魔女の宝石店〜初恋の輝石〜
前作(http://ncode.syosetu.com/n3222df/)の登場人物がわかりにくいですがちらっと出ます。
──あるところに、恋を宝石に変えてくれる知る人ぞ知る宝石店があるという。薄暗い曲がりくねった路地の奥、口から口へひっそりと伝えられるその店の扉を、今日も誰かがノックする。ある者は縋るように。ある者は決意と共に。またある者は──戸惑いをもって。
◆◇◆◇◆
からん、と鳴って来客を告げたベルに、薄暗い路地裏にあるこれまた薄暗い宝石店の女店主はのんびりと顔を上げた。
「いらっしゃいませ。最近はよくお客が来るねぇ。良いことなのか悪いのか」
戸惑いも顕に店内に入ってきたのは、質素な服に身を包んだ青年であった。その髪はこの国では珍しい青銀、また顔もやや顰められてこそいるものの端正で、体格は服の上からでも鍛えられているのがはっきりとわかる、美丈夫と呼んで差し支えないだろう出で立ちだった。
青年は店内にずらりと並ぶ宝飾品に少しばかり気圧されるようにうろうろと視線を彷徨わせた後、女店主の方を見て躊躇いがちに口を開いた。
「あの、あなたが、ここの店主だろうか」
「いかにも」
「……同僚から聞いたのだ、俺の悩みは、ここでどうにかしてくれるだろうと」
ふむ、と女店主は笑みを絶やさぬままその表情を見遣る。ここがどういう店かはよく知らされぬままここに来たというのは少々珍しい事例である。ただ彼の同僚とやらも、敢えて暈した言い方で彼をここへと導いたようにも感じられた。
さて彼が語るのは恋の話か、それとも。
「では、まずは話を聞こうじゃないか」
◆◇◆◇◆
青銀の髪の青年はヘルゼと名乗った。この国の軍人であり、士官学校を卒業してまだ三年ほどであるにも関わらず隣街の警邏隊で隊ひとつを任されているというのだから、どうやらそれなりに将来を嘱望されている若手のようである。
「最近時折ふと惚けてしまったり、仕事が手につかなかったりすることがあるのです。そのきっかけ、なのですが……思い当たるのは、二月前に同じ街の、ある名門校の生徒の方々が士官学校の見学にいらっしゃってからだと思っております」
近年あまり大きな戦もないこの国では然程珍しい話でもない。良く言えばのどかな日常、悪く言えば平和ボケともとれる話ではあるが、何分職業軍人は大半が適齢期に差し掛かる、あるいは真っ只中の年頃であるにも関わらず独身が多くなりがちな職業であるため、多少なりとも同年代の異性と接して潤いを得る貴重な機会でもあるのだ。
また名家の子息子女にとっても、軍事における名門の家柄の子息らとコネクションを結ぶ機会はそう簡単に無視できるわけもない。
ヘルゼの役割は生徒たちの案内役であったが、彼自身は将来有望とされているとはいえども格の高い家柄でないためにあまり注目されてはいなかった。
──と、いうのは本人の言だが、その見目からしてひっそりと目をつけた子女は多かったのだろうなと女店主は推測する。
なにせ青年の見目はかなり良い方である。しかし彼ときたら今こうして話している途中も仏頂面を崩さないほどの鉄面皮である。おそらく軍人に慣れていない年若い子女たちにはどうにも話しかけ辛かったのだろう。
「ただ、遠巻きにされる中で唯一、私に話しかけてくれた方がいたのです」
──こんにちは。その隊章、警邏隊の方ね?
