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第三話 シャーナ・アンスリウムの闘い




 シャーナ・アンスリウムは、風で顔にかかった桃色の髪をそっと耳にかける。四階建ての校舎の上は少々寒さを感じるものの、我慢ができないほどではない。日が傾き、青から赤へと変わろうとするグラデーションが、上空に広がっていた。


「……先に謝らせてください。先ほどのエトワードさん達の会話を、偶然とはいえ立ち聞きしてしまいました。申し訳ありません」

「いや、本人がいないところで勝手に噂話をしていた俺たちも悪かった。……正直、全く気配が感じなかったんだがな」

「隠密は得意分野ですから」

「なんでもヒロイン力で片付けられると思うなよ」


 ベルだってさすがにそれは……、とまで思ったが、普通に出来てしまいそうだった。シュレインの目は、綺麗な夕暮れを眩しそうに見つめる。ヒロイン力に色々諦めがついてきた。


「……それで、せっかく本人がいるのだから聞かせてもらう。入学式から一週間、ずっと入院していたのか?」

「はい、お恥ずかしい限りですが。……しかし、それに心配や同情は必要ありません。私の未熟が招いてしまったことですから。弱みに付け込むなんて、そんな卑怯なことは……何より私自身が許せません」

「……そうか」


 シャーナの芯の通った声に、シュレインは呆れたようにうなずいた。そして、自分が彼女を当たり前のように受け入れていた理由が、なんとなくわかった。正直シュレインはこの7年間、ヒロインと呼ばれる少女に嫉妬していたのだ。だからもしこの学園に、本当にヒロインがいたのなら、文句の一つぐらい言ってしまっていただろう。


 それなのに、彼女が自分の婚約者の隣にいる光景が、当たり前になっていた。それは彼女が、どこか自分の大切な人に似ていたからかもしれない。努力の上で立っていることがわかったからかもしれない。彼女がベルフレイアを見る目が、優しかったからかもしれない。それら、全てなのかもしれない。


 少なくとも、シュレインはシャーナに対して、悪感情はない。多少面白くない感情はあっても、それは彼女自身に対してではなかったからだ。


「なぁ、ヒロ……もう名前で呼ばせてもらってもいいか?」

「へっ……? あっ、えっと、はいっ、こちらは構いません」

「そうか、ありがとう。その……なんでシャーナは、ベルのライバルなんだ。彼女の『ヒロイン』であろうと、努力をし続けているんだ?」


 名前を呼ばれたことに目を見開く彼女を見据えながら、シュレインは確信を口にした。ヒロインという存在だからではなく、シャーナという個人を認めたからこそ、彼は真っ直ぐに尋ねた。その思いを受け取った彼女は、すぐに動揺を抑えてみせた。


 そして、どこか困ったように微笑んだ。


「そうですね。全部は話せませんが、それでもよろしいですか?」

「あぁ、かまわない」

「……私が変わったのは、今から7年前のことです。それまでの私は、本当に普通のどこにでもいる女の子だったと思います。絵本が大好きで、それこそ白馬の王子様とかに憧れちゃっていました。今でもちょっぴり、憧れちゃっていますけどね」


 『7年前』という言葉にピクリッ、と僅かに肩が動いたが、シュレインは話の続きを促した。先ほどフィオルから聞いた話にも出てきた、7年前という言葉。……シュレインとベルフレイアが出会ったのも、丁度7年前のことであった。



 今から7年前、シャーナ・アンスリウムは一つの大きな出会いをした。それは偶然のようで、まるで必然であったかのように。その出会いが、9歳だった少女の知識と意識に変革を及ぼした。彼女が努力を始めたのも、この学園に入ることを決めたのも、本当はベルフレイアのことを知っていたのも、シュレインやフィオルの個人情報に微笑ましい気持ちになってしまったのも、全てはその出会いがきっかけであった。


