106手間
ついに結婚式当日、教会のすぐ近くにある控えの小屋でウエディングドレスへと着替えている途中…そう途中だ。
「い…いつまでこの格好でおれば良いのじゃ…」
部屋の中には、メイドのカーラとウエディングドレスを作成した服飾店の人数名とワシだけが残されていた。
肝心のドレスは、何故かお母様が勿体ぶってまだ持ってきていないので、ワシは着替えている途中で放置されている状態だ。
今の格好は、ほぼ白に近い薄緑で統一された下着姿…ベアトップコルセットに厚手のストッキング、ガーターベルトと紐パンにヒールだけ。同性しかいないとはいえ正直この格好で放置は辛い。
「お待たせ、セルカちゃん!」
そう言って勢い良く部屋に入ってきたお母様が手に持っていたのは、すこし丈の長いホルターネックのキャミソール風の服。
絹の様な光沢のある薄緑の生地に少し深い緑で草花が丁寧に刺繍されたもの、デザインはキャミソールなのだが、敢えて例えるならドレスの上半身だけを切り取った風にも見える。
「あ、もちろん下もあるわよ」
上半身だけのドレスに訝しんでいると、お母様の後に続いてスカートを二人組の女性が持って入ってきた。
持ってこられたスカートは、上半身と同じ色の生地と刺繍にAラインドレスの様に、すっきりとしたシルエットに長めのトレーン。
ドレス全体で見ても装飾は控えめの、かなりシンプルなデザインだ。けれども刺繍でかなり細かく草花が描かれているので、決して地味ではない。
「尻尾があるからね、着やすいように上下に別れたドレスにしてもらったのよ」
「はい、我々としても初めての試みでしたが、満足していただける出来栄えだと自負しております」
スカートを持っている二人組の内の一人が、お母様に続いて喋り出した。
「セルカ様は晶石鉱山を発見されたお人ということでしたので、刺繍糸には晶石を箔にしたものを利用した、撚晶糸と呼ばれるものを使わせていただきました。あまり華美なものは好まれないということでしたので、光沢を抑えた丸撚りのものだけを使用し、金銀糸は用いておりません。それでいてこの色艶、質の良い晶石だけを使っている証拠でございます。さらに―――」
要約すると、うちら頑張ったよ。
糸のくだりまではなんとか理解できたが、その後のデザインモチーフがどうのこうの辺りから、わからなくなったので聞き流してしまった。
聞き流してしまったが、とりあえず頑張って作ったということはよく分かった。
「さてさて、お話はそれまでにしてさっさと着ちゃいましょうか」
パンパンとお母様が手を叩くと、まだ説明していた人も口を噤み、お母様が持っていた上半身をカーラが受け取って、三人がかりであれよあれよという間に着付けが終わる。
見ている間は緑という色味のせいか、ウエディングドレスという印象はなかったのだが、着てみるとそれも気にならずまさにとしか例えようが無いほどウエディングドレスだった。
自分でも何を言っているのかよくわからない例えだが、そうとしか言い様が無いから仕方がない、それよりも今はまさか自分がウエディングドレスを着る日が来ようとはという想いが強い。
「まさか斯様なものを着る日が来ようとはのぉ…」
「うふふ、女の子の憧れだものねぇ…あら?獣人だと違うのかしら?」
「さてそれは里によって違うのではないのかのぉ…しかし、やはりこういうものは憧れなのかの?」
「えぇもちろん。こういうドレスを新しく用意できる家って結構少ないのよ、大体が先祖代々のドレスを手直ししたり、そもそも用意ができなかったり、もちろん先祖代々のドレスでっていうのは名誉だし、それはそれで憧れだけど、やっぱり自分の為だけに誂えた、新しいドレスって憧れじゃない?」
「確かに…そうじゃのぉ…」
この世界、大半の人が服は手作りだったり親兄弟のお下がりの手直しだったりで、新品の服と言うのはそれだけで憧れの品となる。
ウエディングドレスだけでも憧れなのに、新品でしかも自分の為だけのデザインとなれば、それはもう至上のものだろう。
その至上のドレスを身に纏っていると思うと、思わず顔が綻んでしまう。
「いい!いいわ!その笑顔素敵だわ、その笑顔を見れただけで、ドレスを用意した甲斐があるものよ」
「はい奥様。我々も一針一針、丁寧に縫った苦労が報われると言うものです」
