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屋根から屋根へと飛び移る一つの大きな白い陰、蜘蛛の姿に戻ったタチュラは一定の距離を保ちつつスライム達をゆっくりと誘き寄せていた。
「ふむ…スライム達はご主人様達に気が付いてないようですわね。あとは、あの子がさっさと上の敵を倒し
てくれれば良いのですが…」
上を見上げると、国を覆う紫の膜を外側を勢い良く駆け上るエリュオンの姿が薄っすらと見える。そして、自慢の大剣を豪快に振り回している様子が確認出来るので敵と交戦中なのは間違いないだろう。
「あら? 精霊と共闘なんて珍しいですわね」
相反する属性の一人と一体が一緒にいる事に少しだけ不安だが、その気持ちを抑えつつ今は自分の役割をこなそうと、再びスライム達を誘き寄せる事に集中し始める。
「多分大丈夫でしょう…それよりも今はご主人様にこいつらを近づけさせない事に集中しましょう」
そうとも知らずエリュオン達は、次々と現れる小さな魔物達をまるで鬱憤を晴らすかの様に薙ぎ倒していた。
「どぉりゃぁぁぁぁ!」
激しく燃え上がる炎は空を切り裂きながら彼方へと消えていく。膜の外側なら敵も気がつかないと簡単に考えていたが甘かった。中心に近付くと、サッカーボール位の鋭い牙を持つクラゲに良く似た生き物が、次々と空間から湧き始めて容赦無く襲い掛かってくる。
「ちっ! まぁ簡単には真上まで上らせてはくれないわよね!」
『そうですが…突如敵が現れたと言う事は、何かしらあるという事。貴方の勘も強ち間違いではないと期待しましょう』
「ふん! 相変わらず嫌味な言い方するわね!」
不必要な場所に不必要な数の敵が現れるはずが無い、ニヤリと口角を上げたエリュオンは、牙を剥き出し襲い掛かる魔物に大剣を振り下ろす。切先に触れるだけでそのゼリー状の体は燃え上がり、抵抗も出来ずにそのまま蒸発していく。
「でもホントに雑魚ばかりね? 物足りないわ」
『そう思う? ならアイツはどうかしら? 私が見る限り、こいつ等よりは相手になるんじゃない?』
ユキが軽く指差す方向に、小柄な何かが奇妙な踊りを赤黒く丸い球体の上で踊っている居る。古めかしいローブを纏っており、体を覆うには大きすぎる為に顔などは良く見えない。人なのか魔物なのかは特定できないが、その袖から見える細い腕を球体の中へ徐に入れると、赤い液体が滴る何かを取り出し一度振るえば次々と魔物達が何も無い空間より次々と湧き出している。襲い掛かる魔物を呼び出しているのはどうやらこのローブで間違い無い様だ。
「なにアイツ? 魔物を呼ぶ能力があるの?」
『あら珍しい、良く見ると【ゴブリンサモナー】じゃない? この大陸にはもう居ないと思っていたけど…? しかも相当長く生きてる奴』
ローブから見える黄色の手はしわしわで、折れそうなほどにか細い。だがその踊る様な動きは、長く生きていると言うユキの言葉に疑問符が浮かぶ程に軽やかだ。
「へぇ…サモナー…? なるほど、あの赤い液体を触媒にしてこの雑魚達を召喚してるのね。ならアイツを倒せば雑魚は消えるってので間違いなさそうね!」
傍によってくるクラゲを、片手で持った大剣で軽く薙ぎ払うと数回体を軽く動かしてウォーミングアップをする。そして軽く息を吐き出すと空を蹴り、一直線にゴブリンサモナーへ駆けて行く。
『少し待ちなさい』
「遅い! アンタには譲らないわよ!」
ユキの制止を振り、いつもの様に大剣を軽々振り回し薙ぎ払う様に繰り出した斬撃が、一直線にゴブリンサモナー目掛けて飛んでいく。炎を纏った風の刃は、召喚された魔物達を次々に火だるまに変えながらその主へと到達する、だがその瞬間にまるで何かに弾かれたように四方へ散開し消えていく。エリュオンは即座に気がつき、追撃せずにユキの居る場所へと戻る。
「弾かれた?」
『…本当にいつも考え無しに攻撃するのね…いい? 何でも力で押し切れると思わない事。これだから火の眷属は困る…』