 9歳だった少女は、母親に連れられて街の中で買い物をしていた。シャーナの家はそこまで家柄が高い訳ではない、貴族の中では中流といってもいい立場である。それでも、本来なら使用人に任せてもいい買い物をしていたのは、彼女の母親の趣味としか言いようがない。それに連れられることが多かったシャーナは、よく街に顔を出していたのであった。


 そんなある日の買い物帰り。貴族の邸宅が並ぶ通りを歩いていた時、シャーナは向かい側からものすごい勢いで走ってくる人物を目撃した。彼女が驚きに目を丸くしてしまったのは、その人物が自分と変わらない年頃の少女であったからだ。まるで空に浮かぶ太陽のような輝く金色の髪を持った、お姫様のようなとても綺麗な女の子。


 そんな綺麗な子が……すごい汗だくで、目が爛々と輝きながら、雄叫びをあげて全力疾走をしている。ぶっちゃけ、未知との遭遇であった。



「打倒ォォォーー、ヒロイィィィィーーーンッ!!」


 その少女は、シャーナのすぐ横を猛スピードで走り抜けていった。その邂逅に数秒間ほど思考が止まってしまったのは、仕方がないことだろう。ヒロインって何? と思った瞬間、彼女は気づいてしまった。そして、ふらふらと倒れ込んでしまったのだ。それに驚いた母親が、慌てて彼女を病院へと連れて行く。シャーナの初入院記録は、こうして生まれた。



 ベッドから起き上がり、彼女のことも、自分のことも知ってしまったシャーナ・アンスリウム。思い出した当初は、顔を真っ赤にして、憧れだった王子様たちとの恋に悶えてしまった。9歳の少女には、刺激が強すぎたのだ。だが、すぐに冷静になれたのは、やはりあの時すれ違った金色の少女。ベルフレイア・アルンストと呼ばれる、己のライバルになるはずの人物であった。


 おそらく彼女は、自分と同じようにこの世界の知識を持っている。そうでなければ、『打倒ヒロイン』という言葉が彼女から出てくることはない。しかし、シャーナは知識を持っているであろう彼女に会いに行こうとは思わなかった。むしろベルフレイアと会うことに、躊躇してしまった理由は二つある。


 まず単純に、家柄的に彼女と会うことに抵抗があったのだ。自意識が芽生えたシャーナは、もし自分が勝手な行動をしたことで、家に迷惑をかける訳にはいかないと思った。貴族の社会とは、子どもだけの世界では、時に済まされない場合もあったからだ。


 そして何より、自分が彼女から完全に敵視されていたことである。のこのこ会いに行ったら、あの勢いで本当に打倒されそうだと思った。9歳のシャーナは、一発KOされる自分がありありと浮かんでしまった。これは慎重にならないと、というか学園に入ったら絶対に会っちゃうよね。そんな堂々巡り。その時の彼女の心情は、計り知れないものであっただろう。


「そ、そうです。まずはアルンストさんが、どんな人なのかを知るべきです。それで話し合いに持ち込めるように、頑張りましょう。乙女ゲームらしいこの世界を、格闘ゲームみたいな世界にしないためにもっ!」


 もともとライバルとはいえ、学園を追放までさせてしまうという事実に、シャーナはあまり賛同できなかった。追放までいってしまったのは、ベルフレイアがやりすぎてしまったための自主退学である。それでも、彼女も知識を持っているのなら、友達にだってなれるかもしれない。彼女がヒーローであった、シュレイン・エトワードを本当に好きだったことは、痛いほど伝わっていたのだから。


 だからシャーナは、アルンスト家を観察したり、走る彼女に必死について行ったり、ストレッチをする彼女の隣で隠れて自分もストレッチをしたり、シュレインと漫才をする彼女に指をくわえたり、そんな日々が続いた。