「では、セルカ様。お化粧と御髪を整えますので此方に」
メイク関連専門と言う人に鏡と机が一体化した化粧台の前に座らされると、凄まじいまでの早業で化粧が施され、髪が結い上げられていった。
「お肌は白を入れる必要が無いほどお白いので、眉を整え薄く頬紅を入れ、口紅もお肌を引き立てるよう紅梅色にしてみました。御髪は引詰めさせていただき、髪留めはお好きだとお聞きしましたので、今回は二股の簪をご用意させていただきました。簪の玉もドレスの撚晶糸に使用されております晶石と同じく、セルカ坑道で採られたものに彫りを施したものでございます」
顔全体に軽く粉をはたかれ、眉に墨を入れ、薄い色の紅をさしただけのナチュラルメイクに、髪型は後頭部で髪をひっつめた、所謂お団子とかシニヨンとか呼ばれるものだ。
この髪型、前世ではあまり男子人気が無いとか言われていたが、個人的には好きな髪型なので嬉しい。
化粧をしたからか、化粧を施した人の腕なのか、普段よりもぐんと大人びた印象を受ける。
普段の顔は少女としか言い様が無いものなので、一先ずこれでカルンがこの結婚式を終えて、幼女趣味だとか言われることは無いはずだ。
最近カルンはぐんぐんと背が伸びて、顔つきも凛々しくかっこ良くなりすぎなので、ちょっと心配していたがこれなら大丈夫だろう。
顔を左や右に向けて確認していると、丁度部屋の扉がノックされる。
「さぁ、セルカちゃん、愛しの殿方が来たわよぉ」
お母様が心底楽しそうな声色で扉を開けると、そこには足首まで覆う蒼色に金銀糸で豪華な刺繍が施されたローブを着込んだカルンが立っていた。
放心したかのような顔で立っているカルンが着ているそのローブは、ワシのドレスの様に新しく誂えたものではなく、代々カカルス家の男子が結婚式で着る由緒あるものだそうだ、領主や次期領主用ではなく次男以降専用のものらしいが。
「カルン、ほらほら」
お母様に背中を押され、少しよろめきながら化粧台に座ったままのワシの前へとカルンが近づく。
「えっと…その…。………とても綺麗です」
顔を赤くしたカルンは、目を瞑り深呼吸を一つしたあと、ゆっくりと目を開けて一言そう告げる。
それだけで、全身から炎を噴き上げそうになりそうなほど体が熱くなり、中でも顔からは噴火でもしそうな程。自分でも燃え盛っているのでは無いかと勘違いしそうなほどだ。
「かっカルンも…すごく…かっこいい…のじゃ…」
今にも炎を噴き出しそうな体から、なんとかその一言だけを消え入りそうな声で絞りだす。
「うふふふ、いいわぁ、すごくいいわぁ。ケインの時は二人共あっさりしてたのよねぇ…」
まるであれはつまらない見世物だったとでもいいそうな声音のお母様の言葉も耳に入らず、暫く二人で見つめ合ってしまう。
「カルンが来たってことは、そろそろなのでしょう?」
「はっ!あっ!はい、皆さん準備ができたそうですので」
「そう、わかったわ。それじゃセルカちゃん、私は先に行ってるから。カーラ、後は頼んだわよ」
「かしこまりました」
「セルカさん、僕も先に行ってますね」
ワシの肩にぽんっと叩いた後、手をひらひらさせて退出していったお母様に続いて、先に入場するカルンも部屋を出て行く。
「それではセルカ様、お手を失礼します」
普段、全く履かないハイヒールに長いトレーンが有るため、一人では立ち上がるのも苦労するので手を差し出してくれるのはありがたい。
このハイヒールも、ドレスと同系色に染められた革に刺繍を貼り付け、花のコサージュが添えられた、ドレスに隠れて全く見えないのが残念なほど大変に凝った品だ。
「今回、セルカ様のご両親は出席されておりませんので、カカルス様がエスコートする事になっております」
「わかったのじゃ」
両親が居ないと言うことは、残念ながら良くある事なので、その場合は相手方の父親がエスコート役を務めるのが慣例らしい。
両親の席に誰も居ないというのは少し寂しい気もするが、慣例のお蔭でその事を口さがなく言われることが無いことだけは幸いか。
カーラに手を取られ、ゆっくりと教会を目指してき、、閉じられた教会の入り口前でカーラと別れ、お父様の腕を取る。
ダンジョンのボスと戦った時以上に跳ねる心臓に一度手を当て深呼吸をすると、そのタイミングを待っていたかのように、ゆっくり…ゆっくりと教会の扉が開くのだった。




