第二話 ヒロイン力vsヒロイン力
『ヒロイン力』。それは最強の女性が持つとされる、頂点に立つために必要な力のことである。その力は偶然賜ることもあれば、努力によって得られることもある。その入手方法は様々であるが、絶大な効果を発揮する代物であった。
この力を持っているかによって、その扱いは天と地ほどの差を彼女たちに及ぼす。例えば賢いヒロインならば、ヒーローのサポートをこなし、尊敬され、ツンデレやメガネがすごく良く似合う。強いヒロインならば、ヒーローの相棒として背中を合わせ、心身の一体感を共有でき、ラッキースケベを発動させやすい。
ドジッ子や庇護欲を感じさせるといった守られる系ヒロインもいるが、彼女らの強みは美貌や地位や人望や慈愛やフラグ製造率といったヒロイン力である。浚われやすいので、イベント発生率も高い。ただやりすぎると、「さらわれマニア」という称号をいただく。
そんなヒロイン力を手に入れるために、7年間厳しい修業を行ってきた少女、ベルフレイア・アルンスト。彼女がこの力を得るために奮闘してきたのは、最強のライバルである――ヒロインに勝つため。
そして、ついに邂逅を果たした彼女たちは、そのヒロイン力を開放する。これは、頂上決戦を行っていた二人の少女による真剣勝負の様子であり、それに振り回されまくった周囲の人々の観察記録である。
ステージ1 「好感度上げをしましょう その1」
「まさか、ヒロインがあれほどの美乳を持っていたとは…」
ベルフレイア・アルンストは、真剣に考えを巡らせていた。あれほどの美乳を持ち、登校一日目で多くの友人を作ってみせたヒロインという脅威に。うかうかしていれば、きっとすぐにでも蹴落とされてしまう。故に、彼女はヒロインに勝つために大切なことを悩んでいた。
「彼女に勝つためには、ステータス上げも大事です。しかし、そんな守りの体勢で挑み続ければ、いずれ切り崩されるでしょう。だからこそ、ここは本命を狙っていくべきです」
ベルフレイアの本命――それは己の婚約者である、シュレイン・エトワードをメロメロにすることである。彼女にとっての勝利とは、ヒロインよりも魅力的になって、彼を手に入れることだ。
自分にメロメロなシュレインを妄想して、だらしない笑みを浮かべながら、ベルフレイアは拳を握りしめた。
「ふふふっ……さぁ、いきますよ。今こそ私のバイブルが日の目を見せる時なのです!」
彼女の頭の中では、前世と今世の両方の知識が並び、方法を検索していた。そしてこれならばっ! と、力強くうなずいた。16歳になっても恋愛知識のほとんどが妄想であったベルフレイアの心のバイブルは、やはり乙女ゲームが基準であった。
「という訳で、私は必勝法を見つけたのです! 私の心のバイブルが告げし、魅力パワーアップのメロメロ戦法。それこそが、レイ様の好きなもので、私の好感度を上げ上げしちゃうぞ大作戦なのですっ!」
「そっか、わかった。でもな、それで全身真っ白というのは、先生違うと思うぞ。ただの雪だるまのコスプレだからな、それ。普通に生徒指導ものだからな」
「さすがは私のライバル。エトワードさんの好きな色で全身を染め上げるなんて……、ですが私だって負けてはいません!」
「そ、その服やアクセサリーの店は、レイ様がご贔屓にしているお気に入りのもの。そうですか、あなたもレイ様の好きなもので好感度を上げようと…」
「アンスリウムは、堂々と私服を持ち込んでくるな。普通に学校で着こなしているから、先生は一瞬幻覚かと思ったんだぞ。……あっ、ちょっと頭痛が」
生徒指導室からのヘルプを受け、即行で二人を更衣室に叩き込んだ生徒会長の手腕に、先生からの拍手が喝采した。
ステージ2 「好感度上げをしましょう その2」
「ふふふっ、先ほどの調理実習で作ったこのレアチーズケーキ。本当はミルフィーユ作りの授業予定でしたが、レイ様の大好物のためには仕方がありません。皆さんにはしっかり説得をしましたし、何よりこれは譲れない一線。……女は胃袋で攻めていくものです。このように毎日コツコツと大好物をプレゼントしていけば、好感度も積もっていきます!」
