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深い深い暗闇の中、音も無く生き物の気配すらない場所で、突如声が聞こえてくる。
『リア族の巣は片付いたの? ダジュカン』
『勿論で御座いますルーシェ様。巨大故に三年程掛かりましたが、全て魔物化致しました…』
暗闇から現れるフードを被った年老いた男が淡々と話す。だが、ルーシェはその報告に少しだけ濁りを感じ尋ねる。
『何か問題があった?』
『はい…いえ…残念な事に、リア族の女王は次世代の子供を産んでいたらしく、もう子を産めない体の様です。しかも次世代の子は行方知らず…ですので、あの者ら食料を含め約百五十万の兵のみとなります』
『問題ね…随分と少ないじゃない? その倍はいた筈よ』
顔は見えないが、足を組み替えたルーシェは少し苛立ちを見せる。
『はいその通りです…ですが、魔物化の影響で共喰いと融合を繰り返し今の数に落ち着きました』
『ふぅん…まぁ良いわ、ママにはバレてないみたいだし』
『……む?』
『どうしたの?』
『その巣の入り口に張っている障壁に触れる者がおる様です…』
ロロルーシェに見つからない様に、巣の出入り口から外へ瘴気と魔物と化したリア族を出さない為の障壁を展開していたダジュカンは、その障壁に故意に触れる輩に興味を持つ。通常の人や獣であれば一瞬で消し炭となるか闇へと落ちるかどちらかである。だが今触れている者は、消し炭になる所か障壁を消し去ろうとしている様だった。
『申し訳御座いませんルーシェ様。どうやら巣へ向わねばならないようです』
『あらそう、兵達を巣から出すのはまだ早いわ。ママに気付かれる前に処理して』
『心得ております』
深々とお辞儀をしたダジュカンは闇の中へと消えていく。はぁと溜息とついてルーシェは別の名前を呼んだ。
『【スキラ】居るんでしょ、出てきなさい』
『……うん』
ダジュカンが去った直ぐ傍の暗闇から真っ直ぐに前髪を切り揃え、背中まで綺麗に伸びる青黒い髪の毛と何も装飾の無い裾の長く蒼いワンピースを着た女性が現れた。
『【精霊セイレン】の様子はどう? 大人しくなったのかしら?』
『……うん』
『そう、それで何しに来たの?』
『……ノイズ死んだの?』
『そうよ、それだけを聞きに来たの?』
『……じゃぁマノイは?』
『あら、貴方マノイの事好きだったかしら?』
ルーシェの質問にニヤリと笑うスキラと呼ばれた女性。その笑顔には好意と言う感情よりも、もっと不快で禍々しい恐怖を感じる。
『あの子は生きてるわ、でも今はママの所よ。まぁ暫くの間は大人しくさせときましょう、どうせパパが起きたら嫌でも忙しくなるのよ』
『……分かった』
『それとナイトメアも貴方の担当だったかしら?』
『……ちがう、あれは【カリュブ】の仕事』
『そう、なら持ち場に戻りなさい』
『……うん』
スキラは軽く一礼すると闇の中へと消える。ルーシェは腕を組みながら片手を頬に当て、一人話す。
『ふふっ…まさかマノイが本命だとは思いもしないでしょうね…気がついた時にどんな顔をするのかしら…』
するとまた闇の奥から大柄な一人の男が現れる。
『お呼びですかな?』
大きく隆起した毛深い胸筋を動かしながら、黒のブーメランパンツ一枚で現れたカルバドス。様々なポーズをルーシェに披露しながら少しずつ近づき跪く。
『相変わらず気持ち悪い男ね、九十層の攻略準備はどうなっているのかしら?』
『闇の王様が復活なされる前には、問題無く完了致しますぞ』
『それなら良いわ、あのラルとか言う女は大きな戦力になる、しっかりと準備しなさい』
『勿論です! フィラルに我輩の愛を伝えなければ!』
カルバトスは立ち上がると両手を前に組みながら、胸の筋肉を交互に動かしながら闇の中へと消えていく。ルーシェはそれを全く見ずに次の闇へと指示を与えていた。
●
ルーシェ達が百一層で暗躍している数時間前、イサム達は食事を終えてリア族の巣に向う準備をしていた。
「いいかイサム、言ったとおり今回私や元々の私のコアだった者達を含め、闇の王復活に対抗する準備をしなければならない。連れて行けるのはエリュオンとネルタク、タチュラとディアナの四人で良いな?」
「えーミケはどうして駄目にゃん?」
「お前は三十層の長屋での作業が途中だろう? ウルウ達の面倒を見るのも大事な事だ」
「そうだミケット、作業がちゃんと終わればこっちの飛べば良い」
「うう…わかったにゃん…」
「それと、尻尾は一本に戻しておけ。多尾族だと気が付かれれば、思わぬトラブルを呼び込むぞ」