 そして、そのおかげでベルフレイアの性格がだんだん掴めてきたのだ。彼女は決して格闘キャラではなく、熱血キャラなだけなのだと、胸を撫で下ろした。



 しかし、同時に大きな問題も起こっていた。それは、シャーナ自身の心の変化。ずっとベルフレイアの努力を影で見続けていた彼女は、次第に自分も彼女を応援してしまっていたのだ。こんなに努力をしている女の子が、報われないなんておかしい! ……という感じで。


 だが、彼女の動力源というか目標というか妄想の中心点を、冷静に考えてみたら、彼女の背中に冷や汗がだらだらと流れた。


「こ、これって。もしベルフレイアさんが学園に入って見たヒロイン()が、あまりにも情けないスペックだったら、……ものすごく、悲しませてしまうのでは?」


 あんなにキラキラ輝いている彼女が、目指していた目標の落差に影を落としてしまう姿。そんなひどいことはできない、とシャーナは心から思った。


 だが、ベルフレイアの中のヒロインは、とんでもない超人である。女神である。態とじゃないのか、誰か止めて下さい、と本気で叫んでしまいたい心境である。それでも現実は変わらない。


 だから、シャーナ・アンスリウムは決意した。ベルフレイア・アルンストのヒロインとして、ライバルとして、己を磨くことを。彼女のスペックと真正面から戦えるように。彼女の妄想(目標)に恥じないために。プレッシャーにキリキリとする胃を抑えながら、こうしてシャーナは、『目指せヒロイン』を胸に立ち上がったのであった。


 ちなみに彼女が決意表明をしてから一ヶ月後、二度目の入院生活が訪れた。それでもシャーナは、胃を抑えながら諦めることはなかった。彼女の7年間は、まさに努力と胃痛の結晶であり、ベルフレイアの期待に応えるために全力を尽くしたのであった。



「……私がどうして彼女のヒロインだとわかったのかは、あなたには言えないんです。だけど、私が努力をしてきた理由は、どうか信じてください!」

「まっ、頭をあげてくれ! 頼むから、本当に頭をあげてくれッ! ま、まさかと思うが、入学前に入院をしていたのは」

「その、ベルフレイアさんを悲しませてしまったのは、本当に申し訳ないです。……あの時は、彼女のヒロインとしてふさわしくなれたのか夜も眠れなくて、すごく不安で、キリキリしてしまって、……気づいたら病院のベッドの上だったんです」

「ちくしょう、なんだこの罪悪感ッ!?」


 ベルフレイアの暴走を、せめてヒロイン像にもうちょっと矯正を入れてあげていればよかったのかもしれない、とシュレインは本気で胸が痛かった。俺様生徒会長(苦労人含む)に、こっちが謝罪しないとまずくないか、と真剣に思わせたヒロインであった。


「あの、出来ればベルフレイアさんには、このことは言わないでほしいのですが……」

「言わない。というか言えるか。実は知らない内に、ヒロインを入院させていたライバルって初めて聞いたぞ」


 プロローグの時点で、ヒロインをある意味で打倒していた(元)悪役令嬢であった。




「……このことをあなたに話したのは、けじめをつけたいと思ったんです。私の恋に」

「はっ? シャーナが俺にアタックしていたのは、ベルのためじゃ……」

「……そう思われても仕方がないのかもしれませんが、違います」


 先ほどまでの空気が変わったことを、シュレインは敏感に感じ取った。シャーナは三歩ほど彼に歩み寄り、距離を詰める。手が届きそうで、届かない。そんな距離が、二人の間にはあった。


「さっき話した通り、私はずっとベルフレイアさんを、……そしてエトワードさんを見てきました。最初は本当に物語の王子様みたいで、すごくかっこいい人だなって思いました。ベルフレイアさんが、あんなに一生懸命になるのがすごくわかってしまうぐらい、素敵な人だって」


 シャーナには、もともとシュレインに関する知識があった。だが、それは言ってしまえば、情報だけをただ眺めただけのようなものである。だから最初に彼を見た時は、驚きと一緒に呆けてしまった。そして、ずっと見続けてきた彼が、自分の知識にいる彼よりもどんどん魅力的に映っていった。


