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1.空き缶ロボット

 爪先で力一杯蹴られた彼女は、コーンと大きな音を立て真っ青な空に舞った。銀色の身体で日の光を反射しながらくるくると回転し、短い青草の茂る丘の斜面に見事な着地を決め、すかさず転がって、どんどんスピードを上げる。縦になり、横になり、ときどき跳ねて、草の間を切り裂くように突っ走るのは、なんとも爽快だった。何度か小さなジャンプをして、彼女は草の間に顔をのぞかせていた白い石に思いっきりぶつかると、その反動を利用してひときわ大きなジャンプを放ち、新芽を吹く生垣を飛び越えた。転がり込んだ先は、大きなお屋敷の庭。ああ、しまった――と彼女は調子に乗った自分を悔やんだ。なぜなら、そこはK博士のお屋敷だったからだ。

 K博士は、丘の下の街から離れたお屋敷に、独りぼっちで年寄りの黒猫と暮らす謎の男だった。月に一度か二度、山高帽をかぶり、ステッキを手に黒猫を抱きながら街へと散歩に出かけることもあるが、彼が何者で、独りぼっちで何をしているか、街の人たちは誰も知らなかった。なんと言っても彼のお屋敷の周辺では、時折、爆発音や不気味な閃光、さらにはUFOなどが目撃されるせいで、大人も子供も気味悪がって彼に関わろうとはしない。ただ、彼にまつわる噂は山ほど有った。実は世界征服を企むマッドサイエンティストだとか、実は密かに地球を調査に来た宇宙人だとか。中には、彼はこの世のものではなく、妖怪変化の類だと言う人もいる。

 縁側の戸がからりと開いて、屋敷の主が顔を覗かせる。K博士はきょろきょろと庭を見回し、白玉砂利の上に転がる彼女を見つけると、踏み石の上にあったつっかけを履いて庭に降りてきた。彼は、ちょっと錆の浮いたスチール缶ひょいと拾い上げ、首を傾げる。彼女はかつて、その身にシロップ漬けの白桃を詰めた桃缶だった。今はラベルもきれいさっぱりはがれて消えた、ただの空き缶。

「ごめんください!」

 玄関口の方から、少し上ずった少年の声が上がる。K博士はそちらを見やり、空き缶を持ったまま歩いて行った。玄関の前に、野球帽を両手でくしゃくしゃに握って立つ少年がいた。彼こそ彼女の主人、ショウタである。彼は小学三年生の幼い身ながら勇気を振り絞り、恐ろしいK博士の家へ単身乗り込んで、彼女を救いに来てくれたのだ。ショウタは、玄関ではなく脇からぬっと現れたK博士を見てたじろぐが、すぐに気を取り直して、ぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさい。丘で遊んでたら、空き缶がお庭に入ってしまったんです。取りに入っていいですか?」

 K博士が空き缶を差し出すと、少年は笑顔を浮かべ彼女を受け取り抱きしめた。

「ありがとう、K博士。これ、大事な友だちなんです!」

 K博士はぴくりと眉を上げ、訝しげにショウタを眺めた。さもありなん。空き缶が友だちなど、空き缶である彼女もおかしな話だと思う。しかし、それは仕方のない事だった。父の仕事の都合でこの街へやって来たばかりの彼には、まだ人間の友だちはいない。遊び相手と言えば、空き缶の彼女しかいないのだ。

 K博士は少し考え、ついて来いと言うように手を振って見せてから、おっかなびっくり後に続くショウタを引き連れ庭へと向かった。彼は庭の隅にあった角井戸の蓋を開け、その中へ入って行く。ショウタが覗き込むと、そこには暗い穴に向かって急な階段が伸びていた。どうする、ショウタくん? 口はきけないが、空き缶は主人に問いかけた。ショウタはひとつ頷いてから井戸の中へと足を突っ込み、そろそろと階段を降りはじめる。しかし、辺りはどんどん暗くなり、とうとう足元が見えなくなって彼は立ち往生した。ぱっと白熱球の黄色っぽい光が灯って辺りが明るくなる。見れば階段は、あとたったの一段。顔を上げると、頑丈そうな鉄の扉の前でK博士が待っていた。ショウタは最後の一段をえいやと降りて、K博士の側に駆け寄った。

 K博士が扉を開ける。薬品や金属やオイルの匂いが、扉の隙間から漂ってきた。真っ暗な部屋に入ったK博士が壁のスイッチを操作すると、天井一面が白く光り、室内を照らし出す。そこには用途不明の不思議な機器や、様々な色の液体を詰めたガラス瓶の棚や、ペール缶やら一斗缶やらドラム缶やらが雑然と並んでいた。ショウタが通う学校の教室よりも二回りは広そうな空間なのに、それのせいでずいぶん窮屈そうに見える。

