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綺麗に舗装された石畳と枯れた街路樹が並ぶ城へ続く不気味な道、ところが真新しく削れたような跡が不均等にその地面の至る所に見られる。その痕跡を作った本人がヨロヨロと壁に寄り掛かる、そしてその後ろから付いて来た二人もその様子を見て足を止めた。
「ちょっと待て…少し休憩しよう…さすがに疲れた……ふぅぅぅ…マジで重いわこれ…」
そう言うとイサムは、急遽あしらった紐を結び背負っていたネルタクの武器【アイスブランド】を、近くの壁に立て掛けてしゃがみ込む。額には薄っすらと汗がにじみ出ており、それを心配そうに傍に駆け寄ったディアナが拭いている。
「イサム様…大丈夫ですか? その剣、やっぱり何処かに置いてく事は出来ないのでしょうか…?」
青白く輝く精霊ユキの恩恵を受けた大剣を指差し、小さな溜め息をつくとそれを聞いたネルタクが間髪居れずに答えた。
「ダメダメ! 何を言ってるんだディアナ! さっきも言っただろ? 僕の剣をこんな場所に置いていけるわけがない!」
「取り合えずですよ! 取り合えず! 嫌だったらネルタクさんが持てば良いじゃないですか!」
「だから! それが無理だからイサムさんに頼んでるんじゃないか! 僕の武器は取り合えずで置いて良い代物じゃない!」
「おいおい喧嘩するなよ…」
疲れて座り込んでいるイサムが力なく仲裁に入る。大剣と言っても様々で、ネルタクのアイスブランドの大きさは百五十センチ程でディアナの身長を軽く超える。だが重量は見た目以上に重く、約二十キロ程はあるらしいがそれ以上に重く感じる。普段はネルタク自身のアイテムボックスに収納されているが、魔法が使えない今、鞘の無い抜き身の状態でも怪我をしないで持ち運べるのは、この三人の中でイサム以外には無理だった。
「ここはいつ襲われるか分からない場所なんですよ! イサム様がこんなに疲れていては、もし戦闘が始まった時どうするんですか? 私も…私も今は武器が無い状態なのに…!」
テテルから借りた武器が使えない悔しさからなのか、珍しく握り拳を両手に作り小刻みに震えている。
「それはそうだけど…! それでも駄目だ! ジヴ…いえっユキ様のお力を賜った武器をその辺りに置いとくなんて出来るわけが無い!」
水の城を中心とした、この国全体を覆っている紫色の膜の効果により魔法が一切使え無い。重量軽減の魔法を自身の大剣に付加していたネルタクも例外では無く、引きずる様に持ってきたアイスブランドを遂には持ち上げる事すら出来なくなっていた。その上この空間では、武器を取り出せる事が出来ても収納する事が出来ず、一旦置いて行こうとイサムもこのエリアに入って直ぐ提案したが、涙を浮かべて一歩もその場所から動かなくなった為、渋々イサムが背負って運ぶ事になった。そしてディアナも同様にテテルから借りたどの装備も非常に重く持つ事とすら出来なかったので、今は何も持てずにイサムの後を付いて来ている。だからこそ不満が募る。
「それにずるいです! イサム様の武器までお借りして!」
「しょうがないだろ、イサムさんが使って良いって言ってるんだから。それに僕はその辺りに落ちている武器でも問題なく使えるんだ、でも戦うならより強い武器の方が良いって言うから。そんな事を言うならディアナが使いなよ!」
そう言ってイサムから借りている片手剣【エクレア】をディアナに渡す。だが筋力の足りない彼女が持てる訳も無く、剣の重さに耐える事無く落としてしまう。
「ああ! すみませんイサム様! 酷いですネルタクさん!」
「ほらぁ持てないじゃないか!」
「いや良いよ大丈夫…ネルタクも分かってて苛めるなよ…それにしても魔法って凄いんだなぁ…軽々持ち上げられるもんなぁ…」
汗を拭いながらイサムがしみじみと落ちた自身の剣を見ながら話すと、ディアナは諦めがつかないのか、落ちた剣を持ち上げようと顔を真っ赤にしている。それを見ながらふと閃いたイサムは、アイテムボックスの中からこの世界に持ってきた唯一のアイテム【風呂桶】を取り出した。
