番外編 レイモンドの陰と新たなる陰謀 その参
黒い階段を下りたノルは直ぐに異変に気が付いた、先程彼女が見た光景と打って変わって異質な空間へと成り変っていたのだ。地面は湿り周囲は酷くかび臭い、肉体を得たノルにとっては深い極まりない場所へと変貌しそしてその奥からなにやら近付いてくる足音が聞こえる。
「ふぅ…どうやらこの施設全てを改装しているようですね。先程見た光景が偽りだった訳ですか…」
「ノル様、先程階段を下りる際に紋章を見ました。ここはまさかレイモンドの地下施設ですか?」
「そうです…と言いたい所ですが分かりません。違うかもしれないですし…」
「ふん、どうせ先に進まなきゃいけないんだろ? 何処だって良いじゃねーか、さっさと済まして帰るぞ」
薄暗い通路の奥から複数の足音と共に現れたのは、当時レイモンド王国で働いていた従者達だった。
「そんな! …似せて造られたのは私とメルだけだと思っていました…まさかあなた達まで摸されているなんて…!」
『シンニュウシャ ヲ ハイジョシマス』
「くっ! どうして!? 何故あなた達まで!」
「おい、どうするんだ?」
『シンニュウシャ ヲ ハイジョシマス』
「ノル様の指示待ちだ、勝手な行動を起こすなよ」
動揺を隠し切れないノルの前に、レイモンド城で働いていた大勢の人達の姿を纏った人形達があの時のままで、あの時の様に襲い掛かってくる。
「やめて! 再びあなた方に刃を向けるなんて私には出来ない! あの日の後悔を再び味わうなんて、今の私には出来ない!」
声を上げ膝を付き自身の肩を抱くノルは、小刻みに震え涙を流す。それを見かねたギラムが爪を出し、飛び掛ろうと体を少し屈ませた。
「偽者なんだろ? 早く殺しちまおうぜ」
「駄目!」
「襲ってくるのは向こうだろうが! さっさと片付けるぞ!」
「駄目だって言ってるでしょ!」
飛び出す瞬間、咄嗟にノルはギラムに掴み掛かるとそのまま壁へと押し付ける。その衝撃に大きく壁は陥没し破片が周囲に飛び散る。
「ぐはっ! おい! 何すんだよ!」
「落ち着いて下さいノル様! あれは偽者で御座います!」
「でも駄目っ!」
「てめぇ! 黙って従ってりゃいい気になりやがって!」
先程と同様にギラムの体から青白い雷が周囲に激しく噴き出す。そしてそれは近寄ってくる従者へと直撃し青い炎の塊へと変わる。
「あ”あ” 何て事を! あなたは何て事をするのですか!」
従者は炎の中で悶える様に暴れる。それを目の当たりにしたノルは、更にギラムを壁へと押し込み、そのままくの字に曲がりながら壁にめり込んでいく。それでも襲い掛かってくる従者達だったが、突然透明な壁に阻まれてノル達の傍へと近づく事が出来なくなる。
「ったく自業自得よギラム……ノル様お気を確かにお持ち下さい。あれは模しているだけです、死んだ人は海へと還り生き返る事はありません。貴方の知る一人の青年の能力以外では無理なのです」
「でっですが! あの者達は本当は生きていたのかもしれない! 生きてこの場所に逃げ込んだのかも!」
ソフラは障壁を展開して彼らを近づけさせない様にすると、ギラムを押し込んでいるノルの手を取りしっかりと両手で握る。
「いいえノル様、彼らは作られた人形。私達と同じで御座います。それにノル様には既に新しい仲間や家族が居るはずです、それをこの様な場所で捨てるのですか? あの者達が誰であれ、ここは過去の遺産だと仰っていたではないですか? それを消去する為に私達を呼んだのでしょう?」
「…ソフラ…」
ソフラはそっとノルの涙を指で拭うと、優しく抱きついた。ノルもようやく落ち着きを取り戻した様に深く深呼吸をするとソフラの頭を撫でた。
「ごめんなさい…そうですよね…何故でしょうか…自分でも分からない程に動揺してしまったようです。もう大丈夫、ありがとうソフラ」
「えへへ、ノル様のお力になれるのであればお安い御用です。では、あの偽者達を倒して進みましょう」
「ええ、そうね」
障壁をソフラが解除しようとした時に声が聞こえてくる。
「お前らぁぁぁ! いい加減にしろよ…俺様を! 俺様を馬鹿にしやがって!」
