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香ばしい匂いが食欲をそそり、肉汁が広げられた網の下に滴る。手慣れた感じでノルとメルは長めのトングでメメルメーの肉を次々と並べていく。
「クルタナは先に生肉をどうぞ。頰肉と後ろ脚のモモ肉です」
「ありがとう。待ちに待ったメメルメーの肉じゃ…」
ゴクリと生唾を飲み込んだクルタナは、両手を合わせた後に一口大に切られた生肉を口に入れる。
モグモグと味わう様に食べ、そしてまた一口と次々に肉を口に運ぶ。
「なんじゃこれは…! なんじゃぁ! 今まで食べた肉の味など霞む程に美味いぞ!」
それを見ているサヤと護衛のガタとニトも涎が落ちない様に必死だ。
「サヤには生肉は駄目だろう。ガタとニトには同じく生肉を頼む!」
「どうぞ」
クルタナの後ろに立って眺めていたガタとニトにも別のテーブルが用意され、生肉を同じ様に出される。
「いっ頂きます!」
「いただきます!」
クルタナと同じ様に両手を合わせて食べ始めた二人は、口に入れた瞬間に泣き出した。
「ぶふっぅぅぅ、美味しいです…本当に…美味しい…!」
「うぅぅっううう……!」
ガタの言葉に泣きながら頷くニト。それを見ながらクルタナが嬉しそうに微笑む。そして焼き上がった肉がサヤにも出される。
「あっありがとうございます」
「味付けはまだしておりません。お好みで塩と胡椒をどうぞ」
「はい…いっいただきます」
手を合わせたサヤが焼き上がったメメルメーを口に入れる。芳醇な香りが口に広がり、全ての旨味を凝縮したその味が、溶ける様に口の中に消えていく。
「生きてて良かった…いえ…生き返って良かった…!」
それを見てイサム達も食べ始める。隅では泣きながら食べるマコチーの姿も見える。
「美味い! 美味い! 美味いぞ! がはははっ!」
以前食べた時よりも部位も量も多く、思う存分舌鼓を打つ仲間達を見ながら満足そうなイサムが、クルタナに尋ねる。
「メメルメーならリア族の女王も考えが変わるんじゃないか?」
「ああ! 申し分無い…いやそれ以上じゃ! それに、形態変化の魔法が完成したのが何より感謝すべき事じゃ、今まで数千年の間未完成のまま誰も成し得なかった魔法じゃからな!」
「姿なんて人それぞれだろ? どうしてそこまで自分の姿を嫌うんだ?」
「イサムよ、私の前の姿を見てどう思う? 何に似てる? 正直に答えてくれて構わない」
「えっ…あ…蟻みたいだけど……」
「そうじゃ、遥か昔に七つの種族に分かれた時に私達の祖先はシム…虫の力を得る進化…をした……いや、これは退化じゃろうな……その姿は様々であるが、人とかけ離れている姿としているのは私達シム族だけじゃ」
ロロルーシェは腕を組み少し離れた場所で食事をしているテテル達を見ながら微笑む。
「退化か……昔、私の知り合いも同じ事を言っていたよ…そしてシム族は人を嫌い喰う事で元の姿に戻れると信じた。実際は、今回の魔法で見せた通り古代の記憶を呼び戻せば良かったのだがな。何故中途半端のままで完成させなかったのか意図は分からないが、シム族の本質である嫉妬が影響していたのかもしれないな」
「だからこそ嬉しいのじゃ、人と呼べる姿に戻れた事はシムはもう人を喰う事を止める事が出来る。それにこれ程に美味い食材もあるのじゃ」
それを頷きテーブルに下りるタチュラ。いつもよりも更に小さくなり、クルタナ達を刺激しない様にしていた様だ。
「妾も嬉しく思います。これでようやくご主人様に我が身を捧げられますので」
「何でこんな所にモク族が! イサムの仲間なのか!?」
シム族の中でも対立があり、モク族はリア族を捕食する側の天敵である。
「ああそうだ。クルタナと同じでコアに命を保管している仲間でタチュラだ」
「宜しくお願い致します。妾と同様の白い肌を持つシム族に出会えて嬉しく思います」
「ふふふっそう言えばそうだな! 他のモク族とは違う様じゃ、宜しく頼むなタチュラ!」
「それで早速なのですが…妾にも形態変化の魔法を掛けて欲しいのです」
「それは構わないが……主であるイサムはそれで良いのか?」
「良いも悪いもタチュラが望むならそれが良いんじゃないか?」
「分かった。では賢者殿、サポートをお願い致します。タチュラはテーブルから降りてここへ」
タチュラがテーブルから降りて人と変わらない程の大きさへ戻ると、それを確認したクルタナが魔法を掛ける。それと同時にロロルーシェも魔法を掛けてタチュラの姿が徐々に変わっていく。
