128手間
快晴とまでは言えないが、晴れ間が覗く空の下、一路北の街を目指す。
先日の吹雪のせいで道が荒れているため、駆け足程度の速度しかでないがそれでも普通の馬車よりも圧倒的に速い。
ぬかるんでいたりして道が荒れている場合、普通の馬車であれば徒歩の方が速い事だってままある。
ワシらはその点、魔具を惜しげもなく使って馬の疲労の軽減、力の増幅、馬車の性能の向上などを行っているのでこの速さで進める。
以前の一人旅の時はその普通の馬車を使ったので、この世界の年に該当する巡りという期間の内、かなり寄り道を含んだとは言え二つほどもかかった。
「ふむ、よくよく考えてみれば私にとっては当たり前だったから気づかなかったが…」
「そうじゃろうのぉ…よほどの緊急事態でもない限り、普通はこれほど贅沢に魔石は使い潰さんからの」
「確かにこれを常用するのは貴族くらいなものだ…」
「んー、それは違うの。魔石はほぼワシの個人資産と言っても良いものじゃぞ、ワシはハンターの仕事とは別に収入がある故の」
「なるほど…その収入源は聞かないでおこう、金の源は災いの源だからな。それが他の領地なら尚さらだ」
「ふむ、そんなもんかのぉ」
「そんなものだ、しかしなぜ急に私と積極的に話など?」
「なに気まぐれの様なものじゃよ、んむ、ただの気まぐれじゃよ」
「そ…そうか」
ワシが御者をしているため毛皮のカーテンとそれから顔を覗かせるルースの隙間から中をちらりと伺えば、顔を赤らめてシニュと話しているカルンが見える。
カルンがすることならなんでも許せてしまう自信があるので、これは決して当てこすりなどではない、決して。
「うーむ」
「どうした?」
「いやの…先程と言うか野営した場所からずっと見られていると言うか、監視されておるような気がしてのぉ。かと言って獣に獲物かどうか見定められているという訳でも無し、それが先刻から気配が強うなっての」
「あぁ、それはこの森の主かもしれないね。こっちの道を通るのは初めてかい?」
「そうじゃの、前来た時はこの山の世界樹側を通ったからのぉ」
そう言って左手を見ると切り立った岩の壁が見え、さらに上を見れば雪で化粧をした山々が見える。
この山々は先日までいた香石の町から北の街の手前まで続く山脈になっている、そしてその反対側右手を見れば木々に隠れているものがいれば、此方に一足で飛びかかれるほどの近さに森が広がっている。
「この森は魔獣や魔物が少ないとは言え、どうしてこうも近くに森があるのじゃ?反対側が平原でもあるまいし襲われたらひとたまりもあるまい?」
「それはこの森に主が居るからだよ、大昔過ぎて誰と誰が契約したかなんてのは残ってないのだが、この森に手を加えない代わりに魔獣を狩ってやるとね。恐らくこの森の比較的浅い所に里があってそこの住人と結んだ契約だろう」
「なるほどのぉ…ワシはこっちを通ったことは無いから分からんのじゃが、あとどのくらいで街へ着くのじゃ?」
「そうだね、道が悪くなっているし、あと二、三日といったところじゃないかな」
「ふむ、その間にでかいのが来なければ良いがの」
この道に入ってからすでに二度ほど野営を終えているが、魔獣を狩っている誰かのお陰かこれほどの近さに森があるというのに数えるほどしか襲われていない。
そもそもなぜこんな危険なルートを通っているのかと言えば、端的に言えば近いからだ先日までいた香石の町から北の街へと伸びる道はここしか無いというのもある。
他のルートとなると左手に見える山脈を越えた先、世界樹側の麓には広大な森が広がっている、それを迂回するルートになるのだが、そのためには香石の町から更に来た道をもどり、このルースが治めている町の手前の道まで引き返さなければならないからだ。
