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水と共に生きる種族であるミウ族、その町は石で造られた水路がどの家にも隣接しており、よく見ると小魚が泳ぐ程に綺麗で透き通っている。そんな心和む光景に水を差す唸り声が聞こえてくる。
『グルルルル』
「綺麗な水に闇の魔物か…汚染されるのは人だけなのか? それとも…はぁ…それにしても次々に魔物が湧いて出てくるな」
「ですが、それ程の数では無いですね」
ディアナの言う通り、現れる魔物数は徐々に少なくなっていている。恐らくは、エリュオン達の方に分散している為だろうとマップで全体を確認すると、案の定敵が点在しており仲間達の場所に無数に固まっている。
「他の三人に、魔物が分散しているだけだな。俺のマップにはまだまだ彷徨いてる…ん? そろそろ町の中心だな」
マップを広げた事により、映し出されている町の入り口から河川までの丁度真ん中、予めマーキングをして置いた大きな噴水がある場所に到着していた。その噴水の上を見上げると、水瓶を持った人魚の像から澄んだ水が絶えず溢れ出している。
「直ぐに範囲蘇生を始めるぞ」
町全体を範囲サークルで包み蘇生魔法を発動させる。薄緑色で半球状の薄い膜がイサムを中心にして一気に広がっていく。
「ん? 灰色丸以外にも何か見えるが…まぁ良いや生き返らせてから考えよう」
マップには死者を示す灰色の丸以外に白黒の丸が多数見える。蘇生魔法を広げた時に現れたので恐らくは死者だろうとイサムは思い、深く考えずに蘇生魔法を発動させた。温かな光が町を覆い尽くし、効果は目に見えて現れる。光りを浴びた魔物達は黒い霧の粒となり蒸発し、命を終えた者は再び生を受け、そして更に生きている者には活力を与えた。
「これで良し、町の魔物は全部消えたみたいだな。エリュオン達と合流しよう」
「はい!」
敵が全て消えたのを確認したイサムは、エリュオン達と合流する為に歩きながら念話を送ろうとする。だがそこに話しかけて来る一人のミウ族が現れる。その顔は魚で、体は人に近い魚人をイメージ出来、白髪と白髭が魚の顔に妙に似合っている老人だ。
「そこのヒューマンの青年、待ちなさい。今何をしたんじゃ? 魔法のように見えたが…」
「ん? 魚のじいさんは生き残ってたミウ族か? 安心してくれ、 魔物は全部倒したぞ」
「なっ何だと…! 何故そんな事を! わしらが倒してくれと何時頼んだ! 余計な事をしてからに!」
その意外な言葉に聴いていたディアナが声を上げる。
「何て言い方! 感謝こそすれ罵倒される筋合いは無いです!」
「うるさいフェアリー! もう少しでわしらは自由だったんだ! 約束の期限まで僅かだったのに…何もかも台無しだ! もう、この町は終わりだ!」
「ちょっと待ってくれ、約束の期限って何だよ? 自由も何も、食べられてた人達も沢山いるはずだ! さっきだって魔物に食べたられ女性を見たんだぞ!」
「そのミウ族がお前さんに助けを求めたのか? 求めなかっただろう!」
老人の言葉に二人は言葉を呑む。噴水の傍にある長椅子に腰掛けた老人は更に話をイサム達に続ける。
「お前さん達がこの町に来た時にミウ族と話をする事があったか?」
「いや…なかったな…」
「そうじゃろうな…わしらは精霊の加護の下に日々生活しておった、その精霊が囚われ抵抗するなと言われれば誰も抵抗せん。そして奴は助けを求める事も罪だと言いだす始末…」
その精霊の事を思い出したのか、少しだけその老人の目が潤んだように見えた。ようやく町の状況を理解し始めたイサム達は老人に問いかけた。
「なるほどな、闇の魔物に囚われた精霊の為に抵抗していないって訳か。だが約束の期限ってのが分からない、その闇はあんた等に何て条件を出したんだ?」
「期限…そうじゃ…そうじゃとも、期限は一年…抵抗もせず、希望を持たず生きていたら精霊を開放してやると言ったんじゃ。わしらは無条件でそれを呑んだ、精霊を助ける為にな…」
「ですが約束を守るなんて本当に信じてるんですか?」
ディアナも話を聞きながら何かがおかしいと感じていたらしく、老人の目を見ながら首を傾げる。
「確かにフェアリーのお嬢さんの言っている事はもっともじゃ…が、もしその羽をもがれる事が条件ならどうだ? 命とも言える羽を失うのは種族としてとても耐え難い事じゃないのか?」
「それはそうです。ですがあなた方に羽はありません」