「あら、ベルフレイアさん。……その包み、やはりあなたもエトワードさんの大好物で攻めてきましたか」
「ヒロ、……シャーナさん。やはりと言うことは、あなたもプレゼントを」
「えぇ、ミルフィーユの予定でしたが、スフレに意識改革をしてもらいました」
「このおいしそうな匂い、スフレチーズケーキですか」
「もちろんです。なんせ彼の大好物ですから」
「くっ、チーズケーキが実は大好きなことを、恥ずかしくて私にさえ必死に隠そうとしているレイ様の大好物を知っていたなんて……!」
お互いに牽制し合っていたが、同時にお腹が鳴る音が周囲に響く。最高のチーズケーキを作ろう、と張り切っていたため、ぶっ通しで作り続けていたのだ。両者から漂う、甘い匂いがさらに刺激を誘った。
「……よろしければ、味見されます? 」
「よろしいのですか?」
「その代わり、その、実はそのレアチーズケーキ、さっきからすごくおいしそうで……。味見をしたいなぁって」
「あっ、もちろんです。実は私も、そのスフレチーズケーキがずっと気になっていました」
「――これはっ! 生地が丁寧にこされたことによる滑らかさ。エトワードさんが好きな、クリームチーズの味が凝縮されている。そしてこのタルトの生地に、細かく丁寧に砕かれたビスケット。ちょっと歯ごたえがあるものが好きな彼のために、こんなに手を尽くすなんて」
「――そんなっ! メレンゲを使うことで、しっとりとした軽さを表現している。仕事の合間に軽く食べられるような、レイ様が好みそうな癖のない味。更に実は彼の好物である、オレンジをエキスとしてアクセントに加えている。これほどのものとは」
「いやー、愛されているねー」
「俺の教室の前で何を話して……、というか俺の個人情報はどうなっているんだっ……!」
ステージ3 「一年生全体での一斉授業にて」
「きゃぁーー! はっ、蜂が教室の中にっ!」
「げっ、結構でかい」
「うわっ、こっちに飛んできた!」
「皆様ご安心を、今明かりを消しました。蜂は明るい場所に飛んでいく生き物です。このように明かりを消しておけば、自然と外の明るい方へ逃げていきます」
「他の閉まっていた窓も全開にしておきました。このまま下手に刺激をしない様に、動かないでください。巣さえ近くになければ、彼らは基本的に針を使うことはないのです」
「先生より素早い対処に、俺は感謝するべきなのか。それとも勝手に立ち歩いたお前等を、注意するべきなのか」
「ひゃっ……! 蜂がこっちにッ!」
「しかし、このままでは授業への集中力は散漫になります。アンスリウム家成り上がりの蓄えのために、養蜂をし続け、日々彼らと闘っていた私が逃がしてみせましょう!」
「それならサバイバル生活中に、友達になった熊さんと蜂蜜という甘味のために共闘した経験がある、私だって協力します。無駄な殺生は致しません。しかし、助けを求める声に応えない道理はないのです!」
「あっ、いきなり職員回線を繋いでしまってすいません。生徒会長の救援をお願いします」
ステージ4 「伝説のヒロインの伝説」
「あっ、シャーナさんです」
「ん? ……あぁ、ヒロインのことか」
「シュレインさぁー、完全にアンスリウム嬢のこと、名前『ヒロイン』で認識しているよね。扱いもベルちゃんよりは軽いとはいえ、容赦ないし」
「いや、まぁ、その…。なんか刷り込みのように定着してしまって。あとベルの同類が言葉で止まらないのは、俺の人生経験が告げていてな…」
「相変わらずの美貌と人望です。色んな人に話しかけられていて、そのどれもに丁寧な対応をしています。塵ひとつない白の廊下を優美に歩く姿は、物語のお姫様のようです」
「……女の見た目と中身って、どうして連動しねぇのかなー」
「シュレイン、すげぇ遠い目をしているよー」
「あぁッ!? シャーナさんが突然躓いてっ!」
「うわっ、バランスを崩した体勢で……空中で一回転して、綺麗に着地しちゃったよ! そりゃ周りも拍手を送っちゃうよなぁ!」
「回転と着地の美しさ。あそこから軸を安定させる運動神経。何より躓いた時も回転中も、決して絶対領域から先を見せなかった技術。さすがですね…」