「和服と洋服が合わさった様な服だな…」
見た目は二十五歳程だろうか、透き通る様な白い肌が袖を通す上着は着物に近い作りだが、下は六角形の白い蜘蛛の巣をイメージした刺繍が大きくサイドにあしらったフリル付きの長めのスカートだ。
タチュラはウェーブのかかった艶のある綺麗な白い髪を、ミケットと同じメメルメーの革で作ったチョーカーで一つに束ねてから、編みこんでうなじを見せた色っぽい髪型をしている。
「例外なく綺麗なんだな……でも今までの能力は使えるのか? ほら、小さくなったりとか糸を使ったりとか」
「勿論で御座います」
タチュラは飛び上がりながら小さくなると、イサムの肩に乗りここぞとばかりに頬へキスをする。だが別のテーブルで見ていたエリュオンが立ち上がりながら声をあげて指を刺す。
「タチュラ! あんた何やってんのよ!」
ずかずかとイサムの元へと近寄るエリュオンの後ろでは、急に立ち上がった彼女に驚き椅子ごと後ろに倒れたネルタクの姿が見える。
「姿が変わったからってイサムが喜ぶと思ってるの!?」
「その通りですわ、何か文句があるのですか?」
「あるもある! おおありよ!」
「では、どちらがご主人さまに相応しいかこの場で決着をつけましょう!」
「望むところよ! そろそろハッキリさせたいと思ってたのよね!」
エリュオンは空間からフレイムタンを取り出し、タチュラはイサムの肩から飛び降りると大きく姿を変えて糸で剣を形作る。
「はぁ…戦うならもう少し離れた場所でやれよ……これからの打ち合わせがまだなんだから……」
イサムの言葉に一瞬二人の間に沈黙があったが、意を決した様に同時に野外調理場から離れてから戦いが始まった。
「それで、食事が終わったら直ぐに巣へ向うのか?」
「勿論そうしたい。メメルメーを分けてもらえるなら私達だけで向うつもりじゃ」
「そうですね、イサムさん方にこれ以上迷惑をお掛け出来ません」
「いや、どのみち巣を越えた先のミウ族の国の先に用事があるんだ。女王に許可を取らないと巣の上を通れないんだろ?」
「確かに勝手に通行する者が捕らえられ喰われるのを何度も見た。許可を取る方が良いじゃろう」
そこにロロルーシェが今回の旅について、この場所を離れる事が出来ない事を伝える。
「イサム、今回のイシュナを救う旅だが私達はこの迷宮から離れる事が出来ない。分かっているとは思うが、闇の王と戦う準備を始めるからだ」
「ああ、それは勿論。だったらエリュオンとタチュラ、ミケットとネルタクの四人は連れて行って良いのか?」
「そうだな……ミケットは三十層で助けた獣人達の集落で、長屋の作業を途中で投げ出して外に出たからな、彼女にはそちらを優先して貰おう。代わりにディオナを連れて行くと良い、今回の旅に様々な補助役が居ないのは大変だろう」
「そういえば料理や洗濯も楽しそうにテテルと働いていた気がするな、一国の女王だったとは全く思えないよ」
「ふふっディオナは元々女王をさせられていただけだからな、同い年のテテルとは気があう様だな。それに補助魔法もどうやら得意らしいから、新たに完成したシム族の形態変化魔法も彼女に教えといてやろう」
イサムとロロルーシェがディアナに視線を送ると、それに気が付いてビシッと背筋を伸ばして動かなくなる。
「よし、そうと決まれば食後直ぐに準備に取り掛かろう」
「そうだな、丁度リリルカも一段落付いた様だ。あの子が食事を終えたら準備を始めよう」
エリュオンとタチュラが遠くで戦っている間を何事も無いように歩いてくるリリルカ。そしてそれを気にもせずに戦う二人だが、リリルカに攻撃が当たる事はない。その後ろにはルイナとルクットが驚きながらも一緒に歩いてくる。
「ルイナも居たのか、それとあの隣のエルフは?」
「ああ、あれはルイナの姉のルクットだ。リリィとこの迷宮に挑戦して昔死んだのだが、今はオートマトンとして生きている」
「姉がエルフで妹はダークエルフなのか、あの国もあんな壁取り除けば良いのにな」
「そうは上手くいかないものなんだよ。一度出来た深い溝は中々消せないものだ、あいつらの仲の良さは特別だろうな」
こちらへと真っ直ぐに向ってきたリリルカが、新しく仲間になった四人にお辞儀をして挨拶を交わす。イサムが説明をして、ルイナとルクットがシム族の変化に驚きながらも一緒に食事を始める。それから暫くの時間が過ぎ、旅の準備を始めようと各自が動き出していた。