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バレンルーガ城を目印に歩みを進めたイサム達だったが、ガルスとバレンルーガの間を仕切るように流れる大きな河の前で立ち止まっていた。
「河を渡る前にあれを何とかした方が良いな…」
「あれも敵ですか?」
「ああ、間違い無くそうだろうな。ただ向こうから仕掛けて来る様子は無い…か…」
イサム達が見つめる河の中央には巨大な水の球体が水面から少しだけ浮かんでいる。マップには球体の場所に大きく敵の表示が現れているが、いきなり襲い掛かってくる事はなくフワフワと宙に浮いているだけだった。ただ、その球体を見た時からミニユキだけがイサムの頭の後ろに隠れて怯えている。
「さて…こちらからどうやって仕掛けるかな…」
思案していると、そこへ先ほどエリュオンと手合わせしたミウ族の隊長が駆け寄って来た。
「ちょっちょっと待ってくれ!」
「何? まだ戦うわけ?」
エリュオンの冷たい言葉に、全速力で走って来ただろう隊長は息を切らせながら、手を振り答える。
「はぁはぁ…! ちっ違う! 教えてくれ、あの魔法の事を! 蘇生魔法と言ったが、町の者達は確かに生き返ったんだよな? 間違いないよな?」
隊長の目線の先は勿論イサムである、その言葉を聞き腹を立てるエリュオンが隊長に歩み寄ろうとするのをイサムは腕を掴んで止め、そして当たり前だと言いたげな顔で答える。
「蘇生魔法は町全体に掛けた、今回は一年以内の死者も生き返るってイレギュラーな事はあったが、間違いなく全員生き返ったはずだ」
「いっいれぎゅら? いっいやそれが、あの後俺は家に戻り妻に会った。だが娘だけ居ないんだ! 数日前に家の中に居た妻が突然バーゲストに襲われ殺されたらしいが、娘だけは奥の部屋に移動させたと言っていたんだ」
「だが居なかった?」
「そうだ、その部屋の中に居なかったらしく、それから町中探したが何処にも…本当に居なかったんだ。娘はまだ二歳…襲われて逃げきれる訳がない…」
その話を聞いて仲間達もイサムへと視線を向ける。確かに蘇生を発動させて全員生き返ったはずだとイサムは腕を組みながら考える。
「あんたの子供がもし殺されていたなら生き返るはずだ。だが、生き返る事をもし拒否したのなら…でも恐らく拒否じゃない気がする」
「殺されずに町の外に連れ去られたの可能性があるのでしょうか?」
「なら居なかった理由にもなるが…あの魔物達がそんな事するのか…?」
ディアナがイサムの考えに付け加えた所に、傍で考えていたエリュオンが隊長に尋ねる。
「あんたの娘は特別な力を持っていて狙われたとか?」
「いや…それは無いと思うぞ。娘と俺とは姿形は違うが、それ以外は普通の子供だ。他の町の子らは無事に生き返っているのに何故娘だけ…!」
隊長は怒りに震えているが、その矛先が分からず城を睨んでいる。もし連れ去られたなら、行き先として考えられるのはバレンルーガだろう。
「理由は分からないが、考えられるのは連れ去られた可能性が高いって事だな。もしそうじゃなくて闇に落ちていても、浄化されれば行く場所は同じだろ?」
「この世界の全ては魔素の海から生まれ、そして還るか…死ぬ前は眉唾ものだと信じちゃいなかったが、今なら分かる」
「ならバレンルーガにさっさと行こうか、探すにもまずは魔物の親玉を倒さないとな。あんたは町で待っててくれ」
隊長の娘が何処に行ったのか分からないが、バレンルーガの敵を解決してからだとイサムと仲間達は河の岸辺に移動し始める。だがそこにまた隊長が食い下がる。
