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生暖かく窮屈な暗闇の中で、イサムは膝を抱え体を丸めて、じっとして動こうとしない。生物が生きる上で刻み続ける鼓動をその暗闇の中で聴きながら、何も考えられずにいた。
『浄化しないのか?』
突如聞こえて来る謎の声、イサムには声に覚えがあった。
「また来たのか…もうほっといてくれ」
『そう言う訳にはいかない、君が行動しないと沢山の罪の無い人々が死ぬ事になる』
イサムはその暗闇の声に対し鼻で笑い、そして腹を立てる。
「ふっ…仲間一人救えないで、沢山の人を救えるはず無いだろ! エリュオンの事も見ていただろ!」
『ああ…君の目を通して、だいたいは知っている。だが、彼女は君のコアだ。作り出された肉体が崩壊しても、命そのものを守る外殻がある以上は死ぬ事が無い』
「それでまた生き返らせて、また死ぬのを見てろって言うのか!」
『生きるか死ぬかを決めるのは彼女次第だ。それに見てろと言う言葉は可笑しいだろう? 君が守れるように更に強くなれば良い事だ。君の使う蘇生魔法は手助けをするだけのものだし、何度でも生き返らせると彼女と約束したんじゃないのか?』
「そっそれは……」
始めてエリュオンと出会った頃、イサムは闇の王へ彼女のコアが戻る事を防ぐ為に約束をした。コアの所有者、帰還される場所がイサムに変わったとしてもその約束は変わらないと謎の声は言う。
『それに、この世界で人を生き返らせる事…それ自体は罪ではないと私は考えている』
「なっ何でだ! 人を生き返らせてるんだぞ? それこそ神の領域じゃないのか?」
『ふっ…神か…君の居た世界の理を深く知る事は出来ないが、この世界に神と言う存在は居ない』
「居ない?」
『そうだ。この世界に存在するもの全てが魔素で出来ている。生き物も木々も鉱石も全て魔素の海に還り、そしてまたこの地へと生まれる。蘇生魔法はその循環を強制的に引き戻す魔法…つまり、自然に起こりうる事を故意に巻き戻しているだけだ』
「そんな事言われても理解出来るはずが無い…」
蘇生魔法は、この世界に来た時から使える唯一の魔法だ。だが魔法の理解があって使っている訳ではないし、命の尊さを軽視している様な言葉に理解していても頷きたくないのが本音だった。
『だが、もし罪を犯していると言うのなら…それは私が作った魔法【不老不死】だろうな。死ぬ事も老いる事も無く、魔素の海へ還る事が出来ない呪いの魔法だ』
「呪いの魔法…それはロロルーシェの事を言っているのか?」
『……今はそう名乗っていたな……そうだ、私が彼女を不老不死にしたんだ』
「なるほど…ようやく誰だかわかったよ…あんたがルドガーだな」
『ふふっ正解だ。まぁその思念体と言った方が良いかな…本体はここには居ない、闇の王に取り込まれてしまったからな』
軽く鼻で笑うルドガーに対してイサム更に腹を立てる。
「ルドガー! あんたのせいでロロルーシェの…! 彼女の人生がどれ程辛かったか…分からない何て事を言うなよ!」
『…勿論だ! 気を悪くさせたようだな…すまなかった。人と話すなんて二万年ぶりなんでな…』
「…そうか…怒鳴って悪かった…。それで何で不老不死は罪なんだ?」
ルドガーは一呼吸おき、ゆっくりと話し始める。
『魔素の海へと還る事が出来ないからだ、彼女はこの世界の真理と呼ばれる魔素の循環から外れた存在だ。それがどれ程の苦痛を彼女に与えたのか…! 私はこの二万年の間ずっと後悔してきた、彼女を救う方法を必死で考えて考えて…そしてようやく見つけた! 彼女を救う唯一の方法を!』
「そうなのか! なら彼女は、闇の王を倒せば普通の体に戻れるんだな!」
『……』
イサムの言葉にルドガーの反応は無い。
「おい? 何で何も言わないんだ? 闇の王を倒せば戻れるんじゃないのか?」
『…今はまだ言えない。だが必ず教える、だからそれまでに君が蘇生魔法を強くする必要がある…』
