973手間
他に積まれた本も書かれた時期が違うだけで、同じような説教の本だった。
持ってきてくれた人の話によれば、この建物にはこの手の本しか常備しておらず、取り寄せることも不可能と。
とまれ、これしかないなら暇を潰すにはこれを読むしかない。
傍仕えの淹れてくれたお茶を飲みながら、ゆっくりとページをめくる。
目次も無く、誰が何を言ったのかだけが淡々と書かれただけの本。
明らかに曖昧、というか宗教色の強い話は読み飛ばしてゆけば、残っているのは意外、といえば失礼だが有用なことが書いてある。
説教の本だけあって、持って回ったような仰々しい言い回しばかりではあるが、体を綺麗にしましょうとか、体調を崩したときはこれを食べなさいなどなど、日々健康に過ごすための豆知識が大半だ。
ワシの分かる範囲ではあるが、腹を下した時は木の実を砕いてと書かれているのだが、これは現に腹下しの薬に使う木の実であるし、他もちゃんと正し処方が提示されている。
「もしや、薬師は元々聖職者かえ?」
「おや、よくご存じですね。今は職が分かれておりますが、昔は聖堂に勤めている者が薬を煎じて安価で販売したりしていたそうです」
「ほほう、なるほどのぉ」
「と言いましても、薬の中には祝福を必要とするものがありますので司祭が薬に祝福を施したり、他には聖堂が経営している孤児院などで薬草を育て、治療院や薬師に売っていたりしますので、完全に分かれている訳ではありませんが」
薬の中に祝福、要はマナを込める必要があるものがあるのは知っている。
その手の薬は意外と多いので、マナを込めるのが苦手な者や、そもそも込めるほどマナが無い者はどうするのかと思ったが、なるほど人に任せるという手があったかと一人頷く。
他に面白いことは無いかと読み進めて行けば、書かれた時代が下るごとに薬などの話から離れ、故事と言えるような戒めや心構えなどの、正しく説教と言えるような話が増えてきた。
恐らくこの辺りから彼女の言うように薬師や何やらと分かれて来たのだろう、大衆向けでは無い同業の者の為の本ゆえの簡素さで、逆にどういった流行り廃りがあったのが分かりやすい。
この辺りに書かれているのは、人から盗むべからず、人を怨むべからず、などなどごく当たり前のことを迂遠に説き伏せる、戒める話が多い。
それにしても話自体は為になるというか、確かにと頷くものばかりなのだが、村の聖堂を預かるような者では無く、神王や首都大司教などの上の者が話すようなことだろうか?
迂遠な話を理解できるのは、そも教養のある者だけであろうが、まぁそれをかみ砕いて分かりやすくするのが下っ端の仕事ということなのだろう、たぶん。
いつの時代も自分に近い人の説教は受け入れられずとも、偉い人がこう言っていたという説教なら受け入れる人が居るのかもしれない。
「どれもためになる話じゃが、他に何ぞ無いのかえ?」
「他、となりますと、儀式などの手引書くらい、でしょうか」
「ほほう、儀式のとな? それを、いや、それは聖職者で無くとも読めるものかえ?」
「座下でしたら、その様な制限はございません」
「ほう、ではそれを持ってきてもらえるかえ?」
「かしこまりました」
説教などよりも儀式の手引書とは好奇心が刺激される、さてどんなことが書かれているのかと、出る前に彼女が淹れてくれたお茶を飲みながら、ワクワクとした様子を隠すことも無く手引書の到着を待つのだった……