「まてまて、俺も行くぞ! このまま待ってるなんてそんな性分じゃないんでな」
「はぁ? 何言ってんのよ! あんたじゃ役不足よ! また死にたいの?」
「おいおい! 俺だって一つの小隊を預かる隊長までのし上がった男だぜ! 娘一人助けられずに待ってるなんて出来るわけ無いだろ! さっきの手合わせだって生き返ったばっかりで実力の半分も出してないぞ!」
その言葉にエリュオンの怒りが周りにも分かるほどに伝わるが、イサムは冷静に指示を出し始めた。
「じゃぁ隊長さんも協力を頼む、エリュオンとネルタクであのデカイ球体に攻撃してくれ、タチュラは防御を任せた」
「ふん! なら協力しよう! あの水球は何だ? それに女ばかりに攻撃を頼んでアンタは何するんだ?」
「腹立つわねぇ!」
「口論してる場合じゃないだろ、先に進むぞ」
渋々エリュオンは大剣を取り出し、ネルタクも同じく構える。そして二人同時に振りかぶると水面に浮かぶ巨大な球体に向けて斬撃を飛ばす。綺麗な弧を描きながら河を斬り開き球体は一瞬で十字に割れ、片側は勢いよく蒸発し、もう片側は一瞬で凍りつく。
「なっ!」
隊長が二人のあり得ない斬撃を放った光景を目の当たりにして驚くが、間髪入れずに球体から現れたのは、大きな鳥のような翼を持ち、魚の下半身を持つ綺麗な女性だった。しかしその目は虚ろでこちらを見ている様子はない。
「イサム! なんかユキに似てない!?」
「ああ、確かにな! でも様子がおかしいぞ!」
「あっあれは! そんなまさか…! セイレン!」
岸辺で球体から現れた謎の女性を食い入る様に見つめる隊長だったが、その女性は大きな翼をゆっくりと開き両手をこちらに向ける。すると穏やかだったその河が突如大きく波打ち始める。
「タチュラ!」
「心得ておりますわ!」
波打ち始めた河の水は、まるで生きているかの様に人の胴回り程ある太さの水の柱を何本も立ち登らせ、うねりを加えながら躊躇無くこちらへ襲い掛かる。
「おい! どうするんだ!」
焦りその場から逃げようとする隊長を無視してイサム達は微動だにしない。それは防御を頼んだタチュラが必ず防ぐと信じ、防げると確信しているからだった。
そして隊長が振り返り瞬きを一度すると、巨大な蜘蛛の巣がイサム達の目の前に現れ、水の柱は容易くタチュラの糸に阻まれた。だが、そこから更に糸に触れた水の柱が次々と凍り始める。
「ようやく目を覚ましたみたいだな」
「ですわね」
現れたのはイサムと契約している精霊ユキだった。しかしその表情は怒りに満ち、攻撃を仕掛けてきた精霊セイレンを睨んでいる。
『セイレン! どういうつもり! 私が居るのを知ってて攻撃してきたのなら容赦しないわよ!』
『…』
ユキの問い掛けにセイレンは無言のままで何も答える事はなく、ただボンヤリと一点を見つめている。。
『待ちなさい!』
大きく声を上げるユキを無視し、こちらを見る事もしなくスッと消える様に姿を消した。
『申し訳御座いません…』
完全に消えてしまったセイレンの場所を見ながらユキはイサムに謝る。
「どうしてユキが謝るんだ? 知り合いなのか?」
その言葉とセイレンの気配が無くなった為か少しだけ警戒を解いたユキがイサムの側に戻って来る。
『はい…あれは…セイレンは、私の妹です。ですが、私に気が付いていなかった様です…』
「妹が居たのか…道理で似てる訳だな。それで気が付いていないってのは、操られているみたいな感じか?」
『はい…いえ…そうですね…何かを諦めている様な気がしました…それと攻撃する者には、誰彼構わず無意識に反撃していると思います』
それを見ていた隊長は座り込んだまま、腰を抜かした様に動く事が出来ない。