激しい轟音と共に壁が崩れ落ち、そして全身が青白く輝くギラムがそこに立っていた。【雷獣】と呼ばれる獣人【ギ・ラム・ウボルト】は、遥か大昔に存在していた雷の精霊【カプニス】の子孫である。人身御供として捧げられた獣人の女性を愛してしまったカプニスは、精霊の力を失う代わりに人に近しい存在へと堕ち、その女性との間に子供を授かった。後にある国の王となり数世代続く都市国家を創り上げた。しかし、ある日忽然とその国は大陸から姿を消す。その原因を知る者はこの世界には既に居ない、唯一人の雷獣を残して。
「国が無くなったからなんだ! 今がありゃぁそれで良いじゃねーか! お前には今よりも過去にしか大事なもんがねぇのかよ!」
「ちょっと待てギラム! 障壁をまだ解除していない!」
「知るかそんなもん!」
全身の青白い光が彼の両手へと集まっていく、ある一定まで集まるとギラムが両手を大きく広げ振りぬいた。その爪から生み出された雷は、目の前の障壁に当たり四方に飛び散り通路の壁を抉り始めた。だがそれで雷が消える事はなく障壁の展開されていない外側から従者を模した人形達に襲い掛かる。それと同時にノルとソフラの居る場所の壁にも亀裂が入り始めた。
「あの馬鹿が! 施設ごと壊す気かよ!」
ソフラはそれ防ぐ為の新たな障壁を作ろうとするが、それをノルが止めた。
「大丈夫です。おそらく本来の壁が現れるはずです」
ノルの言う通り、崩れた壁の中から黒く光り輝く分厚く強度な壁が現れる。そしてその場所から更に下へと続く階段が同時に視界に入る。
「ノル様、この施設は何階層あるのですか?」
「二十階層です。ですがあくまで王家が有事の際の避難施設として作ったものですので、そこまで広くはありません…」
その階段を下りながらギラムがノルに冷たく言葉を放つ。
「国の大きさに比例しない小さな施設だな。王の血筋だけ生き残れば良いって訳か?」
「そうでしょうね…」
「はっ! 否定しねぇのかよ」
「当時の私…いえ、私もメルも光の国と言うものに胡坐をかいていたのです。その傲慢があの悲劇を招いた…光だけの世界など有り得ないのですから…」
そんな話をしながら戦闘も無く十層まで辿り着く、すると何処からとも無く声が聞こえてくる。
『おやおや…泣き虫なノルファン殿下は、随分と血の気の多いお仲間を連れて来た様だね』
「くっルゼン! 何処ですか! 出て来なさい!」
『まぁまぁまぁまぁ落ち着きたまえよ。四千年ぶりの再会なんだ、じっくり愉しませて貰わないと』
耳を動かしその声のする方向を探すギラムが、通路奥に勢いよく雷撃を放つ。
「黙れ! テメェの喉元を食い千切ってやるからさっさと出て来やがれ!」
『はっはっはっ! 面白い能力を持っているな。雷を操る能力か…見たのは初めてだが、確かに興味深い! 私の人形達が苦手とする属性だな!』
「そりゃ残念だ。だが降参して許してやるほど俺様はお人好しじゃない…が、跪いて俺様が腰掛ける椅子になるなら、まぁ許してやろうか」
そう言うギラムを馬鹿にする様に笑う声が通路に響く。
『はっはっはー! それは怖いな、さすがは七十層の主だ』
「なに? 俺様を知っているようだな」
『もちろんさ! いやそれだけじゃないぞ、階層主以外にも解体したら面白そうな奴等は全て調査済みだ! もちろんもう一人も…ん? こいつは…誰だ? まぁ私が知らないなら、大した奴じゃ無さそうだな』
その言葉にソフラは苛立ちをあらわにする。
「何だとコラ! ぶち殺してやるから出て来い!」
『はっはっは! 野蛮な女だな。姿を見せたいがその場所に私は居ないのでね』
通路置くの暗闇から人形達がモゾモゾと現れ始める、その中にはまだ人の形を成していない者まで見える。
『それに君らの事は良く知っているよ、何せ同じ場所に二千年も居たんだからな』
「それは聞き捨てなら無いですね、迷宮の中で行動出来たとしても九十層で殲滅しているはずです!」
ノルの言葉を聞き、ルゼンは先程より高らかに笑いだした。