「なっ! アンタねぇ! いくらイフリト様と同等の力があったとしても言って良い事と悪い事があるわ!」
魔素の力で大きく勝るユキにも臆する事無く向っていくエリュオンに対して、精霊ユキは感情を面に出す事無く軽くあしらう様に彼女の剣に触れる。すると赤々と燃えていたフレイムタンが一瞬で凍りつき、只でさえ大きな剣が、氷を纏い更に大きくなる。
『同等ねぇ…』
「ちょっと何するのよ!」
『だったらその精霊に恥じない力を示しなさいな』
「ぐっ!?」
凍らされた大剣が一瞬にして氷を溶かし、炎がその隙間から溢れ出した。それをワザとらしく、さも熱そうに手を軽く振りながら少しだけ距離を取るユキに対して、激しい怒りとある感情が込み上げてくる。
「お望みならば見せてやる! それで溶けても知らないわよ!」
『あらあら、怒ると可愛らしい顔が見る影も無い。私は手を出さないから、さっさと倒して主様の下へ戻りましょう』
一方的に言われたエリュオンは、精霊ユキに腹を立てる素ぶりを見せるが、実際は嬉しかった。自身が力を借りる同様の存在と共闘し、噂では氷の様に冷たく人を殺す事に躊躇などしない性格と言われていた精霊が、イサムを主人とした事でまるで武の先生の様に、冷たいがそれでも守られている感じがしていた。
「言われなくてもさっさとあんな奴倒して下へ向うわよ!」
そのやり取りを見ながら、機嫌よく踊っているのを邪魔されたゴブリンサモナーは、動きを止めゆっくりと顔をエリュオン達に向けて掠れた声を発する。
『ゲギャギャギャ! なァんじゃ? ワァシの邪魔をするのォわ?』
耳障りな声が周囲に響き渡り、攻撃を仕掛けた当人を指差し嘲笑いながら再び踊りだす。手に持つ赤い塊を撒き散らしながら、目の前に表れた者達を睨む。
『ふむふむぅ…そなたらこの国の者では無さそうじゃなぁん。ワァシの愉しみを邪魔したんじゃぁどんな殺され方を願う?』
「気色悪い奴ね。今すぐ殺してあげるから待ってなさい」
雰囲気が変わった彼女に気がついたユキは、腕を組み戦闘の邪魔にならないように後ろにゆっくりと下がる。そしてサモナーから距離を取ったエリュオンは、数回剣を振ると剣を上空へ掲げる。
「集え火の眷属! 我が舞に応え力を示せ!」
そう言うと突如エリュオンは切先を継ぎは地に向けると、柄の上に立つ。宙に浮くフレイムタンの上で華麗に踊りだした。その腕を振るえばその先に小さな火の粉が、その足を伸ばせば纏わる様に小さな火の精霊
達が現れ始める。その姿は様々で、丸や四角、菱形や紐の様な者達まで居りエリュオンと一緒に舞を踊り始めた。
『ひょひょっ! お前も精霊使いかぁ!』
「お前も!? アンタみたいなのと一緒にしないで欲しいわ! 行きなさいサラマンの子等! 燃やし尽くしなさい!」
エリュオンの掛け声と共に彼女の体の回りを漂っていた小さな火の塊達は、ゴブリンサモナー目掛けて飛び出していく。サモナーはそれを赤黒い玉の上に乗りながら、特に驚く様子も無く寧ろ嬉しそうに回避していく。
『おおぅ熱い熱い。こりゃぁたまらんワィ! 火消しせねばナァ』
そう言いながらも軽々と火の精霊を避けては、エリュオンを挑発するように細く小さな手で手招きする。
「こんのぉ!」
『ひょひょひょ! 来い来い! 小娘ぇお前の火は全く当たらんノォ!』
舞を踊るエリュオンは逆立ちすると同時に剣の柄を握ると、宙を蹴りサモナーへと飛び掛る。
『止めなさいエリュオン! ただの挑発だ! 乗るな!』
「燃えろぉぉぉぉ!」
手を伸ばすユキは、エリュオンを掴みきれずに突撃を許してしまう。振りかぶったフレイムタンを渾身でサモナーへ振り下ろす。ただそのフードの下では、直接攻撃を待っていたとばかりに笑みが溢れ出す。
『ひょひょっ…ばぁかめぇ』
ボソッと聞こえるか聞こえないかの声を発したゴブリンサモナーは、腕を軽く振りあげる。それに気がつき距離を取る事は出来た、ただ避ける事は出来なかった。大剣を持っていた腕は肩下からスッパリと斬られ、腕はそのまま下へと落ちていく。
