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真っ直ぐに伸びる通路をひた走るイサムの後ろから付いてくるクルタナにサヤが声をかける。
「クルタナ様、この先は…」
「ああ、分かっている…見間違えるはずが無い。母の居る場所へ向っておる様じゃな」
「ですが…と言う事は…」
「他の者達が魔物になっていて、母だけが魔物になっていないと思うか? ここに来た時から覚悟はしておる。浄化させるのが私の役目だろう」
「クルタナ様……」
走るクルタナの背を追いかけながらサヤは涙を堪える。何の為の旅だったのか、遅過ぎた故の結果だと考える事などしたくは無いが、その現実が目の前に近付きつつある事を思うと悲しみが込み上げてくる。
岩盤を削り作り上げたリア族の兵士を模った像が、綺麗な間隔で並ぶ一本の幅の広い通路の先に見える大きく、そして綺麗な装飾のされた分厚い扉の前でイサムはようやく立ち止まった。
「この中だ、クルタナ達は見覚えあるか?」
「勿論じゃ…ここは母が普段全ての業務と食事を行う場所…女王の間じゃ」
「反応は三つ、ひとつはエリュオンであと二つは敵だ」
「ダジュカンと女王でしょうか?」
「そう考えて間違いないだろう、クルタナ…構わないな?」
イサムはクルタナの目を見て答えを待つ。だが彼女の答えは既に出ていると頷く。
「分かった、指定された時間もそれ程無い…行くぞ!」
全員がその豪華な扉の前に立ち一斉に押し始めると、ギギギと言う音と共にゆっくりと開き始める。生温い風が中からフワッと外へ抜け、薄暗かった通路に中の光が漏れる。
だが、女王の間に入った仲間達は一瞬動く事が出来なかった。飛ばされた場所程ではないが、大きな広間のその先に鎮座している巨大な生物とその中央に居るエリュオンの姿を目の当たりにしたからだ。
「なんて事を…!」
『ふふふ、随分と時間が掛かったな。お前さん達の仲間、裏切り者のエリュオンが取り込まれる前で良かったな』
「クソ野郎が! ぶん殴ってやるから待ってろ!」
『私の相手をしてる間があるのかな? 女王よ! 餌が来た様だぞ!』
大きさから見て十メートル程だろうか、四つの手と二つの足を持つリア族の姿を知っていてもいなくても、その容姿を見れば嫌悪するだろう。体中に無数のリア族以外の手が生え、芋虫の様な長い体を足が持ち上げ切らずに引きずっている。巨大なカマキリの様な腕の間にある胸元には、背中と肘と膝まで女王に取り込まれ、気を失っているエリュオンの姿が見える。
「エリュオン! 助けに来たぞ! 目を覚ませ!」
イサムのその声にゆっくりと瞳を開けるエリュオン。しかし自分の現状を知っているのか、それとも傷が深く意識が朦朧としているのか、騒ぎもせずに小さく微笑む。
「エリュオン…! 必ず助けるからね!」
「まったく、しょうがない子ですね…でも喧嘩相手が居なくなるのは寂しいですわ」
「母よ……もはや意識などあるまいが、私が楽にさせてやろう!」
「クルタナ様…女王様に危害を加える事をお許し下さい!」
「構わん! 行くぞ!」
クルタナの号令でサヤと護衛二人も駆け出す。イサムもユキを呼びネルタクと共に女王へと向わせタチュラも無数に生み出した糸の剣を宙に浮かべ飛び上がる。そしてイサムはダジュカンへとフレイムタンを向ける。
「お前の相手は俺がしてやる!」
『はっ! 雑魚が! 少しだけ遊んでやる!』
「おおおおおお!」
咆哮と共に駆け出したイサムは、両手で握ったフレイムタンを大きく振り下ろした。それを軽々と避けるダジュカンだが、イサムはそれを予想して懐から銃を取り出し目線を向けずに避けた方向に発砲する。
ギィンギィンギィン!
鎌を回転させて弾丸を避けたが、初めて避けた時同様に弾丸を受けた場所だけがドロリと溶けてしまう。
『その能力は厄介だな! だが私には脅威ではない!』
「言ってろ! 喰らったら脅威だから避けてるんだろう!」
大剣を一振りし炎を纏わせたイサムは、間髪入れずにダジュカンへと向う。フードの中で舌打ちを一つしたダジュカンは、片手をイサムの方向に出して何やら詠唱を始めた。すると黒い魔法陣が掌の前に展開され、その中から親指程はある無数の鋭い棘がイサムへと射始める。
イサムは頭や目、そして体中に受ける棘を無視して空中に漂うダジュカンへと斬りかかった。ブォンという音と共に突き出している片腕が宙に舞う。
『がぁぁぁ! 何だと! 殺傷力を高めたニードルを無傷で受けるとは!』
「お前の攻撃なんか避けるまでも無い!」
イサムはダジュカンと同じ様に片腕を前に出す。そして詠唱無しで現れる光の魔法陣を展開すると、その中から無数の糸が溢れ出しダジュカンへと向う。
『ちっこれはタチュラの能力に似ているな! 貴様コアの能力を使役出来るのか!?』
「さぁ? どうだかな!」
生きているかの様にダジュカンへと糸は向い続ける。必死で避けながら鎌を振るい糸を切ろうとするが、圧倒的に多い糸の数に対処しきれずに遂には掴まる。その瞬間を見逃さないイサムは、蘇生魔法をその糸に流し同時にフレイムタンを投げる。
必死にもがいていたダジュカンだが、糸から伝わる蘇生魔法に体が硬直し、その瞬間投げられた大剣が回転しながら胸から腹にかけて突き刺さる。
