976手間
婚姻の儀に臨む前に、新郎新婦が互いに塗るという軟膏が収められた壺。
マナが見れるという男がここに来る許可を、首都大司教が貰いに行っている間に折角だからと壺とその中身をじっくりと見る。
壺自体は特筆すべき点は無い、いや、美術品としての価値は高いだろう、草花をモチーフとした飾りが綺麗ではあるが、マナに関しては何の関係もない。
蓋をぱかりと開けて中の軟膏を見てみるが、こちらも何の変哲もない乳白色の軟膏だ、流石に見た目や匂いだけではどういう軟膏かまでは分からないが。
「これにマナを込めれば良いのじゃな?」
「左様でございます」
残っていた傍付きの者に聞けば、その通りだと恭しく頷かれる。
なれば早速と、クリスの無病息災を祈りつつ軟膏にマナを込めてゆく。
本来であれば休み休みで一日かけてということだったが、手の平の上で収まる程度の大きさの壺に入った軟膏なぞ、ワシにかかれば一瞬だ。
無論、ワシであれば嘘偽りなしに文字通り一日中マナを込め続けることぐらい造作も無いが、そんな事をすれば軟膏がどんなモノになるか分かったものではない。
薬も過ぎれば毒になるという言葉がある通り、多すぎるマナは毒になる、そもそも込めれば込めるだけ薬効などが上がる訳でも無いのだから、こういうモノはほどほどが一番。
ワシの場合そのほどほどを探るために、いったい幾つの薬や薬草などを無駄にした事か……。
「さてこんなもんかの」
壺をことりと近くのテーブルに置けば、傍付きの者が不思議そうな顔をしているのが目に入る。
マナを込めたところで光りもしないし、軟膏の色が変化するということもまずない。
ワシも薬師の勉強をしたときなどに、人がマナを込めるのを見たことがあるが、誰も彼も気合いを入れて込めていた。
人によっては肩で息をするほどであったし、そうでなくとも疲労が目に見えるものだった。
しかし、ワシの場合はひょいと壺をもってひょいと置いただけ、傍から見れば何もしていないように見えるから、傍付きの者が不思議そうな顔をしても仕方がない。
「他にマナを込める必要があるものはあるかの?」
「い、いえ、そのひと壺だけで結構でございます」
「ふむ、では後は待つだけかのぉ」
許可を仰ぎに行った首都大司教はつい先ほど部屋を出たばかりだ、結果がどちらにせよまだ時間はかかるだろう。
だから他に何かないかと聞いてみるが、その答えはあっけなく返される。
分かり切っていたことなので落胆は無く、ならば面白い記述でも無いかと、まだ読んでない儀式の内容が無いかと分厚い本に手を伸ばすのだった……