『ふぁーっはっはっはー! 本当におめでたい奴らだ! いやいや、自身の主が使う魔法は絶対だと思うのは当たり前の事だな! 確かに九十層のアインバードは強いがね、それにしては…ぷぷっくっくっ!』
「何が可笑しいのです! ロロ様が使う光魔法からただ逃げ延びただけの魔物の分際で!」
『ぷぷっ! だから馬鹿だと言うんだ! 光魔法? そんなに凄いのかその魔法は? レイモンド王国で魔物と化した者達を救いもせず消滅させただけのくだらない魔法じゃないか!』
「だまれ! 闇に堕ちたお前の言葉など戯言に過ぎない!」
姿は見えないが声は聞こえる。現れた人形達も、ノル達を襲う事無くその場所で左右に揺れているのは、ルゼンの指示を待っているのであろう。
『戯言ねぇ…光があれば必ず闇は生まれる。この場所を見れば分かるだろう? 王族さえ生き残れば良いと作った施設が闇に利用され、光、光とあたかも自分達が正しいと主張し実際は自身の持つ闇に気が付く事も無い。やめて欲しいものだ! 私は闇に協力したのは、勘違いしている君達に真実を見せてやりたかったんだよ!』
「真実ですって!?」
『ははははは! なら十五層まで来たら面白い話をしてやろう!』
ルゼンの笑い声は通路に響きながら徐々に小さくなっていく。
「ギラム、あんたの耳で何処から話していたか分かっらなかった?」
「いや、四方から声が聞こえたな。まぁ下りて来いって言ってるんだ、先に進めばいいだろ」
腕を振るい左右に揺れている人形達を一蹴する、苛立ちが募っているのか青白い炎の勢いが強くなってきている。
「ノル様、こいつが施設を壊してしまう前にあの声の主を倒しましょう」
「…ええ、行きましょう…」
明らかに先程のルゼンの言葉は、ノルの動揺を誘い隙を作ろうとしているのだろう。そう考えているソフラだったが、ノル自身は過去の記憶を必死に思い出していた。あの時の闇の襲来が意図的に起こされたものなら必ず予兆があった筈なのに、ノイズが死んだ事により終わったものとしてそれ以上考える事は無かった。だがルゼンが現れた事によりノルは、ノイズが主犯では無かったと疑い始めていた。
十層の階段を下り始め、襲ってくる者も居ないまま十五層に到着する。
「ったくやる気あんのかよ! 全然戦ってねーぞ!」
苛立ちのあまり壁を強く蹴るギラム、ガンと言う強い音が通路に響き渡るとまた声が聞こえてくる。
『はっはっは! 七十層の主には物足りないと思うが我慢して欲しいな、もとより来客を想定していなかったものでね』
「ちっ! もてなしが無さ過ぎるぞクソがっ!」
「黙れギラム、ノル様のお気持ちを考えろ!」
「それよりもルゼン! 貴方はノイズの事を知っていたのですか!」
ノルの問いにルゼンは含み笑いを抑えられずに噴き出してしまう。
『ぷっぅぅぅぅっ! わはははは! そうそうあの女は死んだんだったな! そして今は本体のマノイと共に暮らしているんだったっけ? ぷっぷぷぷ!』
「何が可笑しいのです!」
『何も疑問を持っていないようだから教えてやるが、あの闇の塊のような女を体に保有してた女だぞマノイは! そんな女がまともだと思うのか?』
「まさか!? そんな筈は無いです! もしそうならロロ様が見逃すはずが無い!」
『それは私の知る所ではないよ、それよりも約束通り面白い話をしてやろう。ここまで倒してきた人形の中には見た事がある奴無い奴が沢山居たんじゃないか?』
可笑しな問い掛けだが、実際に見た事がない者も居た為に素直に答える。
「そうですね! だったらなんですか!」
『まぁまぁ落ち着きたまえ、だがこの施設に居る人形達は全て元レイモンド城で働いていた者達を模しているんだよ』
「だからそれがどうしたんですか! 顔を見る事無く辞められる方も居たでしょうし全員を知っている訳ではありません!」
その言葉を遮るようにルゼンは耳を疑う言葉を吐き出す。
『…べた…食べたんですよ…貴方達がね』
「何を馬鹿な事を! 直ぐに分かるような嘘を言わないで!」
拳を横に突き出し思いっきり壁を叩く、その衝撃により壁は大きく陥没し、ほんの少しだけ施設全体が揺れた気がした。
