138手間
翌朝、いつものようにカルンより早く起きてその腕の中からするりと抜け出し、頬のない口で大あくびをしてからタシタシと後ろ足で頭をかいてから、くるりと地面に降り立つ。
煙突が通っているそばで元の姿に戻ると、腕輪から着替えを取り出し手早く服を着る、ここ数日はカルンが寝る時キツネの姿になって欲しいと言うので大分変身に慣れてきたのか使うマナの量も減り一晩寝ても勝手に元の姿に戻るということも無くなった。
カルンがそんな事をワシに頼む理由は単純明快に夜寝る時に寒いから、煙突の排熱で常に部屋が暖められ最高級の毛布で寝ていようと、やはりいくら頑丈で我慢強いハンターとは言っても暖かい地域で生まれ育った人にとってはこの寒さは堪えるのだろう。
ワシとしても何時か大人の姿を維持するための修練となるので、何よりカルンに頼られているのだから断る理由を探す方が無理というものだ。
だが、死を間近に控えた人は自分の寿命がわかるのと同じように、問題なく大人の姿を維持するための何かが露ほども足りないという事は何となく分かる。
年経た獣人が変身した姿は強大な獣の姿となる、それに比べてワシは未だに普通のキツネサイズ、修練で積み重なるものもあれば年月でしか増えないものもあるのだろう。
「ふむ、そう言えば…」
溜まった空気を入れ替えようと窓を開け放ちながら、まるで外の人に話しかけるがごとく独りごちる。
雪がちらついているが昨日の広場の向かいが見えなくなるほどではない、ほっとするようにため息を履き独り言の続きを心中で語る。
将来の寝物語に出来るようにと、色々なお伽噺をお母様に教えてもらったが、深い森の奥…迷い込んだ者が魔物などに襲われそうになった所を、神々しい獣に助けられたという話はそれなりの数があった。
魔物を食い殺しその背に乗せて助けてくれたとか、人の姿を取り道案内してくれただとか…はたまた試練を与えその人の立身出世の花道を敷いたとか。
その時は確かに子供が好きそうだとか、躾に丁度いい脅かし具合だと思っていたが今考えれば本当にあった話なのだろう、もちろんお話として多少の脚色などはしているであろうが。
「いや…そもそもこの世界そのものが、前世からすればお伽噺かともすればゲームのようであったのぉ」
山や森の影にすっぽりと収まらねば、何処だって見えるであろう大樹を眺めつつ、肝心なことを忘れていたとばかりに首をふる。
「ゲームじゃとすれば、移動に時間はかかるわ、回復魔法やアイテムは無いわで一部のゲーマー以外にはクソゲーの烙印を押されそうじゃがの」
じっくりのんびり腰を据えてレベルを上げるようなゲームが好きだった身としては、中々魅力的なものだとカルンを起こさないよう含み笑いをする。
自分の好きそうなそのゲームに、チートキャラとして存在してるのだから何とも言えず思わず声が漏れてしまった。
「んー、おはよう…ございます」
漏れた笑いに思わず両手で口を押さえるが、時既に遅し合間に欠伸をしながらもカルンが起き上がり挨拶をされてしまった。
「むー、起こしてしもうたかの」
「いえ、丁度起きた所に笑い声が」
気を使ってなのか本当にそうなのか、その言葉に思わず苦笑いを返してしまう。
「どちらにせよ、今日はサンドラさんの所に行かないとですからのんびり寝ているわけにも」
「それもそうなんじゃがの」
寝台から降りたカルンはのそりとした足取りで、煙突が通っている場所…壁が膨らみ鉄柵で囲っている場所においてある椅子の元へと歩いていく。
それを見て、少しばかり窓を開けすぎたかと閉じてから薄暗くなった部屋を照らすため、ランプを灯しテーブルの上のお酒のジョッキとコップを二つ持ちカルンのそばへと歩いて行く。
もう一つ鉄柵のそばに置いてある椅子へと腰掛けると、ジョッキの中身をコップに注ぎ温めてからカルンへと渡す。
「ありがとうございます」
手を温めるかのように両手で湯気が立ち昇るコップを持ち、少し息で冷ました後ちびちびと口をつける様を相貌を崩しながら眺め、自分の分を同じように温めて口をつける。
