975手間
ワシにとっては実に何も無い、しかしクリスには過酷であったであろう数日が過ぎ、この建物で過ごすのも今日で最後という朝に、何やら首都大司教が手の平に乗る大きさのやけに豪華な壺を持ってきた。
「本日はこの中の軟膏に祝福を込めて頂きたく」
「ほう、軟膏にかえ? 誰ぞ怪我でもしたのかの?」
「いえ、こちらは婚姻の儀に臨むにあたり、新郎新婦お二方がお互いに祝福を込めた軟膏を塗るのです」
「ほうほう」
互いが健やかに過ごせるようにという願いを込めて塗るという、ロマンチックとは違うがなかなかいじらしい風習だ。
「一日かけて込めて頂き、後ほど我々が確認させていただき、当日までしっかりと封をし保管させていただきます」
「ん? 何を確認するんじゃ?」
「祝福がきちんと込められてるか否かにございます、どうしても出来ぬ方というのはいらっしゃいますので、その場合は私どもが代わりに」
「代わりにやってもいいものなのかえ?」
「はい、そこに込める気持ちが大事ですので、私どもは敬虔な祈りのお手伝いをするだけでございます」
ますますいじらしい風習だと思いつつも、一日かけてという言葉が気になる。
「しかしまぁ、一日とは随分長いの、流石にそれは倒れる者が出るのではないかの?」
「一日かけてと申しましても、一日中ということではなく、休み休みですのでその様なことにはなりませんのでご安心ください」
「それもそうじゃな、ところでどうやってマナが込められているか確認するのじゃ?」
「私どもの中に、祝福が見れる者がおりますので、彼らに確認させます」
「ほう、マナが見れる者がおるのじゃな? ふむ、マナを込めること自体はすぐじゃ、ちとその者に興味があるからの呼んでもらえんかえ?」
「それはよろしいのですが……」
確認させるといってるのだから、既にここに居るのだろうが何故か首都大司教が言いよどむ。
部外秘というか、人目にさらしてはいけないとでもいう制約でもあるのだろうかと想像し、取り下げようと口を開くよりも先に首都大司教が話し出す。
「祝福を見れる者なのですが、当代の者は男性でして、彼はその立場上ここにも入れるのですが、座下のお立場上、殿下のご許可を頂きたく存じますので、少々お時間を」
「ふむ、そのくらいかまわんのじゃ、どうせもとより一日かかる儀式なのじゃろう」
「かしこまりました」
早速許可をと部屋を辞する首都大司教を見送り、彼女が置いていった軟膏の入った壺を矯めつ眇めつ見ながら、マナが見える者はどんな風にマナが見えるのだろうかと彼の到着を楽しみに待つのだった……




