虹色の侵食
虹色が、蓮の体を侵食する。
痛い。永久不可侵に飛び込んだ瞬間、猛烈な痛みが蓮の体に襲いかかった。虹色が、体の中に入り込んでくる。視界は虹色で覆われ、虹色が、痛みとともに蓮の体を蝕む。
蓮は、痛みに耐え続けた。
彼女に合うまでは、挫折する訳にはいかない。その一心で。
突如、猛烈な痛みが消え、虹色で埋め尽くされた視界が晴れた。
「……何だ」
そこは、白い箱だった。まるで病室のような印象を受けた。
急に痛みから開放された蓮は、肩すかしな気分を味わっていた。或いはあのまま永久に苦しみを享受するかも知れないとまで、覚悟を決めていたのに。
もし、そうだったとしても、蓮は耐え切るつもりで居た。彼女もその痛みに耐えたのなら、理由としては十分すぎるほど十分だ。
「そう、それだよ。だから君は痛みから開放された」
突如響いた声に、蓮は振り返る。そこに居たのは、人。女にも男にも見え、老人にも若者にも見える。しかしそれが人であることは理解できた。それは人だった。
「やあ、初めましてだね、蓮くん。僕はイザって言うんだ。よろしく」
イザと名乗ったそれは、手を差し出した。蓮は疑いの目を向ける。
「お前は、何だ? 此処は何処だ? それとも、ここが永久不可侵の内側なのか」
「やあやあ、質問が多いね、蓮くんは」
「そう、それもだ。何故俺の名前を知っている」
蓮の言葉に、イザは首をすくめた。
「人が質問が多いって言ってるのに、更に質問を重ねるんだね、君は」
蓮は、すまない、と言って、
「答えられないのならば良い」
そう言ってから、イザの横を通って、その奥に向かった。
「え、ちょっと待ってよ!蓮くん!答える、全部答えるよ!」
蓮は不思議そうな顔をした。
「? 答えられるのか。ならば初めからそう言ってくれ」
「ああ、もう。言葉のキャッチボールだよ。ちょっとしたじゃれ合いじゃないか。君は話しづらいなあ」
そう言ってイザは、言葉を続ける。
「最初から答えていくよ。僕が何者か、だっけ? 僕はイザだ。人であり人でない。概念だと思ってくれればいい」
「最初から曖昧な答えだな」
「つまり、そういう事だよ。僕が何者かなんてのは、気にするだけ無駄ってこと。きっと限りなく近い答えには到達できるけど、僕の本質には絶対に到達できない。漸近線みたいなものなのさ。僕は」
「そうか。……よく分からないが、詮索するだけ無駄と受け取っても構わないか?」
「うん、それでいいよ。で、2つ目の質問、此処は何処か、だけど、確かに、ここは『永久不可侵』の内側だよ。でも、ちょっと違う。永久不可侵の内側の一部分に、僕がつくった空間だよ」
空間を作る。随分とオーバーテクノロジーな発言に、蓮は訝しげな顔をした。
「空間を、作る? 胡乱な響きだな。確かに『永久不可侵』にもそういう趣きはあったが……」
「そういう事。永久不可侵の内側では、理を超えた力を持つ者達が跳梁跋扈している。それは人もしかり、人外もしかり」
そういうとイザは、不敵に笑った。
「つまり、僕もそういった理を超えた力を持つ者、というわけだ」
「成る程。まさしく人外魔境だな、それは。入った者が帰ってこれないわけだ」
その通り、と言ってイザは、蓮の目を見た。
「そう。そんな中で生き残れるのは、『永久不可侵』に選定された意志ある者達、つまり、『理を超えた力を持つ者』だけ」
蓮は、納得した、とばかりに頷いた。
「そうか、あの虹色の侵食が、『永久不可侵』による選定か」
「物分かりがよくていいね。『永久不可侵』が認めるのは意志がある者だけだ。その点では君は、とても強い意思を持っているよね」
蓮は、深く頷いた。
「ああ。……だが、何故、そこまで知っている?」
イザは笑う
「その質問への答えは、3つ目の質問……、何故君の名前を知っていたか、への答えと一緒にさせてもらおう」
イザは、一度目を閉じ、一度息を吸ってから、蓮の目を見た。
「それはね、他ならぬ『彼女』から聞いたからだよ」
蓮の目が見開かれた。
「知っているのか!? 何処に居るんだ!?」
しかしイザは動じない。
「それは僕から言うことじゃない。君の力で探し出すものだ。ふふ、でも安心していい。つまり彼女も『選ばれた』ということだよ。彼女は生きてる。……そうだな、代わりと言っては何だけど、僕は君にプレゼントを一つ用意している」
イザはその手を、蓮の目の前にかざした。その手から漏れだしたのは、虹色の光。
「……この光は? もしかして、イザ。お前は……」
「おっと、それ以上は禁句だ」
イザは蓮の言葉を遮る。蓮は怪訝な顔をする。蓮がその反応をしたのはイザの言葉に対してもだが、その虹色の光が、『永久不可侵』のそれと違って痛みを伴わなかったからだ。
いや、そもそも『永久不可侵』の性質とは、痛みとは違うのではないか。そんな蓮の考えを、イザの言葉が遮った。
「君は『永久不可侵』に認められた権利人となった。君の『意志』に祝福を与えよう」
次第に蓮の視界が霞んでいく。イザの姿が、部屋が、霞んでいく。
「君への祝福、その名は『かく示された』。ふふっ、君には相応しすぎるほど似つかわしいのじゃないかな」
虹色に流されていく視界の奥で、イザが微笑んだ。
「君が彼女と出会えることを、僕は願っているよ」
視界が光で閉ざされた。イザの声だけが響く。
「君の前には素晴らしい未来が待っているはずさ! 君に与えられた祝福で、証明するんだ。この世界の歪さを!」
声すらも聞こえなくなった。蓮の体は光の奔流に流され、真に『永久不可侵』の内側へ運ばれていく。
その声は、或いは蓮の耳には届かなかったかもしれない。けれど、イザは、蓮に向かって言った。
それは『永久不可侵』に向かうものへの社交辞令であり、同時に心からの声援。
「よい旅を!」
希望と絶望の未来が、『永久不可侵』の内側で、蓮を待っていた。
用語解説
『イザ』:人のように見える謎の生命。『永久不可侵』の虹色と深い関わりがあるようだ。蓮の探している『彼女』を知っている。
『祝福』:『永久不可侵』に認められた者に与えられる理外の力。
『かく示された』:蓮に与えられた祝福の名。その力の実態はまだ不明。
『人外魔境』:『東京崩壊』以降、『祝福』を与えられた動植物だけが生き残り、首都圏はまさしく人外魔境となっているようだ。