発現する意思
イザによって送り出された蓮は、気付くと、緑に侵食された鉄筋コンクリートの建物に居た。
蓮は溜息をついた。その溜息に含まれていたのは一体なんだろう。無事、『永久不可侵』の内側に到達できた安堵か、それとも、まだ道のりは遠そうだ、という無念か。
どちらにせよ、蓮は到達した。この人外魔境へ。
「イザの言葉を信じるなら、人はまだ生きているはずだ。と、すれば、食料の確保は少なくとも可能だということ」
それならば、まず優先すべきはそれだ。
「そして、人が生きている、ということは、何処かに人はコミュニティーを形成しているはず」
人は群れで生きる生き物だ。たとい『永久不可侵』から祝福を受けて、理外の力を得ているのだとしても、それはきっと変わらない。実際には一人で生きれても、人は他人との関わりがないと狂い死ぬ。それを蓮は「訓練」で学んでいた。
蓮は右肩から下げていた、縦1メートルほどの縦長のジュラルミンケースを降ろした。その中には、「訓練」を共に歩んだ相棒が収められている。
ジェラルミンケースを開けると、中に入っていたのは分解された1丁の狙撃銃。7年前に創業した銃器メーカー「ブルーキャンバス社」の限定モデル。それはある条件を満たした一人にしか渡されない、特別な1丁だ。
銃の名は「BCCアポロンA3カスタム」
ブルーキャンバス製の対物ライフル。12.7口径のボルトアクション。ウッドストック仕様で銃身長は720ミリ。仕様弾丸は12.7×99ミリNATO弾。装弾数5発で有効射程は1.9キロ。
もしイザの言葉が嘘でないなら、この周辺は人外魔境になっているはずだ。と、するならば守りの武器は必要不可欠。取り回し辛い大型の銃器ではあるが、現在、武器として使えそうなのはこれと、大ぶりのアーミーナイフ、そして体術。理外の力を振るうという魔境の生物たちを相手取るならば、ナイフと体術は少々頼りない。ならばこれくらいの武器は必要なはずだ。
蓮はケースを背負うと、アポロンA3をベルトで肩から吊り下げた。
「まずは継続的に生存可能な状況を作る」
自分の目的を確認するように呟く。これは蓮のクセでもあった。
蓮は廃墟を出て、魔境に踏み出す。此処から先で、常識は通用しない。そう自分に言い聞かせながら。
◆◆◆
人外魔境は、殆どが緑に覆われていた。鳥のさえずりも聞こえる。
(この可愛らしい声でさえずる鳥も、この魔境を生き残れる祝福を受けた理外の化け物なのか)
そう考えると、何処か残念なような、この魔境の恐ろしさに身震いするような、不思議な感覚を覚える。ここで蓮はふと気付いた。
この魔境で生きている生物は、皆『祝福』を受けているのだ。
それは、植物でも例外ではない。
身の毛のよだつ感覚。その植物が人間に害をなすとは限らないが、先ほどの廃墟を覆っていた蔦も、今足元に生えている雑草も、群生する背の高いススキも、やけに目につくポプラの木も。
もしかしたら自分など簡単に死んでしまうのではないか。そう考えだすと不安はとどまることを知らない。
冷静に考えてみる。今までの隙だらけだった蓮を襲わなかったことを考えると、植物に害意は無いだろう。むしろ、植物に意思というのがあるのか、というのも問題だ。『祝福』が与えられた以上、何らかの意思は持っているのかもしれないが、その意思はきっと、もっと本能的な「生きたい、光を浴びたい、水がほしい」といった類のものだろう。
ならばやはり、恐るべきは動物だろう。植物の中にも害意なすものは居るかもしれないが、明確に餌を求める意思を持った動物のほうが厄介には違いない。
もう一度意識を集中して、魔境の探索を続ける。
◆◆◆
蓮は川にそって移動していた。それは川の囲まれづらく、逃げやすい構造や、見通しが効くことなどが理由に挙げられた。だがそれ以上に、人が生きる以上、肉となる動物が集まり、魚を捕らえることが出来、飲水も確保できる川に、少なくない頻度で訪れていると踏んだからだ。
そしてその予想は当たった。
蓮はかなり目が効く。だから1キロ先のその異変にも気付くことが出来た。
そこでは、人がカラスに襲われていた。いや、ただのカラスではない。驚くほどの巨体を持った、三つ足のカラスだ。
(なんだあれはっ!?)
3メートルはあろうかという翼を広げ、カラスは一人を襲っていた。それが男か女かは判別しきれない。それは距離のせいで分からないというのもあるが、それ以上に。
その少女が血まみれの状態だったからだ。
「今助ける……!」
蓮はその場に座り込み、アポロンA3を構える。1キロメートル狙撃とは本来、それほど簡単なことでは無い。ブルーキャンバスの技術の粋を詰め込んだこのライフルならば精度はかなり上がるが、それでも一筋縄ではいかない。
更に、カラスは動く。それは巨体からは想像もできないような速度で、だ。
弾丸の数は限られている。蓮はそもそも、100%の善意から襲われている人を助けようとしているわけではない。その人間が属しているコミュニティに加わらせてもらおう、という打算もあった。だからこそ貴重な弾丸を使う気になったのだ。その総数に余裕は無い。
しかし、冷静に狙いを定めるのに時間を使って、あの人が死んでしまってはそれこそ意味が無い。
外せない、時間もない。
焦りだけが蓮を支配する。ここは諦めて逃げるか?しかし、あのカラスがあの人間を食べた後、蓮を襲わないとは言い切れない。気づかれないうちに仕留めるべきだ。幸い、あのカラス以外の動物の気配は半径1キロには無い。
銃声が敵を寄せ付けることもない、正に絶好の機会。ならばやはり回答は一つ。
絶対に、当てる――!
強靭な意思。『永久不可侵』に選定された蓮は、ここで諦めるような男ではない。そして強烈な『意思』こそが、祝福の発動のキーとなる。
意思の奔流が、蓮の目から赤い光となって迸る。
――此処に宣誓せよ。
『永久不可侵』からの声が聴こえる。蓮は答える。意思を言葉として紡ぐために。
「敵はカラス、守るべくは彼の者、我が剣は弾丸、求めるは必中――」
契約は果たされた。蓮の『祝福』が、今、顕現する。
用語解説
『ブルーキャンバス社』:アメリカの新興銃器メーカー。射撃の精密性と、人間工学に基づく取り回しやすいデザインが特徴。
『BCCアポロンA3カスタム』:ブルーキャンバス製の対物狙撃ライフル、ある条件を満たしたものだけが持てる、特別な一丁。12.7口径のボルトアクション。ウッドストック仕様で銃身長は720ミリ。仕様弾丸は12.7×99ミリNATO弾。装弾数5発で有効射程は1.9キロ。
(ちなみにモデルとなった銃はPGMヘカートⅡ。ヘカートと同じく『遠矢射る』の意味を持つ神アポロンから名前を拝借。あとは適当)
『祝福』:意志の力によって発現する理外の力。人外魔境では植物に至るまで、すべての生物がこの力を有しているようだ。