「それは、蘇生魔法を今まで以上に使えと言っているのか?」
『そうだ、それがロロルカ…いやロロルーシェを救える唯一の鍵となる』
「鍵…そう言われたら使うしかないじゃないか…」
『すまないな…それにここに吸収されている子も、そろそろ救わないと死を選ぶ事になるぞ。コアが回収されずに放置したままだと、魔素の海へ引き込まれやすい』
それを聞いたイサムが狭い空間で体を起こす。
「なんだと! それを早く言え!」
『集中しろ、所有者である君の声は届くはずだ。』
「くそっ! 何処だエリュオン!」
イサムは目を瞑りその気配を探るように意識を集中し始めた。微かに感じる小さな命の灯火、随分と長い時間を共に過ごしたような、懐かしく心地よいその温もりをイサムはやっと見つける事が出来た。
「エリュオン! 聞こえるか!」
『イサム! どうして! 何で声が聞こえるの!?』
「良かった…まだ意識はあるみたいだな!」
『ええ…リア族の女王が魔物になる前に肉体から意識を切り離してたみたいで、そのお蔭で私も心を維持出来てるわ!』
「そうだったのか! 確かにもう一つ反応を傍で感じる。今から二人とも蘇生するから待っててくれ!」
『ええ! 待ってるわ!』
イサムは集中を切らさずに蘇生魔法を使う。その瞬間にイサムの体を締め付けていた魔物と化した女王の肉体が浄化され始める。そしてその目の前に現れるコアと精神のみとなったリア族の女王の姿、光は二人を包みエリュオンは元の姿へと無事に戻る。そんな中一瞬だけ、自分に似た人物が目の前に立っていたが一言だけ残し消えていく。
『闇の王はかなりの力をつけて蘇る、君の力が必要だ。妻と娘を助けてくれ…』
消えてゆくルドガーの体をすり抜ける様にエリュオンが飛びついてくる。
「イサム! 今回ばかりはもう駄目かと思ったわ!」
イサムに抱き付くエリュオン。その柔らかな温もりと香りにイサムもその手で、しっかりと彼女を抱きしめる。
「本当に良かった…」
力強く抱きしめるイサムに身を委ねてエリュオンも腕の力を強くする。そこから視線をリア族の女王へと向けるが、違和感を感じ尋ねる。
「それでそっちが女王か…でかいな…だけど、何か変じゃないか?」
「え?」
イサムはエリュオンとリア族の女王の二人に蘇生魔法を掛けた。だが女王だけは肉体が再生されず、半透明なまま近くに佇んでいる。そこへクルタナ達が駆けて来る。
「イサム! どういう事なのだ? 母は死んだのか? それとも蘇生したのか!?」
「いや…確かに蘇生魔法は掛けた。こうしてエリュオンが生き返ったんだからな」
そこへクルタナの声を聞いた女王が声を出す。
『その声はクルタナか! どこだ? 良く戻ったな!』
キョロキョロと首を振る女王、それを見ているエリュオンがクルタナに伝える。
「クルタナ…女王は視力を失っているそうよ」
「そっそんな…母さん…! クルタナはここで御座います! 食材を…人を超える食材をお持ち致しました!」
『そうかそうか! だが、すまないなクルタナ…私もようやく気が付いたんだよ、人を喰っても人にはなれないとな…兵を失い、自分の肉体を失ってようやくだ…何とも嘆かわしい』
それを首を振りクルタナは涙を流す。
「そんな事ありません! 今からでもまだ間に合います! 彼…イサムの蘇生魔法があれば、母さんもこの世界にまだ留まる事が出来るのです!」
『なるほどな、この温かな力の正体は蘇生魔法か…だがなクルタナ、私はもう十分に生きた。それに光を失ったこの目では、何も償う事が出来ない』
そう言い終えると女王の体は徐々に小さな光の粒へと変わりだす。
「駄目です! まだ行かないで! まだ貴方と共に食事すらした事が無い! これからのリア族の行く末を貴方は見る義務があるはずです!」
『そうだったなぁ…さぞ上手い食事を手に入れたのだろう…これでリア族も安泰だな……クルタナ…女王として精進しなさい…』
「何を言っているのです! 待って下さい!」