 K博士はつかつかと部屋の中央にある作業台に歩み寄り、その上にあった設計図やら書類やらをぞんざいに押し退け、ショウタに向かって空き缶をそこへ置くように顎をしゃくって見せた。ショウタが恐る恐る空き缶を置く間に、K博士は白衣を着込み、薬品棚を物色する。彼はそこから取り出した二本の薬瓶を空き缶の横に置き、きょろきょろと辺りを見回してから大きなビーカーとピペットを見つけて持ってきた。空き缶をビーカーに放り込み、ガラス瓶の液体をどぼどぼと注ぎ込む。しばらく待ってから、別な薬瓶の液体をピペットから吸い出し、ビーカーの中に数滴垂らした。ぼふっと音を立てて、真っ白い煙が噴きあがる。K博士は頷き、ビーカーを流し場に持って行くと、ピンセットで空き缶を液体から摘まみ出し、水道の蛇口を捻って流水でじゃぶじゃぶとそれを洗った。空き缶は錆が消え、まるで新品のようにぴかぴかと輝いていた。

「すごい!」

 驚くショウタにK博士は指を振って見せた。どうやら、まだ何かあるらしい。彼は空き缶を用途不明の奇妙な装置に放り込み、ガラスの扉をぱたんと閉める。そうして、近くの操作盤にあるスイッチやらレバーやらボタンやらを、がちゃがちゃいじり始めた。装置はブンブン唸りを上げ、ガラス扉の向こうでは稲妻のような青白い光があふれる。しばらく経って、装置はボンと煙を噴いて止まった。

 空き缶は、たちこめる煙の中を歩き、ガラスの扉を手探りで見つけ、そっとそれを押し開けた。煙が晴れると、目を真ん丸にしたショウタが、K博士と並んで立っているのが見えた。彼は何をそんなに驚いているのだろう。

「どうかしたか、ショウタくん?」

 声が出た。空き缶は驚いて両手で口をふさぐ。両手? 視線を落とせば、そこには足もある。自分は、ついさっきまで、ただのありふれた空き缶だったはずだ。これは、どういう事だろう。

「K博士、ぼくの缶、しゃべってる。動いてる!」ショウタは目をキラキラに輝かせた。「名前、付けた方がいいよね。もう、ただの空き缶じゃないし?」

 少年の提案に、K博士は頷き同意した。

「よし、それじゃあ、今日から君はブリキンダーロボだ!」

 ちょっと待ってくれ、ショウタくん。いくらなんでも、そのネーミングセンスはひどい――と、再考を求めようとして、止めた。空き缶改めブリキンダーを高々と持ち上げ、満面の笑顔を向けて来る主人に何を言えようか。ブリキンダーは救いを求め、K博士を見た。彼は満足そうに頷いている。ブリキンダーはあきらめ、おかしな名前を甘んじて受け入れることにした。

 それからショウタとブリキンダーは、K博士に何度もお礼を言ってから家へと帰った。彼らを待っていたのは、母親の小言だった。

「よく知らない人から、物をもらうのはダメって言ってたでしょ。忘れたの?」

 母親と膝を突き合わせ正座するショウタは、しょんぼり頷いた。

「ちょっと待ってくれ、ヨリコさん」

 ショウタの横で同じく正座するブリキンダーは、おろおろと二人をとりなした。

「私はK博士に改造されただけで、元はショウタくんの空き缶なわけだから、誰かにもらった事にはならないはずだ」

「モモコさんは黙っててちょうだい」

 ショウタの母親のヨリコはぴしゃりと言った。モモコさん?

「だって、元は桃缶なんだから、モモコさんでしょ?」

「ちがうよ。ブリキンダーロボだよ」

 ショウタが口を挟んだ。

「いいえ、モモコさんよ。なんと言っても、女の子の声をしてるんだもの。ブリキンダーなんて、かっこいい名前じゃ似合わないわ」

 母子は睨みあった。

「わかった」ヨリコは折れた。「間を取って、テツコさんでどう?」

 ショウタは渋々頷いた。ブリキンダー改めテツコはがっかりした。彼女の主人のネーミングセンスは、どうやら遺伝だったようだ。

「とにかく、今から母さんと一緒にK博士のお家へ行くわよ。それで、せっかくですけど、こんなに高価なものはいただけませんって、テツコさんをお返しするの。いいわね?」

 話は終わりとばかりにヨリコはテツコを掴むと、大きなおなかを抱えながらよいしょと立ち上がった。テツコの記憶では、確か来月が予定日だ。

「そんなのダメだよ。テツコさんは、ぼくの友だちなんだ」

 ショウタも立ち上がり、いやいやと首を振る。

「そうだ。私はしゃべったり歩いたりは出来るようになったが、今までずっとショウタくんと一緒にいて、いっぱい遊んで貰った空き缶に変わりはないんだ。K博士に返すなんて、ひどいことを言わないでくれ。それに空き缶なんて、そんなにお高いものじゃないだろう?」