真っ直ぐな黒髪と藍色の瞳というどこか儚げな見目でありながら、それに似合わないはっきりした物腰がひどく印象的な、ひとりの少女だった。
「いつも街の見回りだとか、大変なお仕事をしているのに今日は私たちみたいな子供のお守りで退屈でしょう」
「そんなことは。士官学校の皆も喜んでおりますし、皆様の楽しそうな様子を見られるのは、私共にとっても嬉しいことでございます」
「あらあら、真面目な方ですね」
もっとその女子供に優しくない表情をなんとかしろ、と常々言われているヘルゼは、表情にこそ出していなかったものの実際のところ内心はその会話にかなり動揺していた。
生まれてこの方恋愛経験はおろか家族以外の異性と接したことすらほとんどなかった彼には、名家の子女と他愛ない話に興じるというのは普段の上官のしごきよりも余程難儀なことであった。だから、そこからどう話を繋げたりしたのかなどは自分でもよく覚えていない。
ただ、その少女が士官学校の思い出話や無理難題を言ってきた上官の話など、そういったヘルゼにとってはごく日常の出来事に過ぎないような話を興味深そうに聞いていた時の、楽しそうで柔らかな笑顔が、ひどく脳裏に焼きついていた。
邂逅は僅かにその一度きり。
だがそれ以降、不思議なことにふとした瞬間に少女の顔が浮かぶようになった。
それと同時に集中力が欠けがちになり、気付けば机仕事の手が止まっているようなこともそろそろ片手の指に余るほどの数になってきた。周りにどうしてと訊かれても自分でも理由などわからない。
ただ、思い当たるのはあの日のこと、そしてあの、少女のこと。
それをある時、信頼する先輩に相談してみれば、真面目に詳らかに語ったヘルゼに対して先輩はひどくバツの悪そうな顔をしてうんうんと唸っていた。奥歯に挟まって言い辛いような何かを、どうにかして言葉にしようと苦心惨憺しているようだった。
──うーん、そうだなぁ。お前がそれを本気でどうにかしたいなら、路地裏の宝石店に行ってみろ。多分なんとかしてはくれるさ。その良し悪しは別として、な。
結局、先輩が伝えてくれたのはそれだけだった。
「……なるほど、ねぇ。それで、あなたはそのあなた自身の変化をどう思ってるんだい」
女店主は、そこまで聞いたところでヘルゼに問いを投げかけた。青年は無言で俯き、唇を噛む。
「仕事に支障が出てしまっていいるのは、我がことながら大変に情けなくまた煩わしいことです。軍属のものとして、街の安全を預かる警邏隊として、あってはならないこと。だからこれが消せるものなら、消した方が良いと……頭では、そう思うのですが」
「ほう」
女店主は、青年が初めて歯切れの悪い言葉を口にしたことに興味深げに片眉を上げ、先を促した。
「けれど、けれど俺は、この煩わしさが不思議と不快ではないのです。どうしてかはわかりません、わからないのですが、本当は消して良いものだとは思えないのです。手放してはいけないと、心のどこかで思っているのです。……このようなことは今までなかった。客観的な理論で最善手を判断して、それを選択する……それが正しいことのはずなのに」
青年は、あからさまに動揺していた。狼狽えていた。自分の心に生じたものが何かすらわからないまま、それでもそれを、大切なものだと叫ぶ感情を、不器用ながらもしかと捉えていた。
女店主はその様子を見て、幼子を見るような優しい顔で笑った。
「……なるほど。確かにあたしならそれを消すことはできる」
それを聞いて弾かれたように青年は顔を上げた。喜ぶような恐れるような絶望するような、複雑な感情が代わる代わるその顔に浮かんでは消える。
「あんたがそれを己の手に余らせているのはね、それが何かがわかっていないからだ。得体の知れぬものだから恐ろしい。わからぬものだから手に負えない。だが、それを理解することができれば、かたちを名前を知ることができてしまえば、話はまた違ってくるだろうよ」
まるで、謳うような言葉だった。女店主は煙管の煙をひとつ吐き、そうして青年の双眸を真っ直ぐ見詰めた。
「それを踏まえてあんたに教えてあげよう。この店はね、古の魔術によって"恋"を宝石に変える店さ」
「恋……」
鸚鵡返しに呟く青年に、女店主は無言で頷きを返す。
「ねぇヘルゼとやら、よく聞くがいい。あんたのそれはね、恋と云うのだよ。今まで知ることのなかったそれは確かにあんたには扱いの難しい代物だろう、それが手に余るというなら消してあげよう。それほど純粋な初恋だ、さぞやいい宝石になるだろうさ。
でも……でもね、今一度、正体を知った今この時、よくよく考えてみるといい。
それはあんたにとってそう簡単に、消してしまっていいものかい?」
今や青ざめてすらいる青年は、その言葉をゆっくり嚥下するかのようにひとつ深く呼吸をした後、ゆっくりと瞼を落とした。そのまま、長い沈黙が降りる。
決して簡単な問題ではないだろう。今まで恋はおろか異性にも縁すらなく、仕事のために生きてきた彼だ。恋に気を取られるのを、煩わしいとさえ言った彼だ。
だからその長い沈黙の時間、女店主もまたそれを無言で待った。
それからたっぷり数分はかかっただろうか。漸く顔を上げた彼の表情は、あまり明るいものではなかった。
「……これが恋だなんて言われても、まだ俺にはどんなものかよくわかりません。煩わしいとさえ思うのも変わりません。多分俺にはやはり扱いが難しいでしょう、いえ、もしかしたら扱えないようなものなのかもしれません」