『クルタナ…私の…可愛い…娘……』
「待って!」
リア族の女王は光の粒となりゆっくりと消えていった。手を伸ばすクルタナは泡の様に掴む事の出来ない光を握り締め、大粒の涙を流しながらその場に跪く。
「最後まで…最後まで! あの人は!」
「クルタナ様…」
サヤ達も大粒の涙を流し傍に立ち尽くしていた。暫く沈黙が続いた後にクルタナが立ち上がりイサムへと向く。
「イサム、ありがとう。魔物として生涯を終えるよりも幾分もましだろう、心から感謝する」
「気にするな…本当は良い女王だったんだな…話せなかったのが残念だよ…」
「そうだな…良い女王だったからこそ、巣の為に力を求め、闇に付け込まれたんだろう…」
クルタナは赤く腫らした目を拭い、気持ちを切り替えようと笑顔を作る。
「さて、先へ進まねばならぬと思うが頼みがある」
真っ直ぐにイサムを見つめるクルタナが、次に何を言うのかイサムにも仲間達も気が付いていた。
「ここの魔物達の浄化だろ?」
「流石と言いたいが、イサム達は先へ進んで欲しい。我ら四人でこの巣を浄化したい」
「なっ! 大丈夫なのか!?」
「勿論だ。それに女王と母に宣言された以上は職務を全うせねばならないしな」
クルタナの後ろに控えるサヤとガタとニトは深く頷き片膝を付く。
「私はリア族ではないですが、クルタナ様に育てられた命の恩があります。巣の方々の浄化し魔素の海へと還すのがせめてもの恩返しとなります」
「我ら家臣も同じ意見! クルタナ女王様の歩む道が我らの道なのです!」
「我ら一族の行く末は、クルタナ女王様無くしてありえません! どうかお導き下さい!」
「お前達…感謝する!」
クルタナは頭を下げるが、それを慌てて止める三人。決意は固いと理解したイサム達は一足先に進む事を伝える。
「クルタナ、サヤ! ガタとニトも無理するなよ!」
「大丈夫だ! コアと言う存在になってから、力が溢れ出して来るようだ! この巣で私達に勝てる魔物は一匹もおるまい!」
「ははっ凄いな! 浄化が終わったら、俺の元へと飛んでくれ。コアの所有者の近くに移動出来るはずだ」
「了解した!」
打ち合わせを済ませたイサムは、ディアナに念話を繋げる。
「ディアナ、聞こえるか?」
『イサム様! 良かった! 無事だったんですね!』
「ああ、心配掛けたな! まだ入り口の所でマックスと待機してるか?」
『いえそれが…リア族の様な魔物達が溢れ出て来まして、マックス達が地上に出てくる魔物を退治している所です!』
「なるほど、ダジュカンを倒したから障壁が消えたのか…それとマックス達?」
『マックスの他にあと二体居るようです、姿は見ていないですがどうやら彼と同じ様に攻撃手段を持ち、この荒野に現れる魔物の掃討を任されている感じです』
「そうなのか! 俺達はこれから地上に向う、マックスにミウ族の町まで向えるか確認しててくれ」
その話を聞いたクルタナがイサムに伝える。
「ではお礼と言っては心許ないが、ミウ族の町【ガルス】の近くまで転移しよう」
「そいつは助かる!」
イサムはすぐさまディアナに念話を繋ぐ。
「ディアナ! クルタナがミウ族の町の近くまで飛ばしてくれるそうだ!」
『了解しました! マックスも今その方向へと舵を取るそうです!』
「分かった! じゃぁ町の入り口で落ち合おう!」
『はい!』
念話を切るとイサムはクルタナへ頷く。クルタナは移動魔法を先に展開させていた様で直ぐに発動させる。
「あとで必ず追いつく!」
「ああ! 待ってるぞ!」
転移魔法を発動したクルタナは、自身を含めた四人を残して移動させる。それを確認した後にサヤ達へと向きなおす。
「さて、リア族を救うのは我々だ! 私について来い!」
「はい!」
女王の間の大きな扉を開け広げ、通路に大量に蠢くリア族だった魔物達に切り込むクルタナ達の顔は、自信に満ちこの上なく力が漲っていると言わんばかりに通路の奥へ奥へと瞬く間に進んで行くのだった。