「なっ何なんだお前ら…!」
そう言うのが先か、彼に振り下ろされる鉄槌が先かというタイミングで魚顔の老人が隊長の頭に杖を振り下ろす。ボグッと鈍い音と共に頭を押さえ悶絶する隊長が怒りの形相で振り返る。
「ぐへっ!」
「何がお前らじゃ! 心配して来てみれば何と情け無い! 恥を知り詫びろ!」
「何だと! 親父! 俺は娘を助けたいだけだ! それの何処が悪い!」
更に振り下ろされる杖がまた頭を襲う。
「黙れ馬鹿たれが! 精霊を従わせる御仁と共に、お前なんぞが一緒に戦えるわけがなかろう! 先ほどのセイレンの攻撃から逃げたのもお前一人だけじゃろう!」
振り下ろす杖を片手で防ぎ隊長は声を荒げて反論する。
「ボコボコ叩くんじゃねぇよ! あれは逃げたんじゃなくて避けようとしたんだ!」
「ふぇ! なんじゃと! 本当にお前はいつも言い訳ばかりじゃ! 周りに強い奴がいれば、あたかも自分が強くなった気になる! それだからいつまで経っても小隊の隊長止まりなんじゃよ! 自分の弱さを何故知ろうとせんのだ!」
言われたくない言葉を投げつけられて、隊長は更に頭に血が上る。
「言わせておけばっ好き勝手言いやがって! 俺だって精霊の一体や二体容易く使役出来るはずだ!」
それを聞いた瞬間に隊長の目の前に巨大で鋭い氷塊が現れる。その尖った氷の先端が、隊長の胸元に狙いを定めいつでも突き刺せる準備している。それを造り出したユキは片手を前に出し、その顔はイサムが始めて出会った頃の冷たく視線だけで人を凍らせるのではないかと言う程の眼で睨んでいる。
『良い気になるなよ愚者が! 貴様ごときが我ら精霊を扱えるなどと妄言を吐くならば、今すぐ殺して肉塊に変えてやろう!』
「ぐっ! やっやれるもんならやって見ろってんだ!」
『そうか!』
ユキの冷たい一声とその氷塊を見て身震いした隊長だったが、必死に反論するその無謀とも言える様を見て隊長の父親が震えながら前に出てくる。
「もっ申し訳御座いません麗しき氷の精霊よ! こんな…こんな馬鹿者で御座いますが、これでもわしの息子であります! 殺すならば先に…わしからお願い致します!」
「何を言っているんだ親父!」
『では望み通りに愚かな息子を恨んで共に命を落とすが良い!』
ユキは片手を上げてそのまま振り下ろそうとする。それを落ち着いた声でイサムが静止させた。
「そこまでだユキ」
『ですが!』
「何をイライラしてるんだ? 見下される程にお前は弱い訳じゃないだろ? 妹を助けるのが先じゃないのか?」
『…申し訳ありません…』
肩を落とすユキは、イサムのゆっくりとした言葉に逆らう事無く氷塊を河の方へ放り投げる。大きな水飛沫があがり、ゆっくりと氷塊は河の中へと消えていった。イサムは老人へと近寄り地面に落とした杖を拾い上げ渡す。
「悪かったなじいさん、それで孫娘の名前を聞いていいか? バレンルーガで見かけたら必ず助ける」
「何と言う寛大な御方じゃ! 誠に申し訳なかった!」
「いいからいいから、先を急ぎたいんだ教えてくれ」
「そっそうか…それはすまなかった。孫の名前は【リュイ】将来はセイレンに負けず劣らずの美人になる孫娘じゃ」
嬉しそうに笑う老人に頷いたイサムは親指を立てる。
「任せとけ! それと隊長は留守番で良いよな?」
「あっああ…構わない……」
急にだんまりとなった隊長を横目で見ながらイサムは仲間達の元へ戻った。
「よし行こうか、ユキ向こう岸まで道を造ってくれないか?」
『お安い御用です』
「さっさと行きましょ」
ユキはふっと息を吐くと幅二メートル程の道が一直線に造られていく。イサム達は強度の心配などせずそのままスタスタと進み始めた。