「……なぁ、お前ら。すごいのはわかるが、それって突然何もないところで転んだことの挽回になるのか」
ステージ5 「好感度上げをしましょう その3」
「レイ様、すごくいい馬が学園にいらっしゃるみたいですよ。幼い頃から馬が好きで、昔は馬のぬいぐるみを抱きしめて眠っていたぐらいだったんですよね。これはぜひ、一緒に見に行きましょう!」
「あっ、エトワードさん。よかったら、この本読まれませんか? 幼い頃からこの著者の本が好きで、サイン会に変装しながら行っていたぐらいだったんですよね。新刊なんですよ」
「だからっ、俺のっ、個人情報ッ!! もうなんで知っているのかとかは諦めたから、暴露するのは辞めてくれ! あの調理実習の日から、影で『チーズケーキ様』とか呼ばれるようになったんだぞッ!!」
「ぶははははッ、天下の…生徒会長様が、チーズ……ケー、キ様、ッブフゥ!!」
「…………なぁ、ちなみにこの副会長の好きなものはなんなんだ?」
「へっ?」
「チキンカレー(甘口)です。なんでもカーティスさんは、実家に帰られるといつもお母さんにお願いするぐらい、大好物らし――」
「わー! わーー!!」
「あと、美脚好きらしいですよ! 確かお家のメイドさんのスカートの丈を、子ども時代にちょっと変更しちゃったというエピソードが――って、いたたたたぁー! レイ様、なんで私だけ顔に指がァーー!?」
「そうか、ありがとな」
「……えっ、あのー、シュ、シュレイン? 一体どちらに?」
「何、……ちょっくら放送室に行って、チキンカレー(甘口)様の暴露を」
「ごめんなさい。本当に今回は、心からすいませんでしたァ!!」
ステージ6 「昼下がりの庭園にて」
「……今日は、ヒロインのところに行かないのか?」
「はい、時には休息も必要なのです。緩急をつけることは、大切ですから」
「まぁ、そうだな。俺としても休息があるのは、本気で助かる」
「あっ、今日作ってきたお弁当は、レイ様の好きなものをいっぱい作ってきたんですよ」
「……今日は、素直に喜んでおくよ。――ん、うまいな」
「えへへへ。あっ、もちろん毎日のおやつである、チーズケーキも忘れていませんからっ!」
「ごふッ…」
――こうして、彼らの学園生活は過ぎていった。
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「わからねぇ…。ベルが入学してから3ヶ月経ったが、未だにあいつらが何をしたいのかがわからない」
「素直にアピールしているんじゃない? さっすが、生徒会長様。両手に花じゃん」
「面白がっているだけだろ、てめぇ。……アピールだとしても、なんで二人ともアプローチの方向性がなんかズレているんだ。どこかアホなんだ。それでいて、無駄にスペックが高いんだよっ!」
「頂上決戦以外では、二人ともお手本のような優等生だもんねー」
からからと笑うフィオルに、シュレインは眉を寄せながら頬杖をつく。二人は生徒会の仕事を終わらせ、放課後の二年生の教室で座って待っていた。ベルフレイアが委員会の仕事で遅れるため、それを待つために話をしていたのだが、話題はやはり彼の婚約者とそのライバルに焦点が行ってしまっていた。
7年前から修行をしてきたため、ベルフレイアの成績はトップレベルだ。だが、シャーナもそれに負けておらず、まさに抜かし抜かされのデッドヒート。毎朝のランニングやストレッチ、料理や勉強など、一緒にやりたい女子が急上昇して教室まで開かれているらしい。それに嫌な顔一つしない彼女たちは、修行馬鹿で、心底お人好しなのだろう。
「俺さ、ライバルってもうちょっとギスギスした関係を想像していたんだけど、楽しそうだしねー」
「引き分けや負けでも、次こそは! で笑みを浮かべているしな」
ベルフレイアとシャーナは、互いをライバルだと認め合っている。しかし、そこに敵対の意思は全くない。純粋に己の全てをぶつけ合う彼女たちは、誰よりも相手のことを認めているのだ。突拍子のない行動が多く、周囲を振り回すことは多数。しかし周りを蹴落とすのではなく、自分を高め合い続ける彼女たちに、周囲の目は温かかった。