『ギャァァァァァ! ガガッァァァァ! こんな事が! このダジュカン様がこんな奴に!』
体に燃える大剣を突き刺したまま、未だに宙を漂うダジュカンだったが、ダメージは大きかったらしくフードの中から見える口元から血が流れている。そして既に限界だったのか大きく吐血した瞬間に、体が靄に変わりコアへと一気に戻っていく。
「ざまみろ…」
イサムは地に落ちたコアに言葉を投げ捨て、大剣を拾うと仲間達の元へと向う。だが視線を向けたその様子に疑問を感じる。必死に片腕を振り回し攻撃をする女王に対して、仲間達はその攻撃を避けるだけだったからだ。
「どうして攻撃しないんだ!?」
傍に来たイサムの言葉にネルタクが答える。
「それが! 女王を攻撃するとエリュオンにもダメージが入るんです!」
「ご主人様! 見てください! 女王の右腕を吹き飛ばしたら、エリュオンの取り込まれている右腕も吹き飛んでしまって! 今あの子はその痛みで気を失ったようですわ!」
「くそっ! じゃぁエリュオンを引っ張りだすしかないのか?」
イサムのその言葉にクルタナが首を振る。
「駄目じゃ! それも試したが、強力な何かでくっ付いていて徐々に中へと入っていこうとしておる!」
「だからといって、このまま見とくわけにもいかないだろ!」
イサムの怒鳴り声に気が付いたエリュオンが痛みを堪えて話しかけてくる。
『い……イサム! もう無理よ! わっ私のコアがこの魔物と同化しているわ! 取り込まれて魔物になるなんて…! そんなの嫌!』
「無理なものか! 必ず助けてやる!」
『体が言う事きかないの! なのにイサム達を食べ殺したいと言う感情だけが流れてくる!』
「それは魔物になった母の感情が流れてきてるのか! どうすれば良いのじゃ!」
「取り合えず俺が蘇生魔法でエリュオンと女王の部分を触れて切り離せるか試そう! みんな協力してくれ!」
全員が頷き、イサムは女王の攻撃を避けながらエリュオンの元へと向う。無数の腕をタチュラが糸で無効化し、他の仲間達が女王の視線を他へと向けさせる。そのお蔭で苦もなくエリュオンの傍へ辿り着く。
「おまたせ、大丈夫か? 腕が痛むだろう、直ぐ助けてやるからな」
『ありがとうイサム…でも駄目なの…分かるのよ! とっ取り込まれている背中…腕と足の部分は、まるで溶け込んだみたいに既に無いわ! それに、徐々に意識が保てなくなってきてる…! お願いイサム…貴方を好きな気持ちのまま消えたいの! 魔物になって、何もかも忘れるなんて死んでも嫌!』
イサムは無言のままエリュオンと女王の接合してる部分を触る。
ジュゥゥゥゥ!
『あ゛あ゛あ゛! 熱い! イサム! 体が焼ける様に熱いわ! その魔法は魔物にとって、こんなに痛いものなのね!』
「すっすまないエリュオン! くそ! どうしたら!」
だがイサムのその蘇生魔法に反応したのか、エリュオンを引き込む力が急に早くなる。
『ああ! お願いイサム! 魔物になりたくない! ゴロジデ! オネガイ!』
「駄目だ! そんな事出来ない! 必ず! 必ず助ける!」
既にエリュオンの体は肩と胸と頭の残して取り込まれている。蘇生をかけると殺してしまう、かといって引っ張り出す事も出来ない状態に、どうする事も出来ないまま時間だけが過ぎていく。
「駄目だ駄目だ駄目だ! 行くなエリュオン!」
『サヨナラ…イサム…ゴコロガラ、アナタヲ、アイジテイルワ…』
「まて! エリュオン!」
彼女の涙が流れた頬を触れるイサムの手は、女王の体に阻まれその温もりを失う。何も出来ずに魔物と化した女王に取り込まれたエリュオン。それをを見殺しにしたイサムの目には大粒の涙が零れるが、糸を引き千切った大きな片腕に不意打ちを喰らい地面へと叩きつけられる。
「ぐぅぅぅぅ! どうすれば良かったんだ!」
うつ伏せのまま両手で土を握りしめるイサムの傍にネルタクとタチュラが来る。
「大丈夫ですかイサムさん!? エリュオンは? エリュオンが消えてしまった! 何処ですか!」
「落ち着いて下さいネルタク! 取り込まれただけです! 助けられますよねご主人様?」
だが、ネルタクとタチュラの言葉に返答出来ずにただ涙を流すイサム。それを見たネルタクも声を出して泣き出した。
「エリュオンが死んじゃったぁぁぁ! うぁぁぁぁぁん!」
「泣くのは後にしなさい! まだ目の前に敵がいるのです!」
涙を溜め堪えているタチュラ、クルタナ達も言葉にする事が出来ず女王の注意を引いてイサム達がターゲットにならない様にしている。
メニューを開きコアを確認すると、エリュオンの名前は灰色表示で一切反応は無い。それを確認したイサムはゆっくりと立ち上がり、勢い良く女王へと向かい大きな頭の上へ飛び乗る。
「頼む女王! エリュオンを返してくれ!」
ポコっと言う程度の力で女王の頭を叩く。何度も何度も叩き続けるイサムに、女王は煩わしいと感じたのだろう。首を振り頭に乗っている異物を振り落とそうとするが、イサムは触覚に掴まり必死に耐える。だが徐々にその勢いが増し、触覚の先端方向へと滑る様に移動をし始めたイサム。
「手を離して下さいイサムさん!」
「ご主人様! それでは女王に狙われますわ! 離れて下さい!
ネルタクとタチュラの警告は聞こえていたが、手を離そうとはしない。そして宙吊り状態になったイサムを女王は、容赦無く一口で食べてしまったのだった。