『ふふふ、わざわざ嘘をついてどうする、殿下を動揺させる為に考えた事だと思うのか? それこそ馬鹿馬鹿しい。当時の給仕長はノイズ、いやマノイと恋仲だったのを知っていたか? まぁ彼だけじゃないが…城内の色んな男性と関係を持っていたあの女は、気に食わない使用人達を殺しては肉塊に変え、王宮内の食卓…つまりは王族の食事に出していたんだ。まぁ普通なら気が付くだろうがあんた等は光り輝いていたからな、その自身の光に隠れた闇など見えるはずが無い!』
「嘘よ! そんな事ある訳が無い!」
『ははははは! だったらマノイに聞けばいい! まぁ、そうですとは言わないだろうがね! ははははは!』
ルゼンの話が事実であるのか嘘であるのかは分からない、たとえそれが事実であってもどうする事も出来ない。傍で聞いているソフラも不快な表情を浮かべているが、口火を切ったのはギラムだった。
「それがなんだ! さっきからグチグチと見えない場所から話しやがって! 俺様の楽しみを奪って呼び寄せた代償は高くつくと思え!」
ギラムはそう言い放つと、腰を落とし両拳を握り締めると力を溜め始める。全身が青白く輝きだしそれが腰に回している拳に集まっていく、その技に気が付いたソフラはノルの腕を掴むとギラムとは別の方向に走り出した。
「どっどうしたのソフラ!」
「ノル様! あの馬鹿のあの技をご存知無いのですか!? 以前に大迷宮で放ってロロ様に死ぬほど怒られたんです! よりにも寄ってこんな狭い場所で使うつもりなんて!」
「知らないわ! ロロ様に迷宮外にお使いを頼まれる事が多いし、各階層のオートマトン管理はルルルの仕事でしょ!」
「とにかく離れましょう! いま既に五枚の障壁を張りましたがこれで足りるかどうか! ノル様も協力をお願い致します!」
駆けながらソフラは振り返らずに手を叩いては広げを繰り返している。その焦り方が尋常では無いと気が付いたノルも、障壁を干渉させずに展開していく。
「あなたの障壁の邪魔になりそう」
「良いんです! 重なっても相殺されないように展開しています!」
必死なソフラに対してその技の規模が分からないノルは、既に展開されている魔法障壁の間に薄い障壁を挟む程度しか出来なかった。
その障壁の向こう側から眩い光がより強く輝きだす、力を集めきったギラムが技を放とうとしていた。
「ガハハハ! 我が祖カプニスの雷に敵う者この世界におらず! 【天地雷霆】!」
片方の拳は下へもう片方の拳は上へ突き出されると、凄まじい轟音と光りと放ちその輝きの中にギラムの姿は消えていった。ソフラが必死に展開していた障壁は意味も無く破壊され、逃げるノルとソフラへ襲い掛かろうとしている。
「マザー! 私達を一旦中に入れなさい!」
ノルの後ろからフワフワと付いて来ている武器クリオネに急いで指示を出す。クリオネマザーは即座に頭部分を開放し、その中から現れる触手でノルとソフラを巻きつけると勢い良く自分の中へと引き込んだ。
それから暫く時間が経過し、大きなダメージを受けたものの機能は停止していないクリオネマザーは、周囲の安全を確認し二人を吐き出した。
「こっこれって…」
「あの馬鹿が…! ノル様…あいつを呼び寄せたのは最善では無く最悪だった様です」
立ちこめる焦げた匂いと共に目の前に広がる巨大な穴が、天を貫き地上にまで達して空が見えている。そして地面も同様に口を広げ下層へ下りるのが容易く出来そうだった。そしてその穴の中心からこちらに歩いてくる者が居た。
「あぁースッキリしたぜ…後はお前らに任せる」
首を左右に揺らして骨を鳴らすと壁に寄りかかり深々と座るが、その瞬間にギラムの顔は壁にめり込んだ。
「スッキリしたじゃねぇよ! オレらまで殺すつもりか!」
ソフラは思いっきり蹴り込んだ。顔だけ壁にめり込むギラムだが、先程の技を使った事により自分の魔素を全て使い果たしたのかピクリとも動かない。
「行きましょうノル様、とりあえずは一番下の階層まで一気に行けそうですね」
「…ええ」
未だ動く気配の無いギラムを無視して巨大な穴を見下ろすと、躊躇う事無くノルとソフラは飛び降りた。