「そうそう、ディアナこれ見てくれよ。俺がこの世界に来た時に持ってきた風呂桶なんだけど、突然現れた俺に混乱したリリルカが凄い魔法放ってな、そんな状況でも溶ける事すらなかったんだ。まぁディアナもこれなら持てるんじゃないか? …て言うのは冗談だけどな…」
片手で冗談交じりに黄色い風呂桶を見せると、ディアナが両手を即座に出して風呂桶を掴む。
「ああ! 何と言う事でしょう! イサム様が…剣の持てない私の為に装備を出してくださったのですね! ディアナは…ディアナは、とても嬉しく思います!」
「え!? いやこれは本当にそんなに大したものじゃないぞ…!? ただの風呂桶…」
「いいえ! リリルカさんの魔法に耐えれる物が、ただの湯浴みのアイテムなんてあり得ません!」
目を輝かせながら風呂桶を掲げ興奮するディアナ、それを見ながらネルタクがイサムに小声で話しかけてくる。
「イサムさん…彼女は今武器を持てないので、これで満足させましょう」
「満足って…風呂桶だぞ…? 戦闘になったらあれで戦うのか?」
ネルタクは無言で頷く、イサムは半ば諦めるように息を少し吐き出すと、両手で両膝を押すように立ち上がる。
(喜んでるなら良いか…敵が現れたら何とか守れる様に立ち回れればいい…)
紫の膜のせいでマップは視界に表示されない為に索敵が出来ず、敵が何処から現れるか分からない。そんな中で風呂桶を掲げて喜ぶ少女を一先ず落ち着かせ歩を進める。
「よっし、二人とも休憩は終わりだ。タチュラがスライムを引き付けてる間に進もう」
「はい!」
「行きましょう」
元気良く足早に歩き始めたディアナ、そしてそれをイサムとネルタクが彼女に気が付かれない様に、いつでも守れる距離で歩き出す。
「俺らとあまり距離を開けるなよディアナ、索敵の魔法が使えないんだ。何処に敵がいるか分からないぞ」
それを聞いて振り返ったディアナが自信満々に答える。
「何を仰るのですか、私の持つスキルは【予知】ですよ? もし危険がこの先にあるば直ぐに分かります!」
「そうかもしれないけど、まだそれ程ハッキリと予知出来る訳じゃないんだろ? 警戒して進むに越した事は無いよ」
ネルタクに子ども扱いされていると感じているディアナは、その言葉にいつもほんの少しだけ気持ちが苛立ってしまう。
「分かってますよ、それでも私だってお役に立ちたいんです! 今はその…弱いかもしれませんが、敵を倒せる力だけが全てでは無い筈です!」
顔を赤くして必死に答えるディアナだったが、急に動きが止まり進行方向へと顔を向ける。
「ん? どうしたディアナ? 何か見えたのか?」
「はい、恐らく敵です。ですがスライムではなくもっと早い何かが飛び掛ってくるのが見えました」
「あ! あれじゃないですか!? この国の入り口に居た奴です! かなりの数です!」
すぐさまディアナの前にでるイサムとネルタク、その視線の先にはこの国の入り口ガルスの町に入るときイサムが銃で倒した、犬の様な魔物【バーゲスト】が現れる。その数は見えるだけでも十数匹は居るだろう、こちらへと躊躇無く駆けて来るのが分かる。
「まだ魔法が使えない以上は接近戦で倒すしかない! 俺もこの剣は今は重くて使えない、ネルタク任せた! ディアナは俺の後ろに隠れていてくれ」
「嫌です! 私だって戦えます!」
そう言ってディアナは、先程イサムから借りた風呂桶を握り締め構える。
「いやそれ武器じゃないだろ!」
「いえ武器です! 私には分かるんです! これは武器です!」
「いつまでやってるんですか! 来ますよ!」
黒い集団は真っ直ぐこちらへと向ってくる、周囲を見回すが城まで続く広い街道のに隠れる場所は何処にも無かった。バーゲスト達を見ると必死の形相で、涎を撒き散らしながら速度を落とす事無く進んでくる。飛び掛ってくると思い身構えたイサム達だったが、それを無視するようにその横を通り過ぎていく。
「なっ!? 何だ? こいつら俺らを狙って来た訳じゃないのか?」
「油断しないで下さい! まだ来ます!」
数匹が横を抜けていく中で最後尾の一匹がディアナの直線状に居た為、勢いを殺す事無く彼女を飛び越えようとする。
