魔弾の射手
一瞬で視界が変わった。
今まで感じたことのないこの感覚に、蓮は少し違和感を覚える。
「これがテレポートか。こんな経験は初めてだ。気分の良いものではないな」
そう言う蓮に言葉を返すのは美夜だ。
「静かに。今から気配を消すわ。その狼どもに気づかれたら元も子もないのよ」
その言葉で、太陽は開きかけていた口を閉じた。蓮もバツの悪い顔をした。
恐らく、美夜が祝福の名を宣誓する時、ぼそぼそと呟くように言うのは、この祝福のそういう特性が影響しているのかもしれない。
「行くわよ」
美夜の目から、赤い意思が光となって迸る。
「対象は私達3人、対象は世界。求めるは気配の隠蔽――」
宣誓する。
「――宣誓、『存在上の嘘憑き』」
ふわり、と、白いモヤのようなそれが3人を包んだ。
「これで私達の気配は完全に消滅したわ。視認されない限り、狼どもは私達に気付け無いわ」
と、言うか、と美夜は続ける。
「本当に狼、居るのかしら?」
そう言って基地がある方向に目を向ける。確かに、基地のものと思われる建物は視認できるが、肉眼では2キロも先の敵は見えないだろう。しかし
「爆発した」
その基地から、爆発の光と煙が上がっている。太陽の話によれば、その狼たちは爆発を起こす祝福を受けていたはずだ。やはり狼は居るのだろう。
「今から狙撃の準備をする。耳がイカれないように耳栓でもしておいた方がいい」
蓮はそう言ってヘッドホンを装着する。そうして、ジェラルミンケースを降ろして開けると、中に入っているのは分解された『BCCアポロンA3カスタム』だ。
それを組み立てながら、蓮は聞いた。
「まだあそこに居るという……、タケさん、だったか? 大丈夫なのか? 何度も爆発しているが……」
「大丈夫よ。タケさんの祝福は、防御に使うのだとすれば最強クラスの祝福よ」
「タケさんならあの程度は余裕っすよ!」
「そうか。それなら良い」
蓮は安心する。アポロンA3は対物質大型狙撃銃だ。その弾丸の威力は、人を狙撃するためではなく、戦車や建築物を破壊するための威力。だから、その弾丸は、並の生物ならば掠っただけで抉り取るだけの威力がある。もしそこにいる「タケさん」に防御力がないのならば、或いは狙撃の邪魔になる可能性があったからだ。
組み立て終わったライフルを設置し、うつ伏せになってスコープを覗き込む。装着されたスコープの倍率は10倍。2キロの距離は、200メートルの距離に置き換えられる。
また深呼吸。
ヘッドホンのスイッチを入れ、ヘッドホンの爆発音などを弱める機能をアクティブにした。
集中をスコープに戻す。観察すると、確かに狼たちがいる。そして、それらを相手に立ちまわる一人の男も見えた。
その男は確かに、圧倒的な防御力を誇っているようにみえる。狼の繰り出す爆発は男を不自然に避ける。男から一定の範囲に侵襲するエネルギーを排斥しているようにも見える。
そして男の奮戦むなしく、地面は確かに掘り進められている。もう既に大分掘り返されているようで、時間は無い。
「征くぞ」
蓮はそう呟く。それは自分に言い聞かせる言葉でもある。
言い聞かせたなら、後は自分の意志一つ。ならばもう、それだけで十二分。集中する。それは意思の統一。強靭なる意思への突入。
更に深呼吸。
その意思は一つ。狼の殲滅。強靭な意思は、真紅の光となって迸る。
「対象は狼、我が剣は弾丸、求めるは必中」
宣誓する。
「――我が弾丸の必中、『かく示された』!」
世界が数字に置換される。耳から入る音は正弦波の数式となり、鼻からの香りは化学反応を表す数式に置き換わる。見える世界は関数の組み合わせに変化していく。
世界の数字は流動する。やがて流動する数字も関数に置換され、あらゆる事象が、物象が、法則を持った数式になっていく。
そしてその数字の波から、狙撃に必要な情報を全てピックアップしていく。
狼の動き、自分の筋肉の振動、鼓動、銃のブレ、火薬による反動、風の流れ――
すべてが揃ったら、後は引き金を19回引くだけ。
1発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。次弾装填。
2発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。次弾装填。
3発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。次弾装填。
4発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。次弾装填。
5発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。次弾装填。
ここで弾倉の弾丸が尽きる。弾倉を外し、2つ目の弾倉を装着する。
6発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。次弾装填。
7発目、ヒット。ボルトを操作して排莢。……
8発目、ヒット。………
……
必中の魔弾を撃ち続ける。
精密機械のように運び続ける。
音速の死を。
◆◆◆
「す、すげえ……」
太陽は、双眼鏡を覗きこんでいた。その先にいる狼たちは、弾丸の発射音とともに、一匹ずつ数を減らしていく。双眼鏡を持たない美夜は、太陽に聞いた。
「それほどなの? 蓮の狙撃の腕は?」
「す、すげえなんてもんじゃ無いっすよ」
狙撃とは本来、1キロで神業という世界だ。2キロ先の動く敵を、何匹も立て続けに射殺するなど、最早人間の技術ではない。しかも、彼の放つ弾丸は、
「……全て正確に、頭を撃ち抜いている」
「それは……」
美夜は思う。もし仮に狙撃銃を渡されて、この地点から狙撃するとして、それが美夜には可能だろうか。この魔境で生きている以上、美夜とて銃を使うことはよくあるし、今,
美夜が持ってきたのも、H&K MP5A5という比較的小型のサブマシンガンだ。
それを使って、50メートルの距離ですら外すことはままあるのだ。そもそもサブマシンガンが、連射数でカバーするからこそ当たる武器である、ということを考えても、やはり美夜には不可能のように思える。
美夜は思う。この蓮という男、一体何者なのだ。これほどに高度な狙撃技術、何処かで訓練などしなければ、到底身につくようなものではない。いや、訓練した程度で身につく技術なのか?蓮の動きを見る限り、その狙撃技術は、祝福によるだけとは思えない。
「あ」
ふと、太陽が声を上げた。
「19匹目、ヒットっす」
神楽蓮は、全ての弾丸を命中させた。
用語解説
『存在上の嘘憑き』:嘉宮美夜の祝福。指定した味方の気配を完全に遮断する。目視されてしまうと、その効果は消える。