「うーん、でも、ヒロインちゃん大丈夫かなー」
「はっ? ベル並みに健康だろ、あれは」
「あれ、シュレインってアンスリウム嬢が、どうして入学が遅れてしまったのか知らないの?」
「……何?」
そういえば、当たり前のように受け入れていたシャーナだが、よく思い出してみるとその行動に目が行き過ぎて、あまり彼女のことを知らなかったと気づく。考えてみると、おかしいところはいくらでも思いついた。あの容姿とスペックなら、ベルフレイアが言っていたような小細工は必要ない。何より、何故彼女も修行をしているのか。シャーナのスペックは天才型ではなく、日々の努力によって積み重ねられてきた秀才型であった。
シュレインが感じる疑問。どうして初対面のはずの自分に、あそこまでアピールをするのか。何故シャーナは、ベルフレイアのヒロインであることを受け入れているのか。ベルフレイアが己のライバルであると、疑ってすらいないのか。初対面だったはずの二人。しかしあの出会いは、まるで必然であったかのような流れであった。
シュレインは、思案するように目を細めた。
「それで、なんで遅れたんだ」
「詳しいことはわからないんだけど、……入院していたんだってさ」
「……本当か?」
「本当だよ。彼女は隠しているけど、学園でも時々薬を飲んでいたみたいでね。昔の様子をちょっと調べてみたら、7年ぐらい前から、よく入退院を繰り返していた感じだ」
フィオルからの情報に、シュレインは驚きで言葉がなかった。少なくとも普段のシャーナは、あのベルフレイアの元気についていけるほどの人物である。フィオルはその情報網を使って周囲を引っ掻き回すことはあっても、嘘はつかない。ベルフレイアの件以降、情報の精度は彼の中では特に大切なものになっている。疑うつもりはなかったが、思わず聞き返してしまった。
「ベルちゃんには、ちょっと言えなくてね。それでシュレインに――」
「フィオル?」
言葉を途中で止めた彼に、シュレインは不思議そうに声をかけた。そのフィオルの視線は、教室の入り口の方に向けられている。そのためシュレインは、ベルフレイアが来たのかと思い、自身も確かめようと目を向けた先に――彼女はいた。
「……シャーナ・アンスリウム」
「こんにちは。エトワードさん、カーティスさん」
「あぁー、うん。こんにちは、アンスリウム嬢。どうしたの、もう放課後だよー。それにわざわざ二年生の教室にまで来るなんて……あっ、もしかしてシュレインにデートのお誘い?」
「はい」
「おい、そういう冗談は……、はっ?」
目を見開き、シュレインはシャーナを見つめた。思えば、ベルフレイアを介さずに彼女と相対したのは、初めてのことであった。凛として佇む少女の目は真剣そのもので、冗談でも嘘でもないのだと告げている。それにシュレインも、表情から戸惑いを消し、シャーナと目を合わせた。
「あなたと二人でお話がしたいと思って、ここに来ました」
「それって、俺やベルちゃんには聞かれたくないってことかなー」
「はい、すいません」
フィオルに向かって丁寧に頭を下げたシャーナに、気にしなくていいよー、と彼は笑った。そして口元に笑みを浮かべながら、視線だけを友人に向ける。それは謝罪であり、確認だ。少なくとも彼女は、シュレインと二人っきりにならない限り話さない。付いて行くのか? そう告げる友人の目線に、シュレインは不敵な笑みで返した。
「……いいだろう、俺もちょうど君と話すことがあると思っていた。生徒会役員の持つキーを使えば、屋上の扉を開けられる。そこなら万が一にでも、一般生徒は入ってこない」
「……ご配慮、ありがとうございます」
「いいよー、わかった。俺が教室に残って、ベルちゃんを待っておくから。任せといてー」
ひらひらと二人に向けて手を振り、フィオルはのんびりとした口調で告げる。ふざけていることが多い人物だが、この学園でシュレインが安心してベルフレイアを任せられる友人。椅子から立ち上がったシュレインは、フィオルと目を合わせながら、その言葉にうなずいた。
そして、シャーナを屋上へと先導するために、迷いなくその足を踏み出した。