『ジャマダ! ドケ!』
「ひっ!」
軽く頭を飛び越え様としたバーゲストだったが、驚いたディアナが頭を隠す様に上に持ち上げた風呂桶がその黒い足に触れる。
『ギャィィィッィイ』
すると飛び越えたその魔物は着地した瞬間に地面に崩れ落ち、断末魔を上げ苦しみながら闇の霧へと変わり消えていく。頭を風呂桶で守っていたディアナは、尻餅をついたまま動けずにイサムの顔を見上げる。
「イサム様…? 今…何かされましたか?」
「いや…何もしてないぞ…? ディアナこそ何もしてないのか?」
「はい…頭を蹴られそうだったので、これで守っておりました。でも良かったです、もし上に持ち上げなければ頭を踏み潰されていました」
ディアナは借りた風呂桶を見せながら困惑しながら微笑む。だが、仲間が殺されたと気が付いた三匹程が引き返してくる。
「気をつけて! 奴らが引き返してくる!」
「無視したり戻ってきたり大変だなあいつ等も」
「どっどうしますか!? イサム様!」
両手で風呂桶を持ったままイサムの後ろへ隠れるディアナと、剣を構えて迎え撃とうとするネルタク。イサムはネルタクに指示を出す。
「まずは俺が前に出るから、噛み付いて来た奴らを攻撃してくれ。間違って俺に剣が当たっても問題ない」
「ふふ、間違って斬り付ける事なんて万が一も無いです。あいつ等だけを確実に仕留めますのでご安心を」
「…俺もそんなセリフ言ってみたい」
苦笑いを見せるイサム目掛けてバーゲスト達が一斉に飛び掛る。頭、脇腹、腕に鋭い牙が殺意と共に食い込む。イサムは平然と噛み付かれたままの状態でその場に立ち尽くしている、そこをネルタクその喉元目掛けて突きを繰り出した。
「やぁ!」
『グフフゥゥゥゥ』
ネルタクがイサムから借りた武器エクレアが、腕に噛み付いている一匹の喉を貫く。だが、噛み付いたままのバーゲスト達が邪悪な笑みを浮かべている。
「ちっ! やっぱりイサムさんの魔法が付加されていない状態じゃぁ闇の魔物を瞬殺するまで行かないか!? イサムさん先に謝ります! 背中の返してもらいますね!」
「ん? 謝るってのは?」
正面から頭を噛み付かれたイサムは、鼻頭まで咥えられており何が起こっているか見えない。
「すみません!」
ネルタクは謝りながらイサムが背負っているアイスブランドの柄を握ると、自身の体を回転させ遠心力を加える。振り回されそうになりながら、イサムの腕に噛み付いている一匹の首目掛けて叩き込むと、イサムの腕に強い衝撃が伝わり、噛み付いていたバーゲストの頭がずり落ちていく。だがその一振りが限界で、そのまま地面に剣を落としてしまう。
「くううう…重い…」
「おいおい、さっき斬らないって言ってなかったか?」
「さっさっきの言葉は建前です! あと二体、早く何とかして下さい! 今、手が痺れて剣が持てません!」
「そんな事言うが、俺も身動き取れないだろ!?」
残り二体とネルタクは簡単に言うが、正面から大型の魔物に頭を噛まれている上に脇腹の奴も噛み付いたまま離そうとしない。必死に魔物を引き剥がそうともがいているイサムの後ろに居たディアナも、口を開かせようと風呂桶でバーゲストを叩き始めた。
「このっ早く離れろ!」
軽い間の抜けた音が周囲に響くと脇腹を噛み付いていたバーゲストが、突如苦しみだしボロボロと崩れだした。
「え!? イサム様…魔物が消えて行きます…!」
「ディアナ! イサムさんの頭の奴もそれで叩くんだ!」
腕を押さえながらネルタクは、先程ディアナの頭を飛び越えたバーゲストが何故崩れ落ちたのか理解した。イサムが初めから所有している風呂桶は、恐らく浄化の魔法が常時付加されている装備品なのだろうと。
「その桶は浄化の魔法が付加されているはず! この魔法が使えない場所でも十分に発揮出来るほどに! 早く魔物を叩くんだ!」
「はっはい!」
言われるがままにディアナはイサムの頭に未だ噛み付いているバーゲストを叩く。ポコンと言う音と共に目を見開いた魔物は苦しみながら塵になっていく。
「大丈夫ですかイサム様!?」
「ああ、助かったよ。それにしても風呂桶がとんでもない効果を発揮したんだな」
