979手間
陽が落ちると途端、暖炉の火を消したように寒くなる、そんな中ぱちゃりと水音を立てワシは立ち上がる。
聖なる泉とやらでの禊も今日で終わり、本来ならば寒さに耐えつつ祈る必要があるのだが、ワシにはさしたる問題ですらない。
なので祈りの時間は暇となる、だからこの聖なる泉とやらを観察していた。
ここ数日の観察で分かったことであるが、聖なる泉と呼ばれているものの、この泉自体に特筆すべき点は無い。
近くに聖樹と呼ばれる世界樹の幼木があるので地脈は近くに通ってはいるが、この泉に影響はさほど与えていない。
せいぜいがほんの僅かに水に含まれるマナの量が多い程度か、この程度ならば地脈に近い水源を持つ水域であれば珍しいものではない。
聖なると冠する謂れには、少しばかり弱いのでは無いだろうか。
「そういえば、ここの由来を詳しくは聞いて無かったの」
「ここは、初代様がこの地を平定するにあたり、魔物や聖ヴェルギリウス神国を興すのに反意を持つ者たちを征伐する戦に赴く前に禊を行った泉なのであります」
「なるほどのぉ」
効果ではなく逸話でかと、納得しつつ今度は別のことを聞く。
「ふむ、ということはあの水晶は何ぞ謂れのあるものなのかの?」
水が湧き出る台座に鎮座する水晶、ただの水晶ではあるがその大きさは立派なもので、神王が拾ったとかそういうものだろうかと聞いてみる。
「いえ、あれはただの水晶でございます、無論祝福を受け聖別された物ではありますが、それその物に謂れはございません」
「ふむ、そうかえ、これは触ってみてもいいかえ?」
「あ、はい、座下でしたら問題はございません」
許可も出たので近付いて触ってみるが、ひんやりとした手触りの何の変哲もない水晶だ。
そこでふと、これ自体に意味はないのならば、ここ数日ただ水に浸かってサウナで温まって後は本を読むだけというのもクリスが頑張っている中、ワシ一人リゾートにでも来たかのような日々だけでは何なので、ここは一つワシも手間をかけるかと水晶から手を離し振り向く。
「この水晶は、これでなければならぬというのはあるかの?」
「そのようなことは御座いません、現に水晶が欠けたりした場合は取り換えております」
「ふむ、それならば……」
首都大司教が言うや否や、ワシは左の手の平にマナを集中させる。
すると手の平の中心から木々が生えるかのように晶石が現れ成長する。
だいたい台座に載った水晶と同じくらいの大きさにまで成長させると、ワシはマナの集中を止める。
少し気合いを入れ過ぎたのか、薄緑の晶石の中心にまるで星々を閉じ込めたかのような煌きが見えるが、まぁいいだろう。
「これを代わりにここに置くことは出来るかの?」
「ざ、座下? それは一体?」
「む? これかえ? これは晶石というて、要は高濃度のマナが結晶化したものじゃな」
ワシがそう説明した途端、首都大司教をはじめとした周囲に侍っていた聖職者たちが、糸の切れた操り人形のようにその場に頽れる。
そして嗚咽を漏らしながら祈りはじめるという、混沌とした空間へとこの場が変わりワシは動くごとが出来ず、混沌とした場が治まるまでその場に立ち尽くすことになるのだった……