ミケットは頷くと渋々魔法で尻尾の数を一本に変える。余りにも悲しい顔をするのでイサムもミケットの頭を撫で、気を落ち着かせる。ゴロゴロと喉を鳴らすミケットをの後ろから喧嘩の終えたエリュオン達がやってくる。
「はぁはぁ…今回は引き分けだったわ……」
「はぁ…はぁ…はぁ…そっその様ですわね…」
「そうか……じゃぁ出掛ける準備をしててくれ…」
そこへクルタナ達とロロルーシェに呼ばれたディアナもオドオドしながらイサム達の場所へやってくる。
「おっお呼びですか?」
「ディオナ、今回はお前もイサム達と共に行くんだ。サポート役が居ないからな」
「えっ! そっそうなのですか…! だっ大丈夫でっでしょうか?」
「まぁ大丈夫かどうかは分からないが…俺らが守ってやるから安心しろ。いざとなったらコアの状態で俺の中に保管するから」
「…はっはい…頑張ります……」
自信無く返事をするディアナ、その隣でクルタナ達も浮かない表情をしている。
「賢者殿…そしてイサム、本当に大丈夫じゃろうか…私達が死んでから数十年は経っている。私を産み、子を産めなくなった母が次に行う事は、兵士の強化じゃ。私が居なくなったのが悪い方向に向かって無ければ良いのじゃが…」
「それは行ってみないと分からないが、少なくとも人を養殖し始めてから今まで、他国に攻める様な事はしていないな」
「そうですか…」
「大丈夫ですよクルタナ様、今回は美味しい食材もあるじゃないですか!」
「そっそうじゃな! 考えてても意味は無いな!」
サヤの言葉に、護衛の二人も笑顔で頷く。
「よし、準備が出来たら東の町【ラスタル】までは飛ばしてやろう」
『では私も暫くは主様の中へ戻ります』
「ああ、ありがとうな。ゆっくり休んでてくれ」
大きなあくびを一つしてユキはイサムの中へと消える。そこへノルとメルがメメルメーの余った肉を持ってこちらへやって来る。
「イサム様、女王に肉を試食して貰う時にでもお使い下さい。下処理も済ませてありますので直ぐに食べられる状態です」
「ありがとうノル、メル。一緒に行けないのは残念だが、何かあれば念話出来るしな」
「寂しくなったら念話致します」
「ははっそう言われると何か照れるな」
そこへ準備の終えたエリュオンとネルタクがやって来る。
「何が照れるのよ?」
「えっいや何でもないぞ…ははは…」
ジロリとイサムを疑いの目で見ながらディオナも準備を終えて向ってくる。
「おっお待たせ致しました!」
「ディアナ…それは荷物が多すぎじゃないか…?」
ディアナは、イサムが五人は入れそうな程の大きなリュックを背負って歩いてくるが、その底の方を引きずっている。だがその顔は、短時間で準備が完了した達成感に満ちおでこの汗も光っている。
イサムは手ぬぐいをアイテムボックスから取り出すと、ディアナの汗を拭く。
「あっイサム様、自分でふっ拭けます!」
「全部持っていくなら、俺のボックスに入れるかなぁ。一体何が入ってるんだ?」
「あっえと、その…長期間の旅を考え調理器具関係や寝具などです。変えの服とかもありますね」
イサムはリュックをボックスにしまうと、その中身の一覧が表示される。確かに調理器具や調味料なども複数あり、寝具や下着なども入っていた。イサムは一瞬はっとするが、それを気付かれない様にそっと表示を閉じる。
「各自準備が出来たようだな。イサム覚えていてくれ、許せる時間は約一ヶ月だ。その期限が来たら強制的にこちらに戻すから、イシュナとメリシュを助けるならそれまでに頼む」
「ああ、分かった」
「それと、今この大陸では各所で闇の動きが活発化してきている。私の人形達も対応しているが、現状は奴らの動きが察知し辛い。旅先で接触する可能性も高いだろうが、お前達なら大丈夫だ。必ず倒せると自信を持って欲しい」
イサム達は、全員が頷く。そこへルルルが小走りでやって来る。
「良かった間に合った。ラスタルの出口に移動手段を用意したわ。イサムの銃に反応する様にしてるから、直ぐに分かると思うわ」
「おお、助かるよ! ありがとうルルル!」
「必ずイシュナとメリシュを助けてね!」
「じゃぁ飛ばすぞ! 君達の成功を期待している!」
ロロルーシェはそう言い放つと指を鳴らし、その瞬間イサム達の姿が消える。
「では我々も始めようか、ルルルは【星の覚醒】の準備に取り掛かれ。ノルはタダルカスに、テテルはフェアリーガーデンへ向え。ルクットはルイナを送るついでにエルフの国へ行け、メルはリリルカのサポートを頼む」
全員が頷くと各自が指示通りに動き出した。闇の王復活までに各国の協力を得て、対抗しうる武力の確保とある秘策をルルルに頼み、ロロルーシェも次の準備へと向うのだった。