「努力をして、上に立とうとしているあなたに尊敬する気持ちを持ちました。たくさんの人に認められているあなたが、とても輝いていました。あなたの笑っている顔を見ると、気持ちが弾みました。私が子どもの頃から、ずっと憧れていた王子様みたいで、……あなたの隣に自分がいないことが、こんなにも辛いだなんて思いませんでした」


 半年に一度ぐらいの頻度で、ベルフレイアのスペック偵察を行っていたシャーナは、そのたびに飛び出したくなる自分を抑え続けた。恋心と板挟みになった目標。悩んでは、入院を繰り返す日々を送ったが、彼女はこの学園に入学するまで彼らの前に姿を現すことはしなかった。それが、彼女が持つ精一杯のプライドであった。


 自分の目尻に溢れそうになった涙を、シャーナは手の甲ですぐに拭き取る。涙を流したりはしない、という彼女なりの決意。自分の気持ちも、ベルフレイアの気持ちも、シュレインの気持ちも、本当は全部わかっているのだ。


 それでも――



「ベルフレイアさんのライバルとして、私はヒロインを目指すと決めました。だけど、これは私の人生だから。婚約者がいる方に最低だって思っても、諦められなかったから。私だって、素敵な恋がしたかったから。だから、私があなたにアピールをした思いは……本物でした」


 シャーナ自身、それはベルフレイアを応援するという最初の主旨から外れているとわかっていた。それでも、この気持ちに嘘をついたまま、終わらせたくなかった。だからこそ、この思いに嘘はつけないとわかったからこそ、彼女は決めた。この学園に入学をしたら、正々堂々ベルフレイアの恋のライバルとして、闘うことを。


 彼女との闘いは、本当に接戦ばかりであった。最初は『ヒロイン(超人)になるために』と流されただけのスタートだったかもしれないが、積み重ねてきた努力は嘘をつかなかった。恋敵であったライバルとの決戦。だけど、ずっと磨き上げてきたものを、競い合える相手が、語り合える相手がいることが、同時に心から楽しかった。


「……シャーナは、ベルを恨んではいないのか?」

「恨みなんてありません。私は彼女の、そして彼女は私の生涯のライバルです。己の全てをぶつけ合える、最高のライバルなんですから」

「なんというか…。すっげぇ、どっかで聞いたことがあるセリフだな」


 おかしくて仕方がないというように、シュレインの口元に浮かぶ優しげな笑み。彼がその笑顔を見せる時は、いつだってたった一人の大切な人を思い浮かべた時だけ。その笑みを見て、シャーナは小さく肩を竦め、納得がいったように微笑みを見せた。



「あぁーあ、やっぱり恋のライバルは完敗みたいですね」

「……シャーナ」

「最初に、けじめをつけにきた……って言いましたよね。今日私がお話ししたいと思ったのは、その言葉の通りです。エトワードさん、どうか私の恋に決着をつけさせてくれませんか?」


 負けてしまったことに悔しさはある。叶わなかった恋に辛さはある。だけど、乗り越えられないものじゃない、とシャーナにはわかっていた。彼女は確かにシュレインに恋をしていた。だがそれは、少し語弊があるのを理解していたからだ。


 シャーナは、ベルフレイアと一緒にいる彼に惚れたのだ。彼女に向ける彼の笑顔が、一番大好きだったから。だからこれからの二人を見守っていくことができるのなら、それはそれで素敵だろうと思えたのだ。


 シャーナの言葉にうなずいてくれたシュレインに、彼女は心から笑ってみせることができた。


「私、シャーナ・アンスリウムは、あなたのことが好きでした。……私に恋を教えてくれて、ありがとうございます」


 包み込むような柔らかさと、優しく照らす輝きを持って、月は静かに微笑んだ。



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