「あ゛あ゛あ゛っ!」
斬られた腕から激痛が走る、だが大量に血が噴き出すはずの肩に違和感を感じ目をやる。その肩口は凍りつき血が噴き出すのを塞いでいた。
『だから止めなさいと言ったでしょう、貴方は血の気が多すぎる。少しは頭も冷やしなさい』
「…ぐぅ…ゆっユキ…ごめん…!」
エリュオンの頭の上にはコユキがクルクルと回りながら小さな雪を降らせている。
『ただ…貴方の腕を斬った技…見覚えがある…どうやら私もアイツに用事が出来たな』
『ひょっ! 次ぎはお前か精霊ぃ!』
殺し損ねたエリュオンに追撃しようとしていたのだろう、腕を振り上げまではしたがユキの只ならぬ雰囲気にその腕を下ろす事を躊躇しているようだった。
『正解だよ、ゴブリンサマナー。その技は私には通用しない、寧ろその瞬間お前の腕がなくなるだろうがね』
『なんジャと? たかが精霊の分際でぇ偉そうに! ワァシの力はこんなもんじゃないワィ!』
『たかが…?』
周囲の温度が少し下がったのをエリュオンは感じる。だがサマナーはそれに動じず、目の前の生意気な精霊をどう倒すか考えていた。
『教えなさい、貴様のその水の技は【セイレン】のものだ…それをどうやって会得した?』
『おおぅおおぅ! やはりセイレンを知っていると思ったワィ。だぁがお前もワァシの力に跪き、生意気な事を言ってゴメンナサイと謝るじゃろぅ』
『教えろと言っているのが聞こえなかったか? たかがゴブリン風情がその臭い口を開くのを許してやってるんだ。次に口を開く時、答えないならば死ね』
ユキの冷たい視線はそれだけで凍る程に恐ろしい、エリュオンは身震いし吐く息が徐々に白み掛かっているのに気がつく。
『ぎゃひひ! 死ぬのはお前じゃよ! セイレンの力を食らえ! お前の力もワァシが貰ってやろう!』
振り上げた両腕を振り下ろし、水の刃をユキ目掛けて放つ。その瞬間に水の刃は凍りつき、繰り出したその両腕までも動かなくなる。そして辺り一面がホワイトアウトと呼ばれる現象に見舞われる。
『ぎゃひっ! ワァシの腕がァァァ!』
「えっ!? 何も見えない! ユキ! 何処!?」
その声に答える様にエリュオンの傍から声が聞こえる。
『貴方に精霊の力をどう使うか教えたかったのだけれど、それは次の機会にしましょう。アイツは私の本気で殺す事にする』
「え? まってユキ! カハッい…息が……!」
ユキの言葉が終わるとその瞬間、空気までも凍りつき息が出来なくなる。そして今まで真っ白だった周囲が、徐々に先程までと変わらない風景へと戻っていく。
『ぎひっ!? なっなっ何じゃァァ!』
ゴブリンサモナーは、凍った腕をあげながらその驚きは遥か空を見ている。その目線の先をエリュオンも追うと、有り得ないものが目の前に広がっていた。
「え! 何なのあれ! 何なのユキ! それをどうするのよ!」
見上げたその先に映るのは巨大な氷の塊、しかもそれが無数に浮かんでいる。一つ一つが山の様に大きくそれをその後どうするのか容易に想像出来た。
「やめてユキ! 下にイサム達が居るのよ!」
『主様ならこの程度、避けるまでもない! それよりも私と妹を侮辱したこいつを殺す事が最優先!』
『ぎぃっ! 妹! セイレンが妹! まっまさかァ! この氷…まさかァ精霊ジヴァ!? 何でこんな場所にィィィィィィ!』
踵を返すように振り返り逃げ出そうとするゴブリンサモナーだが、それを許すはずも無くユキは巨大な氷塊を落とす。
『後悔して死ね! 【アイスメテオ】!』
降り注ぐ氷塊は見渡すだけでも十や二十では無い。その透き通る氷の塊の速度は速く、ゴブリンサモナーが回避する事は困難だろう。そしてエリュオンも逃げる事をやめてその場に立ち尽くしていた。
「イサム…」
そしてそんな状況になっていると知るはずも無いイサム達は、空からやがてやって来る脅威に気がつく事も無く、水の城を目指して進んでいた。