絞り出すように訥々と語られるそれには苦々しさが浮かんでいた。青年はけれど、さらに眉間の皺を深めて、こう続けた。
「ですが、それでも。これを捨てるということは、わからないものをわからないままにするということです。敵前逃亡が如く、立ち向かわずに逃げるということです。あの少女のことも何ひとつ知らないまま──知ろうとしないまま。それは、今の俺にとっては、その煩わしさよりもなお耐え難いのです。もしかしたら、この判断は間違っているのかもしれません。ここで消すよりもっと傷つくことになるかもしれません。それでもここで逃げたら、きっと俺は何度でも逃げ続けてしまうでしょう。そうしてずっと知らないまま、わからないまま生きていくのでしょう。そんなのは嫌です。俺は知りたい」
相手は名前すらよく知らぬままに別れてしまった、たった一度会ったきりの少女だ。
けれどそれでも、せめてもう一度、会いたいと思った。名前を知りたいと思った。あの柔らかい笑顔が、もう一度見たかった。
あぁこれが恋なのだと、ヘルゼはそこでようやくその想いに名がついたことを知った。なんと悪辣で、そしてなんと苛烈な感情だろうか。けれど不思議とそれを、心地良いとすら思っていた。
そうしてヘルゼの言葉を聞いた女店主はゆっくりと頷いた。
「……そうかい。もしかしたら、その苛烈さに身を焼くことがあるかもしれない。あるいは叶わぬ恋に打ちひしがれることもあるかもしれない。それが自分でどうにもできない、足が止まってしまってもう次に進めないと思った時は、またここにおいで。その時こそ私があんたの恋を宝石にしてあげるから」
ま、そんな日が来ないことを願ってるけどね、と、悪戯っぽく片目を閉じて笑った女店主に、ヘルゼはそこでようやく小さく微笑みを返した。
「ちなみにね、もしかしたらそのお嬢さん、二巡週に一度の土の曜日の日に教会前のクレープ屋に来るかもしれないよ」
「えっ、何故そんなことをご存知なのですか」
「……魔女はなんでもお見通しなものさ、なんてったって魔女だからね」
◆◇◆◇◆
「ああああああもったいねーわーー!!もったいないことしたーー!!あんだけ純粋な初恋なんて滅多やたらに無いのに!!きっとすっごい綺麗な宝石が取れたのにぃ!!」
「あなた早々に酔っ払いすぎよ。落ち着いてよマデイラ……」
だんだんだんと机を拳で叩く音が、真夜中の宝石店に響いていた。向かいに座る女性からマデイラと呼ばれていた宝石店の女店主は、今日の昼訪れた青年の抱えていた"恋"を宝石に仕損なったことを、実のところかなり悔しがっていた。
あらゆる恋の中でも"初恋"は、宝石に変えると無色透明のものになる。それは時に同じ重さの金の倍ほどの価値で取引される大変貴重な宝石であり、女店主は正直喉から手が出るほど彼の恋を宝石にしてしまいたかった。
──けれど、商人としての彼女がどれほどそれを求めたとしても、魔女としての彼女はそれを決して許すわけにはいかなかったのだ。
「ねぇ、そんなに嘆いたって仕方ないでしょうマデイラ。私たち魔女の仕事はねぇ、自らの力で次の恋に進めなくなってしまった人の背中を押してあげるためのものなんですもの」
そう言って、女店主の同僚であるもう一人の魔女は、テーブルの上のワインを自分のグラスに注ぎながら笑みを刻んだ。
「まぁ……本当は、私たちの魔術なんて存在しない方がいいのかもしれないけどね。それでも、人の心ってひとりでは進めない時がどうしてもあるくらいには、ままならないものだから」
例えば、恋を諦めることを望むために恋を宝石にする者。沢山の恋を経て新たな恋を楽しむために宝石にする者。死んでしまった恋人への深すぎる想いを過去のものとするために宝石に変えた者。様々な人が、様々な理由で彼女たち魔女を頼ってくる。
彼らは決して弱いわけではない、けれど自分で次の恋へと歩みを進められるほど強くもないのだ。そういった人々がどうしようもなく引きずっている恋を綺麗に"思い出"に変えて、彼らの次の恋の行方が幸せなものであるように背中を押してやる。それこそが彼女たち宝石の魔女と呼ばれる存在の唯一無二の使命であり、生き甲斐でもあるのだ。
「そうよね…………それに、あの純粋な初恋を、むざむざ石にしてしまうことの方がもったいないかも、しれないものね」
路地裏にある宝石店の女店主マデイラは、今日来た青銀の髪の青年や、そしていつだったか恋を諦めた高潔な少女のことを想った。
例え魔女に背中を押されたところでうまくいくかどうかなどわからない。傷つけ合うこともあるかもしれず、互いに喜びを分かち合うこともあるかもしれない、それが恋だ。あまりにも予想ができず、あまりにもままならないものだ。それでも。
彼らの恋がもしかしたら結ばれて、死がふたりを分かつまで続く"最後の恋"となるかもしれないから。
魔女たちはいつだってそれを、願わずにはいられないのだ。
「どうか若き者たちに、生涯最後の恋のあらんことを」
そう呟き、二人の魔女は杯を掲げた。
蛇足かもしれませんが。
誰かにとっての恋が結婚から看取るまでに至るような、「次」が存在しない生涯最後の恋となった場合。きっと最高の宝石になり得るだろうそれは最後であるがゆえに決して宝石にならない。
つまり、魔女たちはそれを決して見ることはできないのではないのかなぁと。