「羽はないが水がある。わしらの命は水だ、水無しでは生きてはいけないのじゃ。だからこそ我々が守るのは水…そしてその水の精霊【セイレン】を護り共に生きるのが我等が種族の宿命なのじゃ」
「で、その護るべき精霊が捕まったから、仕方なく従ってた訳か…だがミウ族にも兵士とか居ないのか? あれ程大きな城があるなら、それ相応の兵士達が居てもおかしくないだろ?」
イサムが今まで見てきた国や町には必ず戦える者達が居た。河の先に見えた大きな城、バレンルーガに兵士が居ない訳がない。
「ははは…勿論居ないわけがなかろう…そしてどうなったかもな……」
「全く歯が立たなかった訳か」
「いや違う…と言いたいが、バーゲストどもには多少苦戦はしたが倒せていた。じゃがそれを操る闇の魔物…あいつが本気を出した瞬間に兵士達は切り裂かれ食われ、そして後は一方的な蹂躙じゃったよ……抵抗など出来るはずも無い。そしてわしの息子も一年前にこの場所で…」
老人は目頭を押さえて涙を堪える。彼との話も長くなり徐々に状況を確認する為なのか周囲に人が集まってくる、その中には鎧を着た兵士の姿も見え始めた。
「おい親父! こりゃぁどういう事だ!?」
その言葉に老人は突如立ち上がり周囲を見渡す、そしてその先には二メートル程だろうか魚ではなく屈強そうな大きな人の体に綺麗な青い鱗を輝かせたミウ族の兵士が駆け寄ってくる。
「おっおっおっ! お前死んだはずでは!?」
「ああ、俺もそう思ってたんだが…気が付いたら殺されたこの場所に居たんだ。確かに魔素の海を漂ってたはずなんだがなぁ…それにしても親父…? 随分とやつれたな」
老人の息子だと寄って来た中年男性の他にも鎧を着た兵士達が次々に現れ始める。それをディアナがイサムに尋ねる。
「イサム様、兵士の方とかも居たんでしょうか? でも一年前に襲われたって仰っていましたよね? 遺体が無い状態でも蘇生が可能なのですか?」
それを聞いてイサムも深く考える。うーんと唸るものの答えが出るわけが無い、あえて言うならマップに表示された今まで無かった白黒の丸だろうか。
「可能なのかな? 爺さんに聞いてみようか…おい爺さん、あんたの息子は本当に一年前に殺されたのか?」
「おお、聞いてくれ! こいつは確かに一年前にわしを庇いバーゲストに喰われたはずなんじゃ! それなのにどうして…まさか魔物となり蘇ったのか!?」
「ははっ! 何処をどう見たら魔物に見えるんだよ! でも一年も経ってるのか…それにしちゃぁ俺の部下達も大勢居るな…いったいどうなっちまったんだ?」
老人の息子も自身の部下だった者達が殺されるのを幾度と無く見た。その部下達が平然とその場所に居るのには驚きを隠すことが出来ない。そしてその部下達もこちらに気が付いたらしく物凄い勢いで近寄ってくる。
「たっ隊長! ご無事で何よりです! しかし見てください! バーゲストが一匹も居ないのです! それに死んだ仲間達が次々に現れて…これは夢でも見ているのでしょうか?」
「お前もそう思うか…いや、これは夢なのかもしれないな…魔素の海で浄化される前に見る夢なのだろうな…」
そうやって自分に言い聞かせて目を瞑る隊長と呼ばれた老人の息子。だがその夢を覚ませる様にイサムが話しかける。
「いや夢じゃない。俺が使った蘇生魔法で生き返ったんだ、命を魔素の海から引き戻す事が出来る魔法って言った方が良いかな。ただ…一年前に死んだ人を生き返らせたのは今回が初めてだ」
「なっ! そんな魔法があるわけ無いだろ! このガキ何言ってやがるんだ!?」
中年隊長が驚くのは無理も無い。そしてその言葉を信じる事は出来ないものの、目の前で起こった奇跡に半信半疑という状態の目で見つめている。
「魔法があるのか無いのかは自分で考えろよ、それよりもその元凶の闇と精霊は何処にいるんだ?」
「何だと!」
「落ち着け! それはわしが教えよう、闇は恐らくバレンルーガ城に居るじゃろう。そしてセイレンはその先の河でよく見かけられていたが、今は捉えられて何処に居るのやら…流れる水の状態からこの国に居るのは間違いないと思うが…一度河に向えば何か分かるかもしれんが…」
「なるほど、澄んだ水はセイレンが居るからなのか。じゃぁ一先ずは河経由でバレンルーガ城に行くか」
「そうですね」
そこへエリュオン達三人も無事に敵を倒してイサムの元へ戻ってくる。
「聞いてイサム! 死体が無い場所からも人が次々に現れたのよ! 蘇生魔法が発動したのは分かったけどどういう事なの?」
「エリュオンと同じです! 兵士さん達は自分が死んだはずだと言っていました。死体が無くても生き返る事が出来るのですか?」