「おぉっと、ドウドウ」
「どうした!?」
「いや、何かが馬の前を横切ったようじゃ…」
突然馬が嘶きとともに前足をかかげ急停止した、一瞬森から何かが飛び出してきたのが見えたがすでに逃げたのか、その飛び出してきたものは辺りに見えない。
どさっと御者台から降りてせめて足跡からと思って通ったであろう場所を見てみれば、犬の様な足跡が雪の上にくっきりと残っていた。
「ふむ?このような場所に犬なぞ…野犬か狼か…どっちにしろ一匹のようじゃが…」
足跡からみて一匹だけなのは確実、どちらにせよ群れで存在してるはず…などと考えているとミシリと森の方で木々を軋ませる音がする。
「何か来ておる、今から馬を走らせた所で間に合わぬじゃろう…」
「よっしゃ、暇で鈍ってたんだ、どんと来やがれ」
声をかけると待ってましたとばかりにアレックスが躍り出てきた、それに続くようにカルンたちも出て来る。
「インディは御者を頼むのじゃ」
だがすぐにでも出発出来るよう、いざとなれば魔法が使えカルンよりも馬の扱いがうまいインディに御者台で待機していてもらう。
そうしている間にもミシリミシリと木々が軋む音が近づいてくる、その音がはっきりとカルン達の耳にも聞こえる様になった頃。
「ふぎゃ!」
突然、遠吠えをハンマーで叩き割ったかのようなとしか例えようがない不快な音が響き渡り、思わず耳を塞いでその場にしゃがみ込んでしまう。
それでなくても体中に叩きつけられたの様に感じるほどの音に、思わず塞いだ耳とともに瞑っていた目を開くと、目の前に狼の牙が迫っていた。
「あぶねぇ!」
その瞬間、横合いから大きく開かれたその口に剣が差し込まれ、その開いた口はワシに牙を突き立てる代わりにその剣をまるでゴムのおもちゃの様にくわえ込み、それを持っていたアレックスごと宙へと放り投げる。
「アレックス!」
「くっそ」
人形の様に宙を舞い、どさりと雪の上に落ちたアレックスで誰かの叫びがかかると、忌々しいとばかりにアレックスが呻く。
その姿にはっとして狼の姿を探すと、先程は分からなかったがまるで熊ほどの大きさの狼がこちらから少し距離を取り間合いを測るかのように森の直ぐ側で睥睨していた。
「アレックスの仇じゃ!」
「死んでねーよ!!!」
かなりの距離を飛ばされ、すぐには動けない様子のアレックスを襲われれば一溜りもなかったが、幸いこちらを…ワシを警戒しているようでこちらの隙きを伺っているのか動く様子が無かったので、此方からとばかりに魔手で狼へと躍りかかる。
すると狼はその巨体からは信じられないほどの身軽さでひょいと跳躍し、ワシの爪から逃れる今まで狼がいた場所は雪が吹き飛び地面が抉れ、直撃していたら確実に狼は仕留めれたであろう一撃だ。
「ここは出し惜しみしてる場合ではないの。『縮地』!」
野営の時間にはまだ早くいつ何時襲われるかもしれないときに体力を大幅に消費するのは危険だが、背に腹は変えられない殆どワープとか瞬間移動と言って差し支えの無い速度で移動できる『技』を用いて狼の脇腹の辺りへと飛ぶと、腕を振りかぶりその腹へ爪を突き立てようとするが、もう少しでその柔らかそうな腹に爪が食い込むといったところで手が止まってしまう。
直前で手を止めたとは言え、ワシの爪が目前まで迫っていたその腹には爪痕が残り、血が滴る腹を庇うかのように狼はそれでも損なわぬ俊敏さで森の奥へと消えていった。
「ぐぅ、いってぇ…セルカよ、なんでやらなかったんだ…?」
「いや…ワシも正直何と言っていいやら…」
右手を庇い右足を引き摺りながらもアレックスがそばまで来てそう呟く、ワシが手を止めた理由…それは奴の、あの狼の左肩に宝珠があったからだ…。