 ヨリコに掴まれたまま、テツコは両手を合わせて必死にお願いする。ヨリコはため息を落とし、二人に説明した。

「あのね、ショウタ。それに、テツコさんも聞いて。ロボットって、母さんの車が一〇台は買えるくらい高価なものなの。それもテツコさんみたいに、しゃべったり歩いたりするロボットになったら、もういくらになるか見当もつかないわ。例え元が桃缶でも、簡単にいただけるものじゃないの」

 ショウタは泣きそうな顔で何度も首を振った。ヨリコはふと苦笑し、観念してテツコをショウタに差し出した。ショウタは信じられないとでも言うように、目を丸くして母親を見つめた。ヨリコは頷いた。

「あんた、その桃缶、ずっと大事にしてきたもんね」

 二人は、わっと歓声を上げて抱き合い、その場でくるくると回り出した。

「でも、もう蹴っ飛ばして遊べないね」ショウタは残念そうに言った。「普通の空き缶じゃないから、そんなことしたら壊れちゃうよ」

「心配いらない、ショウタくん。データによれば、私の身体はすごく頑丈らしい。それに、蹴っ飛ばされて高く空を飛ぶのは、とても楽しいんだ。そうだ、K博士に頼んで飛行機能も付けてもらおうか?」

「それ、すごくいいアイディアだね!」

 盛り上がる息子とロボを微笑ましげに眺めてから、ヨリコはふと厳しい表情を浮かべた。

「ただし!」

 二人はぴたりと動きを止めた。

「明日、母さんと一緒にK博士のお家に行って、改めてちゃんとお礼をすること。いいわね?」

 二人は神妙に頷いた。

「でも、手ぶらで行くのは失礼よね。菓子折の一つも持って行かなきゃ」

「ぼく、どら焼きがいい!」

 ショウタが挙手して提案する。

「あんたが食べるんじゃないのよ?」

「わかってるよ」ショウタはぷくっと頬を膨らませた。「でも、自分が食べたいって思うものをあげた方が、K博士も嬉しいよね?」

 ヨリコはふむと考えた。

「一理あるわね。それじゃあ、明日は学校が終わったら、和菓子屋さんまで来てちょうだい。寄り道は絶対禁止」

 ショウタは「了解」と敬礼で応じた。


 朝になって、ショウタはヨリコに見送られ学校へ向かった。ヨリコは家事に取り掛かるが、大きなおなかを抱えて動き回るのはなかなか大変なようで、何をするにも再々に手を止め、ふうふうと息をつく。

「手伝おう」

 見かねてテツコが言うと、ヨリコは不審の目を向けてきた。しかし、テツコが洗濯物を干し、食器を洗い、お風呂とトイレをピカピカに磨きあげると、彼女は難しい顔で唸った。

「どら焼きなんかより、もっとお高いものを持って行く方がよくないかしら?」

「いや、どら焼きでいいだろう。ショウタくんが決めたことだ」

「そう? それじゃあ、時間まで休憩しようか。おかげで午前中にやることが、みんな片付いちゃったわ。ありがとう、テツコさん」

 それから二人で、主人公がうんざりするほど不幸に見舞われるドラマと、芸能人の醜聞が満載のワイドショーを鑑賞して時間を潰し、ショウタの下校時間になったところでヨリコの軽自動車に乗り込んだ。和菓子屋までは一〇分と掛からなかった。二人は六個入りのどら焼きを買い、店員に事情を告げ、喫食スペースでショウタを待たせてもらうことにした。ヨリコは椅子に腰かけ、テツコはテーブルの上に乗って、先ほど見た昼ドラの話題に興じていると、店員が麦茶を二つ持ってきてくれた。テツコが礼を言うと、店員は「ミシン油の方がよかったかしら」とぶつぶつ言いながら店番に戻って行く。しかし、麦茶の氷がすっかり融けても、ショウタは来なかった。どこかで寄り道でもしてるのだろうか。

「迎えに行ってくる」

 テツコはすくと立ち上がり、テーブルから飛び降りた。

「ありがとう、テツコさん。見付けたら急いで来るように言ってちょうだい」

「了解」

 と、テツコは敬礼を一つくれて、店を飛び出した。

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