「妾も同じですわね。ご主人様のお力が強くなられたのですか?」
勢いよく詰め寄る三人にイサムも返答に困っていると、先程の老人の息子が腕を組みながらイサムに提案を始める。
「よぉし分かった! お前の魔法が何だか分からんが、本当に生き返ったのなら俺らもその恩を返す義理があるってもんよ! 城にはまだ敵がいるかもしれんから手伝ってやろうじゃないか!」
その話を聞いてイサムは真顔で答える。
「いや、必要無いな。大勢で行くより俺達だけで行く方が敵も倒しやすいし」
「なっ何だと! 女子供ばかりのお前らがどれ程強いのか知らんが、俺達もミウ族ではツワモノ揃いと言われた部隊だ! それを必要ないだとぅ! 舐められたもんだぜ!」
必要無いと言われて頭に血が上ったのか、拳を握り締め今にも殴りかかりそうな勢いでイサムに食って掛かる。
「あぁ…分かったよ、それじゃぁそうだな……ああそうだ! だったら、彼女と力比べして勝てたら手伝うなり好きにすれば良い」
「えーめんどくさいわ」
「そう言うなよ、そうでもしないと着いて来るだろ?」
エリュオンの両肩を掴み老人の息子に向ける。そしてそれを見ていた男が怒らない訳が無い。勿論イサムは怒らす為にあえて言ったのだが、それがまんまと相手の逆鱗に触れたようだ。
「んのやろう! 俺が女相手に本気出せるわけが無いだろうが!」
「うるさいわね、私達は急いでいるのよ。手加減してあげるからさっさとかかって来れば?」
ブチン! 男の何かが切れる音が聞こえ、その大きな拳がエリュオン目掛けて襲い掛かる。だがその拳をひらりと避けるとその手首を掴みまるで自分で転んだように見える程綺麗に前転して地面に叩きつけられる。
「がぁ! なっ何だと!」
「これで分かったかしら? 足手まといだと言うのが」
「まだだ! 女だと思って手加減すればいい気になりやがって!」
「隊長やっちまえ!」
周囲がエリュオン達を囲むように大きな円の中で飛び上がるように立ち上がった老人の息子でありその隊長の男は腰の剣に手を掛ける。
「いいわよ。剣の方が私も戦いやすいし」
「後悔するなよ!」
「それはこっちのセリフよ」
「エリュオン、勢い余って殺すなよ。また蘇生しないといけなくなる」
エリュオンに話しかけた時にチラリと目がイサムの方へと動く。その隙を見逃さなかった隊長は、鞘から抜くと同時にエリュオン目掛けて剣を振るい顔に当たるか当たらないかのギリギリの場所で止める。だがエリュオンもそれに動じる事無く目線はしっかりと隊長を見据えていた。
「ほう、口だけではないのか」
「残念ね、隙を作ってあげたのに」
「なら次は当ててやろう!」
少しだけ距離を開けた隊長は、真っ直ぐに剣を構えて無数に突きを繰り出した。それをイサムから借りた剣エクレアで容易くかわす。そして止めとばかりに振り下ろす剣の先にエリュオンの姿は無かった。
「後ろよ!」
振り返ろうとする隊長の顔の真横に見える剣を素手で掴むと、その勢いのまま自身の剣を振るう。エリュオンはそのままエクレアを手放しながら後ろへ飛び距離を開ける。
「残念だったな! お前の得物は俺の手の中、勝負ありだな!」
「おめでたいわね」
「何!?」
エリュオンは隊長との距離を詰めると同時に空間からフレイムタンを取り出す。大きく振り下ろされたその大剣を防ごうと自身の剣で咄嗟に防御するが、触れた瞬間に隊長の剣はドロリと溶け、頭ギリギリでエリュオンは大剣を止める。
「くっ! まっ参った!」
隊長は悔しそうに掴んでいるイサムの剣をエリュオンに差し出す。彼女はもう片方の手で受け取ると二本ともボックスへと収納させた。集まっていた兵士達や町民達が唖然とする中で、エリュオンは埃を掃う仕草をしイサム達の場所へ戻る。
「悪いな、あんたらが大変な目にあって闇に一矢報いたいのは分かるが、命を無駄にしないでくれ。俺らが変わりにバーゲストを生み出す奴を懲らしめてやる」
それを聞いたミウ族の老人は深々と頭を下げた。
「青年、息子が失礼をして申し訳なかった。お前さん達の力ならば本当に勝てるのかも知れないな…頼む! バレンルーガの住人達も同じ目に遭っている筈じゃ! 助けてやってくれ!」
イサムは老人の肩を数回叩くと歩き出した。
「大丈夫だ爺さん! 任せとけ!」
歩き出す方向に周りの人達は道を空けて見送る。イサム達の目線の先には、距離が離れているにも関わらず大きくそして美しいバレンルーガ城が、まるで彼らを待っているかの様に不気味に聳えていた。