131手間
本当にようやく…ようやくたどり着いた北の街の宿、街一番と評判のそこの中に早く入りたいという思いを抑え、風防室の様に二重扉になった部屋の中で体についた雪を落とす。
いくら晴れていて雪が降ってないとは言え、多少でも歩くとどうしても足には着く、特に今は晴れ間のせいで雪がベチャベチャになっているので尚さらだ。
ワシの後についてとことこ入ってきた子犬も、ワシらを真似するかのように体をぷるぷるさせて体に着いていた雪を払い落とす。
けれども足にこびりついた泥はどうしても取れないので、法術でぬるま湯程度のお湯を出し足を洗ってやる。
凍傷になってはいけないので、洗っては乾かし洗っては乾かしを繰り返すその間、洗ってくれているというのが分かっているのか、洗いやすいように足を一本一本上げておとなしくしている。
「ふふふ、おぬしは偉いのぉ」
足を洗い終わり、ここに来るまでの間のブラッシングで大分落ちてはいるが、胴などに着いた泥が体毛が白いせいかまだ目立つ。
とは言え流石にここで全身洗うわけにもいかないので、大人しく待っていたことを褒めて頭を撫でてやる。
中へは抱いて連れて行ってやろうかと思ったのだが、抱きかかえられる事を嫌がったので、そのままワシの後を着いてこさせることにした。
本当に野良とは思えないほどの賢さだ、馬車に乗っているときも中で粗相することもなく、どうしてもな時はワンと吠えて馬車を態々止めさせていた、まるで誰かに躾けられてたかと勘ぐるほどだ。
「ようこそお越しくださいました。ルース様でいらっしゃいますか?」
「あぁ、そうだ。部屋は取れているか?」
「はい、勿論でございます。煙突が通っているお部屋を二部屋、ご用意させております」
「そうか」
「お荷物はございますか?」
「いや無い」
「かしこまりました。それではお部屋へは、此方のものがご案内させていただきます」
宿の内扉に付けられたドアベルが、カロンカロンとなった瞬間には直ぐ側に待機していたのか、落ち着いた服装に身を包んだこの宿の従業員であろう人物がルースと二言三言交わし。
こちらと手で促した先の新たな従業員がきれいなお辞儀を披露する、その様はさながら前世の高級ホテルのようだ…泊まったことなぞ無いので聞きかじった知識だが…。
入ってすぐのホールといえば良いのか、やはりこの地方の伝統なのか食堂となっていた、こういうところでは誰かが新たに入ってきたら一斉に振り向く、なんて事が定番だがさすがに街一番の宿に泊まる人達か特に気にすることもなく談笑や食事に舌鼓を打っている様子だ。
そしてその中央には、一抱えもある丸太くらいなら焚べられそうなほどの大きさもある囲炉裏型の暖炉、そしてその四隅には石で積まれた柱その上に石製の三角帽子、その先からは天井を貫く煙突が伸びていた。
さらには暖炉の周囲には大小様々な鍋や何かの串、薪が積まれそれを調理したりするための人が何人か、椅子に座ってかき混ぜてたりしている。
それに気を取られていたのは一瞬ではあるが、パチリと薪が爆ぜる音で我に返ると先に行ってしまったカルンを慌てて早足で追いかける、更にその後ろをとことこ子犬が追いかける姿はこちらを偶々目にした人々の笑顔を誘っていた。
「こちらがルース様のお部屋、そしてこちらがカルン様のお部屋でございます」
「うむ」
「それでは、御用がございましたら何なりと」
「夕食は二組とも部屋に頼む、取り敢えずはそれだけだな」
「かしこまりました」
「あぁ、そうだカルン君。少し話があるんだがいいかね?」
「はい」
「二人共先に部屋に入ってていいぞ」
「ふむ、では遠慮なくそうさせてもらうのじゃ」
宿の人が去っていくとルースがカルンを呼び止めて何やら話をと言ってきた、先に入ってていいと言うという事はある程度は話に時間が掛かるのだろうし遠慮なく先に休ませてもらうことにした。
中に入ると中央には天蓋の人が四、五人寝ても大丈夫そうな寝台、しかしそれがあっても決して狭いとは感じない広々とした部屋にはしっかりとしたテーブルや、旅装を解くためのクローゼットなどが置かれていた。
石造りの室内は暖炉に火が入ってないにも関わらず、それなりに暖かい部屋を見回してみれば、壁が一箇所不自然に膨らんでいる箇所がありそこだけ近寄らせないためか鉄柵があった。