朝から酒なんてと思うかもしれないが、寒い地域故か水よりも酒のほうが飲みなれていると豪語する人が多い、当然今ワシらが飲んでるような、それなりにいいお酒ではないが…。
もしかりにそんなことをすれば、井戸水や川からを汲んでから水を飲まないために酒を飲んだのに結局水を飲むはめになる。
雪深い地域、水を汲むのも一苦労だし下手をすれば井戸や池が凍って水が中々汲めないかもしれない。雪が深すぎてそもそも汲めないかもしれない。
さらに酒は水より腐りにくいし、凍りにくいなればこそ酒は水より飲みなれたものになるし、質の悪い酒であれば驚くほど安価で手に入る。それこそ乞食が毎日飲めるほど。
ランプの光に照らされて、ゆらゆらと揺れる二人の影を眺めていれば、不意にノックの音が響き渡る。
「朝食をお持ちしました、それと…」
「なんじゃ?」
「アレックスと名乗る方が外でお待ちです」
「ふむ、四人おるのかの?おっさん三人と少年の様な少女が一人じゃ」
「さて、中に入られたのはお一人でしたのでそこまでは」
「ふむ、では彼らが朝食を食べてないようであればこれで出しておいてくれんかの。もし既に食べてきた後であれば何か飲み物を頼むのじゃ」
「かしこまりました」
持ってきてもらった朝食をテーブルへと置いてもらい、中で待ってもらうよう言い含めてからアレックスらの朝食の代金とチップとして銀貨を数枚握らせる。
「アレックスさん達が来てるなら、急いで食べないとですね」
「あやつらの食べる分を出すよう言っておいたからのんびりでよいのじゃよ。仮に出さずととも朝食より先に来る方が悪いのじゃ」
いつもよりことさらゆっくり朝食を食べた後、入り口の食堂へと向かうとアレックス達も食べ終えていたようで、空になった皿を前にのんびりと飲んでいる所だった。
「遅かったじゃないか」
「朝食より前に来たおぬしらが早すぎるだけじゃ」
「しかし、宿に泊まってる人を訪ねてきただけだってのに、タダで飯を出してくれるとか街一番の宿ってのはすげーな」
ワシの言葉など意に介さぬとばかりに空になった皿を、スプーンで叩きながらそんな言葉を口にする。
「さすがにそんな事をすれば訪ねてくる人だけで食堂は満員じゃ、おぬしらが食ったのはワシらの朝食じゃよ」
そう言って態とらしくお腹をさすれば、アレックスとアイナは動揺と題名を付けて額縁に飾りたいほどの様子を見せる。
ジョーンズとインディーはアレックスの動転ぶりをニヤニヤと眺めているのでわかっているのだろう、アレックスだけならもっとからかっておきたい所だがアイナも引っかかり今にも泣きそうな顔をしているので流石にと口を開く。
「冗談じゃよ、ワシらは既に部屋で食べておる、おぬしらが食ったのは…」
そこで言葉を切ると見えるのは、もしかして他の客のを食ってしまったのではないかとでかでかと書かれゴクリと喉を鳴らす二人の顔。
「ワシが頼んだやつじゃから大丈夫じゃよ」
「はぁ…ったく息が止まって死ぬかと思ったぜ」
「よ…よかった人のものを盗んだわけじゃないんですね…」
「すまんのアイナ、アレックスは兎も角おぬしが引っかかるとは思わんかったのじゃ」
「俺は良いのかよ!」
「なんじゃ?今更気づいたのかえ?」
やってらんねーとばかりに一息にコップに入ってたであろうものを飲み干すと、アレックスはさてとばかりに本題を切り出してくる。
「今日ここに来てくれって言われたんだが…」
「うむ、サンドラの住んでおる家が分かったのでな、これから行こうというわけじゃ」
「で?会いに行って結婚おめでとう、それでこの街からはいさようならって考えてるわけじゃないんだよな?」
「もちろんじゃ、その後は情報を集めてから…」
「から…?」
「水のダンジョン攻略じゃ!」
思わせぶりに言葉を切ればアイナが面白いように乗ってきたので、殊更大仰に両手を振り上げてそう宣言するのだった。




