97手間
アレックスと別れた後、教会区画にある苗木屋へと向かった。
実際に行ってみると、苗木屋という字面から受ける印象とはいささか違い、そこは切り出したばかりの木独特の、いい香りが漂う材木問屋だった。
切り出した木材がずらりと並べられた、倉庫の脇にある人の背丈ばかりの若木の林を抜けた先、材木倉庫に寄り添うように併設された小屋、そこで小さめの苗木を売っているようだ。
「いらっしゃいませ」
ワシらが小屋に入ると、そう言って奥から出てきたのは、教会の神官とは若干色味の違うローブを身にまとった、小太りの男だった。
「室内用の苗木を見に来たのじゃが、置いてあるじゃろうか?」
「はい、もちろん取り扱わせておりますが、失礼ですがどのような用途でしょうか?」
「うむ、知り合いが結婚したのでな、それの贈り物にと思うての」
「そうでしたか…はて?貴族やそれに近しい方がご結婚なさったとは最近ですと、とんと聞いておりませんが…どなたが?」
「いや、ワシの知り合いは貴族でもそれに近いものでもないのじゃよ」
「なるほど…しかし、お嬢様は、ラインハルト様がご一緒しているので、貴族に親しいものとお見受けしますが…近い方に獣人に連なる方々はいらっしゃらなかったはずですが、よければどなたか私めに教えていただけませぬか?」
向こうはライニの事を知っているようだが、ワシには判断がつかないので後ろに控えていたライニをチラリと見ると腰を屈めて耳打ちしてくる。
「この方は、昔から旦那様や奥様とも懇意にしておられますので、大丈夫ですよ」
「そうか、では…ワシはカルンの妻のセルカじゃ!」
胸を張ってそう答える。
「おぉおぉ、そうでしたか、そうでしたか。あの小さかったカルン様が、ついに奥様をお迎えに」
そう言って震える小太りの男の目から、キラリと光るものがこぼれ落ちる。
「と言うことは、ケイン様とセイル様もご結婚を?」
「い…いや?カルンだけじゃぞ」
ずずいっと身を乗り出して聞いてくる男に、思わず腰を引いてしまう。
「はぁ…そうでしたか。お二人共、昔からとても志も高く、将来はよい領主とその補佐をする方になるとは思うのですが…女性に対しての志も高いようですね………」
「えーっと…。それでじゃの、苗木の方はどんなものがあるんじゃろうかの?」
先ほどまでの感動に打ち震えていた声はなりを潜め、呆れを多分に含んだ声になったので、慌てて本題に戻して話を終わらせる。
「おっとそうでした、その前に。この度はご結婚、誠におめでとうございます。後日、正式にお祝いに参上させていただきますね」
「んむ、ありがとうなのじゃ」
「では、室内用ということですので、その用途の苗木は―――」
その後、お昼まで苗木や、ついでとばかりに庭木の若木を見て回ったのだが、結局苗木は贈らないことにした。
そもそもサンドラはともかく、その相手の好みが分からない事、輸送距離が長く苗木が枯れる心配がある事、そして何よりワシ個人の懸念じゃが、生育環境が合わないんじゃないかと思ったからだ。
ここは温暖から時に亜熱帯に近い気候だが、それとは逆にサンドラのいる街は常に寒冷気候、こちらの植物がまともに育つ訳がないと考えたのだ。
といっても科学が発展していない上に、そんな状態なのだ当然学術的交流などあるわけもない、そんな世界の人にそういうことを言っても理解できないだろうと、前者2つの理由で贈らないと決めたと伝える。
「聡い方ですね、カルン様も良い方をお迎えになられた…。では、代わりにこちらなど如何でしょうか」
そう言って持ってきたのは数々の寄木細工の様な物や、積み木などだった。
「これは…綺麗じゃのぉ…」
「セルカ様のお知り合いという事で、女性だと思いこちらをご用意したのですが」
「んむ、そうじゃよ」
寄木細工は前世で何度か見た事があるが、それに負けずとも劣らない見事なものだった。
積み木は、四角に丸に三角など、まさに児童用の積み木と言った形なのだが、その表面には見事な掘り細工が施されていてこちらも観賞用としても見事なものだった。
その見事な細工具合に、男の言葉なぞ耳にも入らないほど見入ってしまう。
「この細工のもので小物入れのようなものはあるかのぉ?」
「はい。ちょうど手に持っておられます、それが小物入れとしてお使い出来ますよ」
いくつかある寄木細工の中で、ちょうど手に持っていた箱型のものがそうだったようだ。
「ふむ、それでこれは在庫はあるかの?」
「在庫…ですか?それでしたら幾つかございますが」
「ふむ…この小物入れを二つと、後はこの積み木と同じもので、細工が入っておらぬものはあるかの?」
「はい、ございますが」
「では、それを一揃えもらおうかの」
「ご用意させていただきますので、少々お待ち下さい」
そう言って男が店の奥に消えると、ライニが代金を用意しようとするのを手で制す。
「これはワシが個人的に贈るものじゃ、ワシが払う」
「………かしこまりました」
少し考えていたライニだったが、意を汲んでくれたのかそっと後ろに控える。
「お待たせしました、こちらでよろしいでしょうか?」
「んむ」
奥から戻ってきた男は、ワシの持っている寄木細工と同じ型のものと、細工が施されてない積み木を抱えていた。
「では、こちらの小物入れお二つでミスリルが十と、こちらの積み木はサービスでおつけさせていただきます」
「それは感謝なのじゃ」
安宿とは言え一泊が銀貨一枚で済むことを考えれば、両手で抱えるくらいの大きさの小物いれ二つで、ミスリル貨十枚はかなりの金額だ。
けれども散財もしていないので十分すぎるほど手持ちはあるし、何より結婚祝いなのだケチケチする必要も無いと、気前よく払うと店を後にする。
「ちょうどお昼じゃし、この辺りで良い店をしらぬかの?」
「この近くでしたら…」
そう言ってライニに連れて行かれたのはちょっと…いや、かなり高級そうなお店だった。
お店に入ると、ライニが控えるワシを見た店員が敬々しく個室へと案内してくる。
持ってこられた料理は全てライニが給仕をしてくれた、部屋には店員は一切入ってこなかったので、どうやら個室の外でライニが受け取っていたようだ。
「はぁ、家で食べるものと同じくらい、どれも美味しかったのじゃ」
「お気に召したようで幸いです」
代金を用意しようとするワシを、今度はライニが制する。
「すでにお食事代は支払っておりますので」
ニッコリとライニはそう答えるのだが、一体いつ支払ったのだろうか…。
「しかしのぉ…ワシ一人の外食なのじゃから別に…」
「外食とはいえセルカ様の生活費、主人に連なるものに払わせたとなれば家臣の恥です」
「うぅむ、しかし先程は」
「あれはご贈答用、お食事とは違います」
「うーむ」
多少腑に落ちないが、すでに支払い済みではどうしようもない。
受け取りもしないだろうし、仕方ないかと店を出る。
店を出た後は、腹ごなしとばかりに教会区画をうろちょろし、その後なんとか空が染まる前に家に帰り着くのだった。
秘密箱すごいですよね。
模様もそうですが、よくあんなものに数十回もの仕掛けを組み込めるものだと。
ただ、今回買ったものは普通に上下に別れるタイプのものです。