近寄って手をかざしてみると暖かさと言うより熱さを感じ、先程言っていた煙突が通っているという言葉を思い出す。
「なるほど、排熱を利用した暖房かのぉ」
「ワン!」
「おぉ、そうじゃったのおぬしを洗わんとの」
さてどうしようかと周りを見渡すと、ちょうどよく壁に立てかけられたそれなりの大きさの桶を見つける。
その中にお湯をはり、子犬を入れると自分もとばかりにスズリが飛び込んでくる。
「こりゃ湯が跳ねるじゃろう」
そう言えばごめんなさいと言っているのか桶の縁に顔をのせ悲しそうな顔をする。
「むぐぐ、わかればよいのじゃ」
かわいいものには甘くなってしまうがそれは仕方のないことだろう、何しろかわいいのだから。
全身を洗い終わることには、二匹ともキレイに、特に子犬は汚れていたこともあり一層きれいになったように見える。
法術で全身を乾かしてやるともふもふとした毛玉が二匹、じゃれるように寝台へと向かっていった。
残ったワシは泥で汚れた湯が入った桶をさてどうしようかと悩み、取り敢えずこの地方独特な二重の窓を開け下を覗く。
眼下ではせわしなく行き交う人々や馬車が見え、流石にここから泥水を落とすことは憚れる、なれば宿の人に聞けばいいかと部屋を出て、誰かいないかと周りをキョロキョロする。
カルン達の姿が見えない代わりに此方が何かを探してると察した宿の人が、早足でけれども決して下品さを感じさせない所作で御用聞きに来た。
「何かお探しでございましょうか」
「桶の水を捨てたいんじゃがの」
「それでしたら、こちらで処分させていただきます」
「持ってくればよいかの?」
「許可をいただけましたら、運び出させて頂きますが」
「ふむ、ではお願いしようかの」
「かしこまりました」
部屋へ招き入れ、桶を持っていってもらうと特にすることもなく暇になってしまった。
そういえば二匹はと思って寝台を見てみれば、仲良く並んで丸まって自分の尻尾を枕に寝息を立てていた。
すやすやと気持ちよさそうに眠る二匹を見ている内にワシも眠くなってきたので、どうせ部屋にご飯を持ってきてもらえるしと寝ることにした。
寝台にのそのそと上がり毛布をと思ったが、二匹を見て自分もこうするかとまるまって尻尾を枕にするが、自画自賛しても誰も咎めないどころか誰もが認めるほどのふわっふわさに、あっという間に寝息を立て始めるのだった。
「セルカさん、起きてください夕飯ですよ」
体をゆさゆさと揺さぶられる感覚に目を覚ますと目の前にカルンの顔があった。
「んあっ」
「ふふ、もう運んでもらってますから冷めない内に食べましょう?」
テーブルの方をみれば、湯気と美味しそうな香りを漂わせている物が見える、湯気を立てているということは運び込まれてすぐなのだろう。
そしてテーブルのそばを見れば、すでに子犬が床に置かれた皿に盛られているご飯を美味しそうに食べているのが目に入る。
きっと気を利かせたカルンか宿の人が用意してくれたのであろう、それに感謝しつつも自分たちもふわふわな白パンと肉と野菜たっぷりのシチューに舌鼓を打つのだった。
「セルカさん、明日なんですけども」
「ん?どうしたのじゃ?」
食後、暖められたぶどうのような酸味のあるお酒で喉を潤していると、カルンが申し訳なさそうに口を開く。
「いえ、ルースさんと行くところがあるので申し訳ないのですが、一人で過ごしてもらっても…」
「ふーむ、じゃったらシニュと街をぶらぶらするかのぉ」
「あ、シニュさんもルースさんの護衛ということで一緒に」
「むっ!むむむ…」
シニュも一緒にと言うところに引っかかりを覚えるが、護衛ならば仕方ないだろう。
「ふーむ、ではワシは明日はサンドラの家を探すかのぉ、よくよく考えれば知らんしの」
「でしたら衛兵の詰め所…ですかね?」
「じゃの」
この街では分からないがワシらの街、カカルニアでは衛兵の詰め所にはその周辺の住民が何処に住んでいるかという資料がある。
日も沈み酔いも回った頃、二人仲良く寝台で寝ることにするのだった、けれど子犬がちょっと居心地悪そうにしていたのには悪いことをしたかなと、ぼんやりとした頭で思うのだった。