「そうですよ! これならまた敵が来ても戦えますね!」
イサムはディアナからハンカチを借り、魔物の涎痕を拭きながらまじまじと風呂桶を見つめている。
「じゃぁディアナ、次ぎはその桶を僕に貸してよ」
「え? 何でですか!? ネルタクさんにはイサム様の剣があるじゃないですか!」
「この剣はイサムさんが蘇生魔法を付加してない以上、強度のある普通の剣と変わらないんだよ。武器を使った戦闘に関しては僕の方が得意なんだから、次に敵が来た時に直ぐ対応出来る為だよ」
イサムの剣エクレアを片手で持ちながら、もう片方の手はディアナの持つ風呂桶の方へ渡して欲しいとジェスチャーしている。
「だっ駄目ですよ! これは私がイサム様からお預かりしている物です! そうですよねイサム様?」
ネルタクが落としたアイスブランドを拾い、背中へ回した所へディアナが駆け寄ってくる。
「敵が現れたら、ネルタクが先制して動きを止めた所をディアナが桶で止めを刺したら良いんじゃないか?」
「そうですか…イサム様がそう言うのなら仕方が無いですね…」
「そうですよ、私も戦えます!」
鼻息荒く胸に風呂桶を抱きしめると、ディアナは歩き出したイサムの後ろを悠々とついて行く。ネルタクもやれやれといった感じで置いて行かれない様に足早に進み始めた。そして暫く進んだ所でまた一行の足が止まる。
「またスライムか…大きさは入り口のより小さいが、何か違う…よな? 透明すぎるし中にある玉みたいなの何だ?」
「あれはスライムの核ですね、あそこを破壊すれば奴らは倒せます。入り口に居た奴等は核と消化物が混ざっていたので分かり辛かったです」
「それにしては、入り口に居た奴らに比べたらかなり透明過ぎない? 核が鮮明に見えるし」
スライムが体を形成する為に必要な情報が核の中には詰まっており、その核で思考し行動を起こし相手を捕食する。
「嫌な予感がします」
「おいおい…そんな事言うなよディアナ…」
「来ます!」
ゆっくりと動き出した透明なスライムは、イサム達の方向へ体をうねらせ楕円状になると更にその先端と思われる部分から液体が噴き出す。ただそれはイサム達まで届くほどに勢いは無く、自身の体の直ぐ傍に落ちた。そしてその落ちた場所から何かが溶けた様な匂いと、熱した鉄板に水を落とした時に蒸発する様な音が響きわたる。そしてネルタクが叫ぶ。
「酸です! あいつは強酸を保有しているスライムです!」
その声に反応するかの如く、今までのんびりと動いていたスライムの体が急激に大きくなったり小さくなったりと忙しなく動き出した。激しい動きはまるでエネルギーを蓄える様に拡大と縮小を繰り返し、やがて一気に小さくなったと思った瞬間に爆発しイサム達へ襲い掛かる。
「早い! 避けきれないぞ!」
イサム後ろを向き、背負っている大剣をスライムへと向ける。そして近くに居たディアナを引き寄せると庇う形で覆いかぶさる。スライムはそのまま押し寄せる波を思わせる程に荒々しくイサム達を飲み込み通り過ぎる。
「何だこのスライム! 大丈夫か? ディア…ナ!?」
通り過ぎただけだと思っていたイサムだったが、引き寄せ庇ったと思っていたディアナは丁度胸に抱えていた風呂桶部分だけ溶かされず、下半身は既にそこには無かった。そして声を上げる暇も無く絶命しており、徐々に光の粒へと変わるとコアの中へと戻って行く。
「くそっ! ネルタク! ディアナがやられた!」
そう伝えようと周囲を探すが彼女の姿も見当たらず、スライムの中に光る核以外の丸い物体を見つける。
「ネルタクもか!? こいつ…!」
ウネウネと体を動かしながら、一撃目で溶ける事がなかったイサムに対して疑う事も無く、再度体を拡大縮小させて飛び掛る準備を始めた。
「かかって来いよ、直接お前の核をぶん殴ってやる」
ディアナが持っていた風呂桶を拾い上げ埃を掃う。そして風呂桶を前に突き出し構えると、視界に突如敵の名前から現在地等が表示され始めネルタクとディアナのコアがイサムの中へと戻ってきた。
「魔法が使えるようになったのか! あいつ等、待たせやがって!」
イサムがぼやいた瞬間にスライムが最後の収縮を終え、一気に飛び掛って来た。