不可侵への侵攻
初投稿です。どうかお手柔らかに。
「ダメだ、東京には行かせない」
「俺は東京に行かなきゃいけない」
綺麗に舗装されていた頃の面影は、その道路にはない。まるでアスファルトで出来た石畳のような、亀裂だらけのその道路。その上に立つのは、大きなジュラルミンケースを背負い、トレンチコートに身を包む若い男と、軍服をしっかりと着込んだ、40代くらいの男だ。
トレンチコートの男は道を通してくれとせがむ。軍服の男は、その男を通す訳にはいかない。
「何故東京に行きたがるんだ。あんな危険な所、行かせる訳にはいかない。悪いことは言わない。田舎に戻って家業でも継いでくれ」
「俺はそれでも行かなきゃいけない」
「何故だ。君も知ってるだろう、東京はもはや東京じゃない」
軍服の男は、トレンチコートの男の肩を掴んだ。
「そもそも、君は東京に入ったら、帰ってこれないかもしれないんだぞ。君にだって大切な人は居るはずだ」
「いる」
「ならば戻って。東京崩壊いらい、東京に入って戻って来た奴はいないんだぞ」
「知っている」
トレンチコートの男は、ここで初めて、軍服の男の目を見た。
「俺の大切な人は、永久不可侵の向こう側に居る」
「な……!?」
永久不可侵。それは、6年前に首都圏とその外周の間に発生した「虹色の壁」の名前である。この壁が発生してから、その壁より内側から外に出てきた人間はいない。人工衛星からも、壁の内側はまるで切り取られたかのように見えなくなってしまっていた。
首都圏が日本から切り離されたこの事件を、人々は東京崩壊と呼んだ。
「じゃあ、君の友人が、家族か?それとも恋人か……、東京に居るのか?」
「ああ。東京崩壊の前、上京して、大学に通っていた」
トレンチコートの男は、初めて、表情らしい表情を見せた。その顔色は、薄暗い、後悔の色。
「俺の片思いだった。俺も彼女と同じ大学に行くはずだった。だが……」
軍服の男は、皆まで言うな、とトレンチコートの男の話を止めた。
「君の気持ちは痛いほど分かった。俺の家族も東京にいたんだ。だが、私も軍の上層部からの命令だ。君を通す訳にはいかない」
「……」
トレンチコートの男は、表情を曇らせた。しかし軍服の男は、小さな声で告げる。
「だから、私は何も見ていない。だから、君が私の目を盗んで勝手に東京に入った。いいね?」
トレンチコートの男は、驚いた顔をして、すぐに目線を下げた。
「ありがとう」
「構わないよ。そうだ、代わりにと言っちゃ何だが、俺のお袋もあの内側に居るんだ。お袋を見つけたら、俺は、龍助は元気だったと伝えてくれ」
「分かった。その母上の名は?」
「由美子だ。佐藤由美子。君の名前も聞いておくよ。君が戻ってこないのならば、私は君の名前を胸に刻んでおく」
「済まない。俺の名前は、神楽。神楽蓮だ」
そう言ってトレンチコートの男は、蓮は、道の向こうへ消えていった。虹色の永久不可侵に向かって。
軍服の男は、もはや見えなくなった若い男の背中に、最大限の祝福を送る。
「よい旅を」
軍服の男は、また、持ち場に戻る。また一人、殺してしまったのかも知れない。その罪悪感とともに、手元のメモに、蓮と名乗った男の名を刻んだ。
◆◆◆
蓮は、荒れ果てた道路を歩いて行く。かつて人が行き来したであろう道路は緑に侵食され、鉄筋コンクリートは古代遺跡の様相を呈している。たった5年の歳月が、無人都市を侵食した。
「いや、むしろ、人類に侵食されていた自然が、元に戻っているだけかもしれない」
そう呟いて、蓮は、いや、それも人類の高慢だな、と自嘲気味に笑った。人類も、自然の一部でしか無い。それが彼と、彼女のモットーだった。
歩くこと30分、蓮は、見た。
「あれか。あれが永久不可侵」
まさしく、虹色の壁。遥か天上まで続く虹色の壁がはるか地平線の彼方まで続いている。
「これほど大きなものが、遠くからでは視認すら出来ない。不思議なことだ」
そう言って、蓮は大きく吸った息を吐いた。
「5年か。……長かった。俺はまた、お前に会いに行く」
永久不可侵に飛び込むことに、覚悟など必要なかった。そんな覚悟は、5年前に決めていた。だから蓮は、気負いなく虹色の壁を通り抜けた。
また、彼女に合うために。
用語解説
『東京崩壊』:5年前、首都圏一帯が抜け落ちた事件。
『永久不可侵』:首都圏との間に突如出現した虹色の壁。この内部をうかがい知ることは出来ず、この内側から帰ってきた者、脱出した者は居ない。
『国防軍』:某年に自衛隊から改名。永久不可侵へ侵入しようとする者を咎める役割も担っている。