは見た目だけでなく中身もアレックスと同類のようだ。ちらりと横目で先程の騒動でびっくりしたのか、思わずと言った感じでアイナに服を掴まれてるアレックスを見て小さくため息をつく。
「どうかしました?」
「んーいや、カルンを見習ってアイナも頑張らんとな…との」
こちらの真意に気づかずとも、変化を感じ取ってくれるカルンをアレックスは見習えとまた小さくため息をつくのだった。
「お?お…おう…そうか。宿は既に確保してあるのか?」
「うむ、すぐそこの宿じゃ」
「おぉ、あそこか。あそこは普通の奴らじゃおいそれと手が出せないんだが流石だな…。まぁ、他の所は埋まってるしどっちにしろそこしか無かっただろうがな」
「どういうことじゃ?」
「ん?あぁ、そうか…そうだったな。いや、ヒヒ共がここらに出るって分かり始めてから商人もハンターも町から出たがらなくてな、そろそろやばいなって思ってたところなんだよ」
「なるほど…しかし、名はそれでよいのかえ?」
「ん?あぁ、倒せると分かったんだ、いつまでも名を付けず恐れてたらハンターの名折れだ。んで、最初に倒したあんたが呼んでいたヒヒって名前にすることにした」
「ふむ、まぁよいんじゃなかろうかの?で、他に用はないじゃろうの?」
「無いな。ここに来たってことはダンジョンに行くって事だからな、そんなやつをしかも実力があるやつを引き止めてたらそれこそ不利益になる。と言いたいところだが二、三日ほど滞在して欲しい」
「ふむ?」
「今までの被害の規模からいってあんたが倒した奴らだけだとは思うのだが念のため…な」
「ふーむ、確かにワシとしても『安心せい』で被害が拡大したとなれば寝覚めが悪いしの」
「助かる、代わりと言っては何だが食料や薪何かをあんたらに優先的に回すよう商店には言っておく」
「ほほう、それはワシらも助かるのじゃ」
「いいってことよ、コレくらいのことはさせてくれ」
魔物を狩ることが本業なので、当然ではあるが新種の魔物を討伐したということで、情報含めそれの報酬は出るのだがそれ以外でもという想いがあったのだろう。それにカルン達も吹雪の中でなどの戦闘も幾度もあり、寝台も無い小屋での連泊で見た目以上に消耗しているだろうし元々数日は休憩するつもりだったので渡りに船と言うやつだ。
流石にこれ以上長居するのは相手にとってもバツが悪いであろうと、早々にギルドを辞して今日はゆっくりと宿で休むことにするのだった。




